長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『さらば愛しきアウトロー』

2019-08-11 | 映画レビュー(さ)

ロバート・レッドフォードが俳優を引退する。
アカデミー賞を獲得した名監督であり、新鋭映画人の登竜門であるサンダンス映画祭を主催して多くの才能を輩出した映画人であり、そして稀有なスーパースターであった。ブロンドを輝かせ、反骨の士として駆け抜けた彼の引退作は何度も銀行強盗と脱獄を繰り返した実在の老人フォレスト・タッカーの伝記だ。紳士的な柔らかい物腰で誰一人傷つける事のなく犯罪を繰り返したタッカーにとって金は目的ではなかった。ただスリルを求め、“楽しくなければ人生じゃない”をモットーに人生を駆け抜けたのだ。まさにレッドフォードの引退にふさわしい役柄じゃないか。

そんな本作のメガホンを託されたのがやはりサンダンス出身のデヴィッド・ロウリーである。レッドフォードとはディズニー映画『ピートと秘密の友達』で共犯済み。ここでも伝説を知る元アウトローとおぼしき老人として描き、オマージュを捧げていた。出世作『セインツ』にも明らかな通り、アメリカンニューシネマの影響が色濃いロウリーはまさに伝統的アメリカ映画の後継者であり、レッドフォードもまさに後事を託すような心持ちだったに違いない。

巻頭早々からロウリーはこれまでにない“粋”な演出手腕を発揮してくれる。前作『ア・ゴースト・ストーリー』でも美しい旋律を聞かせたダニエル・ハートには全編ジャズを書かせ、物語は80年代初頭にも関わらず映像のルックは明らかに70年代テイスト。ここまで徹底されるとロウリーのニューシネマへの憧憬は微笑ましくすらあり、そこに70年代に現れた女優シシー・スペイセクを立たせて、レッドフォードとの老いらくの恋が何とも味わい深いのである。ロウリーはルーニー・マーラをハリウッドで一番美しく撮れる監督と認識していたが、撤回しよう。ロウリーはあらゆる女優を魅力的に撮る事のできる作家だ。
一方で現在=いまの監督らしく、フォレストを追う刑事役には自作の常連俳優ケイシー・アフレックを起用し、レッドフォードとがっぷり四つに組ませて見せる。フォレスト追跡の執念がいつしか尊敬の念へと変わり、ついに2人が邂逅する場面の“笑い”は本作のハイライトと言っていいだろう。

そう、本作は終始、笑顔の絶えない映画だ。フォレストは常に微笑みを絶やさずに銀行強盗を繰り返す。楽しくなければ人生じゃない。そうしてレッドフォードは軽やかに、風のように去っていったのである。


『さらば愛しきアウトロー』18・米
監督 デヴィッド・ロウリー
出演 ロバート・レッドフォード、ケイシー・アフレック、ダニー・グローバー、トム・ウェイツ、シシー・スペイセク
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『サスペリア』(2018)

2019-03-09 | 映画レビュー(さ)

1977年のダリオ・アルジェント監督作『サスペリア』のリメイクである本作は昨今のリメイクホラーと全く次元の異なるアーティスティックな野心作だ。オリジナルからゴブリンによるテーマ曲とトレードマークの赤色を脱色。時代設定はそのままに徹底して社会背景を描き込んだ。オリジナル版がアルジェントの異常なフェチズムで作られたグラフィカルアートだったのに対し、本作の監督ルカ・グァダニーノは東西分裂中だったドイツはベルリンという街の特殊性に着目している。赤軍派ゲリラ“バーダー・マインホフ”によるテロと、民衆のデモに揺れる街で魔女達は舞踊団を隠れ蓑に生き延びてきた。この舞踊団には第二次大戦中、ナチスのプロパガンダに利用される事を拒んだマリー・ウィグマンのカンパニーが反映されているという。そして劇中、舞台となるカンパニーはベルリンの壁のすぐ傍に立つ。

 ここで重要となるのが“魔女”のルーツを知る事だろう。ロバート・エガース監督『ウィッチ』にも詳しいが中世、村八分となった女性達が森に暮らし、漢方等の民間療法で生計を立てていた事に由来する。医療が存在せず、神に祈るしかなかった時代に煎じ薬で治療をした彼女らは魔術を使ったと噂され、やがて魔女として迫害されたのである。このリメイク版では第2次大戦中に迫害されたユダヤ人や、今日までの“女性”の姿が投影されているように思う。

現代を生きる魔女の目的とはいったい何か。
 ヒントは異貌の女優ティルダ・スウィントンにある。本作ではダンスカンパニーの演出家マダム・ブランと、高齢の精神科医クレンペラー博士(男性!)の1人2役だ。近年『スノー・ピアサー』や『グランド・ブタペスト・ホテル』で半ば趣味のように醜女を演じてきたが、今回のそれは決して酔狂なキャスティングではない。方やナチスに抵抗しながらも最後には屈してしまった舞踊家と、ナチスに抵抗したため妻を失ってしまった男という対になっており、この2人の媒介となるのがダコタ・ジョンソン扮する主人公スージーだ。マダム・ブランとの師弟関係を超えた感情を嗅ぎつけられれば、スージーがクレンペラーにもたらす救済も腑に落ちるだろう。スージーはクレンペラーから悔恨と罪悪の念を消し(この罪の意識はドイツ全体が背負ってきたものでもある)、その魔術はエンドロールの後、スクリーンを超えて僕らに向けられる。画面隅の街灯がカンパニー前の物と分かれば、スージーが向かっている先はベルリンの壁であるとわかるハズだ。半世紀を超え、再び分断のための壁が築かれようとしている今、そんな憎しみを忘却せよと魔女は術をかけるのである。魔女とは決して忌むべき者ではない。ダリオ・アルジェントは本作の仕上がりに怒ったというが僕には血の惨劇の後、いつまでも本作の知性と優しさが心に残ったのだった。


