長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『さよなら、僕のマンハッタン』

2018-04-22 | 映画レビュー(さ)

巻頭早々、ジェフ・ブリッジスのダイアログを聞いて僕はポール・オースターや村上春樹、もちろんサリンジャーを思い出した。舞台はNY。人生に迷った青年、もちろん眼鏡をかけた文学青年が主人公だ。脚本を手掛けた新鋭アラン・ローブが彼らに影響を受けているのは間違いないだろう。だが、名匠たちの諸作を読んだ方がもっと建設的かも知れない。僕は歳を取り過ぎてしまったのだろうか?

主人公トーマス・ウェブは20代後半、特に何をするでもなく、定職につかずブラブラしては「NYは魂を失った」「今はフィラデルフィアが熱い」と気取った事を言っている。父親は出版社の経営者、いわば山の手のボンボンだ。今は古書店で知り合ったバイトのミミ(キュートなカーシー・クレモンズ)に熱を上げているが、カレシ持ちなのが悩みのタネだ。
そんなある日、向いの部屋にヨレヨレの男が越してくる。ちょっとおせっかいなオヤジだが、次第にトーマスは自身の悩みや惑いを打ち明けていってしまう(この年頃は“語りたい”年頃だ)。

『(500)日のサマー』のマーク・ウェブ監督のタッチは一見青臭いが、物語のハイライトがタイトル(原題=The Only Living Boy in New York)にもなっているサイモン&ガーファンクルであり、ボブ・ディランである事からもわかるようにこれはむしろ親達の物語だろう。モラトリアム期に下した決断の代償を改めて得る事になるシンシア・ニクソン、ピアース・ブロスナン、ジェフ・ブリッジスは皆、素晴らしい演技を見せており、際どい綱渡りをした脚本を救っている。

あれ、それではトーマス・ウェブの物語はどこにあるんだ?
 ここには作り手がモラトリアム期、“若さ”という季節がいつか終わる事の自覚や、トーマスが世界と自分の距離に気付く姿がない。「NYには全てがある」と言うが、それでは老いも若きもこの映画には自分の姿を見出せないだろう。


『さよなら、僕のマンハッタン』17・米
監督 マーク・ウェブ
出演 カラム・ターナー、ケイト・ベッキンセール、ピアース・ブロスナン、シンシア・ニクソン、カーシー・クレモンズ、ジェフ・ブリッジス
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『サンドラの週末』

2018-03-01 | 映画レビュー(さ)

あなたにはこんな事はなかっただろうか。
逢いに行くのが辛くて、乗らなくてはいけない電車をやり過ごしたこと。
どうしても会社に行くのが怖くて、最寄り駅まで来て引き返してしまったこと。
自信を失って1人家に閉じこもってしまったこと。
そんな時に“がんばれ”とか“がんばろう”と声をかけられるのは正直キツい。そんな1人ぼっちの不安を痛いくらいに感じた事のある人に観てもらいたい映画だ。

週明けからの復職を前にして主人公サンドラは自分の解雇を知らされる。会社側がボーナス支給か、従業員の削減かと皆に迫ったのだ。家賃も払わなくてはいけない。子供2人はまだ幼い。夫1人の稼ぎではどうにもならない。サンドラは友人のとりなしにより、もう1度皆に再投票をお願いする機会を得るのだが…。

いつにも増してダルデンヌ兄弟の話法はシンプルを究めている。劇中の運動はひたすら歩く、会う、話すの3動詞だけ。でもそこから人生が見えてくる。自分の生活のために他人に収入を諦めてもらうだなんて話、正直辛い。サンドラはうつ病上がりで、こんなお願いをして歩き回るには心がボロボロ過ぎる。でも二つ返事で助けてくれる人もいれば、謝ってくれる人もいる。渋々納得してくれた人もいる。私は社会とつながっている!

彼女が最後に下す決断は厳しいものだが、その表情は本当にがんばれた人の清々しい笑顔だ。彼女はようやく自分に誇りが持てたのだ。スターオーラを消し去り、ダルデンヌ兄弟特有のリアリズムの中で小市民になりきれてしまうマリオン・コティヤールの演技レンジ、作品選択眼に現役最高峰の充実を見た。ささやかだけど大きい、そんな一個人の感動を表現しきれてしまう彼女の名演に爽やかな涙がこぼれる一編だ。

『サンドラの週末』14・ベルギー、仏、伊
監督 ジャン・ピエール&リュック・ダルデンヌ
出演 マリオン・コティヤール
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『3人のアンヌ』

2017-11-08 | 映画レビュー(さ)

イザベル・ユペール、老いてますます盛んなチャレンジ精神だ。この2011年には“韓国のウディ・アレン”と呼ばれるホン・サンス監督作品に出演した。国際映画祭の常連サンス監督作とはいえ、まだまだ未知数の韓国映画界へ身体1つで飛び込んでいる。自由奔放な脚本、デタラメなカメラ(なぜそこでズームする!?)のホン・サンス節からはユペールに首ったけなのがありありと伝わってくる。さすがは名だたる奇才監督攻略してきたユペール様だ。

