エヴァ・グリーンほど正確な解釈をされていない女優も珍しい。2003年、5月革命のパリを舞台にしたベルナルド・ベルトルッチ監督作『ドリーマーズ』でデビューした”フランス女優”だが、すぐさまリドリー・スコットの目に止まり『キングダム・オブ・ヘブン』で2005年にハリウッド進出。翌年にはダニエル・クレイグの記念すべき007デビュー作『カジノ・ロワイヤル』でボンドガールを務め、国際スター女優としての地位を確立する。その後の出演作のほとんどがアメリカ映画、英語圏作品であり、近年これほど国外でブレイクしたフランス女優も珍しいのではないか。同時期に5歳年上のマリオン・コティヤールもハリウッド進出しているが、彼女がブレイクしたオスカー受賞作『エディット・ピアフ』はあくまでヨーロッパ資本の”フランス映画”である。
同世代のハリウッド女優にはマネできないヨーロピアンな美貌と妖艶さは一連のティム・バートン作品や、『300/帝国の逆襲』『シン・シティ/復讐の女神』といったフランク・ミラー原作のコミック映画とも相性が良く、おまけに『ライラの冒険』『ダーク・シャドウ』といった魔女役も相次いで、”魔性の女=強い女”というイメージが定着していったように思う。『カジノ・ロワイヤル』では「あなたのエゴが大きすぎて同じエレベーターには乗れない」と言い放ち、ダニエル=ボンドを歴代で最も女嫌いの007にするトラウマを残した。
だが常々見惚れてきた身として断言するが、エヴァ・グリーンの魅力はそれだけではない。シャワールームで震えながら1枚も脱がずにジェームズ・ボンドと愛を交わしたあの場面こそダニエル=ボンドがその後、どのボンドガールにも本気にならない理由だろう。『汚れなき情事』で女生徒の憧れである教師”ミスG”をさっそうと演じたエヴァが、実は1人で表も歩けない事が明らかになるあの衝撃と哀しさ。等身大の繊細さこそ彼女の本質であり、それを早くも見抜いていたリドリー・スコットは真の傑作である194分のディレクターズ・カット版『キングダム・オブ・ヘブン』で難病の我が子の将来を憂い、自ら手にかけるエヴァ・グリーンに多くの時間を与えている。そう、ここでも我が子と葛藤する母親役だった。
『約束の宇宙』の監督アリス・ウィンクールはエヴァのアイライン1つ取ってもアメリカの男性監督とは解釈が異なることがよくわかる(ヨーロッパの映画人にとってエヴァ・グリーンは往年の女優マルレーヌ・ジョベールの娘であり、マリカ・グリーンの姪でもある)。
本作の主人公サラは宇宙飛行士。念願叶って国際宇宙ステーションでの勤務が決まるが、それは幼い娘を地球へ残した”単身赴任”でもある。映画は彼女を殊更ヒロイックに描くことはせず、過酷な訓練と子育てに追われる日々を丹念に追っていく。サラは”女だから”とナメられまいと人一倍の努力で全ての問題に立ち向かっていく。アイシャドウを落とし、等身大のキャラクターを演じるエヴァ・グリーンのナチュラルな美しさが際立つ。それは前述の代表作から連なる強く、しなやかな繊細さだ。
終幕、娘の眼前を野生馬の群れが駆け抜けていく。本作が長編監督デビューとなるウィンクールが注目されたのは脚本を務めた2015年のフランス、トルコ合作『裸足の季節』だ。トルコの因習によって10代で見合い結婚をさせられる少女達の反抗を描いたこの映画の原題は”Mustang”であった。『約束の宇宙』は制約という重力を突破した母親から娘へと視点が転換し、物語が終わる。母というロールモデルを得た娘には、今や1人で野を駆ける力が備わっているのだ。そんな物語からの退場にもエヴァ・グリーンの成熟が感じられた。
『約束の宇宙』19・仏、独
監督 アリス・ウィンクール
出演 エヴァ・グリーン、マット・ディロン、サンドラ・フラー
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