『サスペリア』18・米、伊
監督 ルカ・グァダニーノ
出演 ダコタ・ジョンソン、ティルダ・スウィントン、ミア・ゴス、クロエ・グレース=モレッツ、ジェシカ・ハーパー
 
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『サスペリア』

2019-02-11 | 映画レビュー(さ)

1977年、ドイツの名門バレエ学校の門をアメリカ人留学生スージーが叩く所から映画は始まる。日本でも「決して1人では見ないで下さい」のキャッチコピーで大ヒットしたダリオ・アルジェント監督の傑作ホラー『サスペリア』だ。

偏執的とも言える美意識で貫かれた映像が恐怖を彩り、我を忘れて見入ってしまった。過剰なまでの赤と青のコントラスト、ゴージャスでどこか禍々しい怖さを宿した美術…その中を不安気にさ迷うジェシカ・ハーパーの華奢なシルエットが得も言われぬ嗜虐心をそそるのだから、ホラーというジャンルはとにもかくにも美的センスとフェチズムなのだなと思わされる。

 2018年には同じくイタリアの奇才
ルカ・グァダニーノ監督によるリメイクが公開された。


『サスペリア』77・伊
監督 ダリオ・アルジェント
出演 ジェシカ・ハーパー
 
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『search サーチ』

2018-11-20 | 映画レビュー(さ)

“102分間、パソコンの画面だけで映画が進行する”前評判を聞いた時、果たしてそんな事が成立するのかと訝しんだが、なるほど本編を見て納得だ。我々は仕事でパソコン、通勤の合間にスマートホンといった具合に四六時中モニターを見る生活なのだから、親和性がないワケがない。むしろこの映画の巧さは人間がモニターのどこに焦点を定めているか、どんな手際で操作しているかという“生理感”を編集に落とし込んでいる事だろう。1クリック毎にサスペンスが深まるスピード感はパソコン、スマホ時代ならではのスリルだ。ただし、ジョン・チョウ演じる主人公のPCスキルは中級以上なので、日頃アカウントのパスワードすら管理できないような人は一体何が起こっているのかさっぱりかも知れない。

ただギミックだけでこれまでの亜種映画から頭1つ抜け出る事はできなかっただろう。娘の失踪を期に彼女のパソコンを開けた父親が目にするのは子を持つ親なら誰もが震え上がる真実だ。ネット上には自分の知らない、普段と違う娘の姿があった。いや、そもそも娘のいったい何を知っているのだろう?友達の名前も知らなければ、ピアノを半年前に辞めたことも知らない。悩みなんて知る由もない。モニター越しにどんどん憔悴するジョン・チョウの姿を世の父親たちは決して他人事とは思えないハズだ。本作の真の見どころは父と娘のドラマである。

 監督は弱冠27歳のアニーシュ・チャガンティ。アイデアだけに頼らず、ドンデン返しに次ぐドンデン返しといい、プロット運びも巧みである。次作が楽しみな才能だ。


『search サーチ』18・米
監督 アニーシュ・チャガンティ
出演 ジョン・チョウ
 
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『サバービコン 仮面を被った街』

2018-05-08 | 映画レビュー(さ)



1950年代アメリカ、閑静な住宅地“サバービコン”に黒人一家が引っ越してくる。
地域の白人達は「犯罪が増える」「黒人がいないから土地を買ったのに」と侃々諤々だ。彼らは連日、出ていけと抗議のデモを繰り返し、ついには家の周りを“壁”で取り囲んでしまう。

やれやれ、ウンザリだ。アメリカは本当に何も変わっていない。一軒隣りでは保険金目的の殺人事件が繰り広げられているが、住民達は自分の腐臭で気付いていない。

ジョージ・クルーニーの監督第6作は黒人排斥運動と保険金殺人という2つの事件を並列して描く。劇的な交錯が一切ない2つのプロットは脚本を手掛けたクルーニーと盟友グラント・ヘスロヴ、そしコーエン兄弟がまるで各自の作風で分担したかのような作りだ。聞けばもともとあった黒人排斥のプロットにコーエン兄弟が保険金殺人のパートを書き足したという。『ファーゴ』よろしく雪ダルマ式で大量殺人に発展するが、彼らならではのブラックユーモアをクルーニーは生真面目に演出してしまった。マット・デイモン、ジュリアン・ムーアにも愛嬌ナシ。現在の度し難いアメリカの醜さはかねてから内包してきたものだと看破するのはいいが、ユーモアが足りないのだ。そんな怒りを込めた現代批評にクルーニーは偏愛するクラシック映画のトーンを込め、時代かかった音楽アレクサンドル・デスプラ、撮影ロバート・エルスウィットの試みは面白く、とりわけジュリアン・ムーアが演じたローズに訪れる顛末は素晴らしいセリフも相まって出色のシーンになっている事は触れておきたい。

希望はどこにあるのか?
 クルーニーは子供達に未来を託す。事件の全容を知ってしまった息子ニッキーを演じる子役ノア・ジュプ君は実質上の主役として複雑な心理演技を見せ、映画を牽引する。クルーニーも彼に注力して演出している事が伺えた。彼らしい生真面目さと懐古趣味の1本だ。



『サバービコン 仮面を被った街』17・米
監督 ジョージ・クルーニー
出演 マット・デイモン、ジュリアン・ムーア、オスカー・アイザック、ノア・ジュプ

 
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