韓国のうらさびれた漁村で女の子が映画の脚本を書き始める。
「韓国のとある漁村、アンヌという女性がやってきて…」
一軒の民宿を舞台にホン・サンスは映画を3つのチャプターで構成する。ユペール演じるアンヌはある時は有名映画人、ある時は不倫妻…と各章毎に全く立場が異なる役柄になっており、ユペールという同一人格で形成されたそれらは、まるでわずかな選択から枝分かれした別の人生ようにも見えて面白い。サンスのユペール愛や1本の映画では彼女の魅力を撮り切れないとさながらトリビュート映画のように盛り込んでいるのである。

 こんなド田舎のロケではろくろく言葉も通じず、超低予算の撮影は体当たりのチャレンジだったのではないだろうか。恐れを知らない彼女の姿勢はその後、ポール・ヴァーホーヴェンの『ELLE』で世界的な大成功へと結実するのである。

『3人のアンヌ』12・韓国
監督 ホン・サンス
出演 イザベル・ユペール
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『猿の惑星:聖戦記』

2017-10-27 | 映画レビュー(さ)

2011年の『創世記』から始まる新シリーズの第3弾。
第2作目『新世紀』から登板したマット・リーヴス監督が再びメガホンを取り、1968年のオリジナル版が持つ批評精神を継承した堂々たる完結編だ。

前作の最後で人類と猿の間に戦争が勃発。“大佐”率いる人間たち武装勢力は森の奥深くに潜伏した猿達の指導者シーザーの捜索に躍起となり、武力衝突が相次いでいた。襲い来る人間たちに対してあくまで自衛の立場を取っていたシーザーだが、大佐によって家族を皆殺しにされた事で彼は群れを離れ、復讐の追跡へ出る。

ヘイトの風が吹き荒れる今、大佐ら人間たちに投影されているのが排外主義、ファシズムなのは一目瞭然だ。
彼らは狂信的な軍閥コミュニティであり、猿達“異者”はおろか、猿インフルの後遺症によって失語症となった同じ人間たちすら抹殺していく。本作にはナチスドイツ、ホロコーストの記憶も投影されており、障害者は殺され、ゴリラは恐怖から人間へ加担し、猿達は“動物園”と呼ばれる収容所で虐待を受ける。彼らが作らされているのは“壁”だ。

本作では猿達、シーザーこそが理想像として純化されている。
前作で“猿は猿を殺さず”という誓いを破り、戦争を誘発したコバを殺めたシーザーの中には今もなお、同族殺しという許されざる罪悪がつきまとい、彼を苛む。ヘイトの時代、果たしてシーザーは憎しみを捨てる事ができるのか?大佐への復讐の道中、精神を病んだ猿バッド・エイプを助け、さらには失語した人間の少女ノバを救う彼の中で変化が訪れる。ほとんど聖人の如く苦難に耐え、一族を“約束の地”へと導こうとするシーザー役アンディ・サーキスの重厚な演技は本作のグレードを1つも2つも上げ、歴史劇のような風格をもたらした。さすがの巧さを見せる大佐役ウディ・ハレルソンとの対決も見どころだ。

 多分にジェリー・ゴールドスミス御大を意識したマイケル・ジアッキーノのパワフルなスコア、マイケル・セレシンの陰影濃い撮影を得てマット・リーヴス監督は次のステージに立った感がある。この演出力、ストーリーテリングでオリジナルのTVドラマシリーズを見てみたいのだが、どうだろうか。


『猿の惑星:聖戦記』17・米
監督 マット・リーヴス
出演 アンディ・サーキス、ウディ・ハレルソン、スティーヴ・ザーン
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『サウスポー』

2017-09-27 | 映画レビュー(さ)

演技派の階段をひた駆け上がるジェイク・ギレンホールがいよいよ“名優”の代名詞の1つであるボクサー役に挑む。
それも前年
『ナイトクローラー』で大幅減量した後のビルドアップという、まさにデニーロ・アプローチと呼びたくなる肉体改造だ。
もちろん、ギレンホールはそんな見た目に留まらず、自己過信から呼び込んだ悲劇を克服しようと贖罪に身を費やす男に魂を込めた。本作の見所は紛れもなくギレンホールだ。

残念ながら、映画はそんな彼に見合った見せ場を用意できていない。
監督のアントワン・フークアはリアリズムを重視したクールな作風が持ち味であり、『ロッキー』のような涙と根性の人情ドラマとは真逆の作家性だ。ファイトシーンはまるでTV中継を見ているような淡白さであり、エミネムの力強い主題歌もまったくもってミスマッチに終わっている。こんな事は言いたくないが、白人が主人公のドラマを黒人が演出した本作はキャスト、スタッフの生理が一致しておらず、方向性が定まっていないのだ。

 本作が公開された半年後、2015年末には『クリード』が封切られ、『サウスポー』は“過去の人”へと追いやられた。
 『ロッキー』を実質、黒人映画としてリメイクしたライアン・クーグラー監督は1ラウンドを一発長回しで撮る若さ漲る野心と、過去作の韻を踏みまくる巧みさでついにはあのスタローンを40年ぶりにオスカー会場へと送り出した。ボクシング映画の作り手にはこれくらいの熱量があってほしいし、『サウスポー』はもっとベタでも良かったのではないか。ギレンホールは名優への階段を上がったが、そこはまだ踊り場だったようだ。


『サウスポー』15・米
監督 アントワン・フークア
出演 ジェイク・ギレンホール、フォレスト・ウィテカー、レイチェル・マクアダムス
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする