今更どうこう書く必要もないだろう。
公開から50年を経てIMAXスクリーンに甦った不朽の名作はその先見性に驚かされる。CG以前のあらゆる映像技術を駆使した宇宙空間の再現、テクノロジー考証は今見ても全く色褪せず(宇宙飛行士たちはタブレットで映像を見ている!)、その描写が後の『スター・ウォーズ』や『機動戦士ガンダム』に影響を及ぼしているのは明らかだ。アルフォンソ・キュアロンが『ゼロ・グラビティ』で行った真空空間の無音演出は既に本作で採用されており、スターゲイトをくぐってからの宇宙人との邂逅はクリストファー・ノーランが『インターステラー』で変奏している。キューブリック演出のトレードマークとも言える不協和音を用いた音響設定はポール・トーマス・アンダーソンが『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以後、踏襲しているものだ。言うまでもなく、現代の映画監督にとってキューブリックこそが先駆者であり、そういった意味で1968年当時よりも本作のサブテキストは豊富になったと言えるだろう。唯一、本作が敵わなかったのはアンディ・サーキスが『猿の惑星』で到達した猿演技メソッドくらいではないだろうか。
観客の知性に訴えるアヴァンギャルドな演出は僕たちを思索と酩酊に誘う。道具を使うことで殺人を知った猿人類はそれから幾数万年を経て、軍事衛星を地球に巡らせるようになった。スーパーAIのHALLは人知を超えるのと同時に人類同様の精神の薄弱さも得た。2001年もとうに過ぎて僕たちは進化の袋小路にハマった感がある。映画では謎のモノリスが人類を導くが、果たして僕らはどこへ行くのか。
開映前の序曲からインターミッション、そして『ツゥラトストラはかく語りき』…細部に至るまでキューブリックの妥協なき設計が伺い知れる不滅の映像詩である。
『2001年宇宙の旅』68・米
監督 スタンリー・キューブリック
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