コロナ禍のため例年より2ヶ月遅い4月25日に開催される今年のアカデミー賞。長丁場の賞レースを独走しているのがクロエ・ジャオ監督による本作『ノマドランド』だ。作品賞はじめ6部門にノミネートされており、今年の大本命と目されている。
だがおよそ”アカデミー賞らしい”作品ではない。配給は今はなき20世紀FOXのインデペンデント部門サーチライトピクチャーズ(現ディズニー傘下)が手掛け、ジョシュア・ジェームズ・リチャーズによる美しいカメラと、ルドヴィゴ・エイナウディのピアノ旋律に彩られた詩情あふれるアートハウス映画である。有名俳優はフランシス・マクドーマンドとデヴィッド・ストラザーンしか出ておらず、玄人受けしてもアカデミー賞というメインストリームからは程遠く見える。
2008年のリーマンショック以後、多くの会社が倒産し、マクドーマンド演じる主人公ファーンの暮らす企業城下町エンパイアも工場閉鎖により町そのものが消滅した。仕事を失くし、住む家も失くし、そして夫にも先立たれたファーンはわずかな荷物をバンに積み込み、季節労働者としてアメリカの荒野を旅する事となる。
クロエ・ジャオは前作『ザ・ライダー』に引き続き、辺境からアメリカの現在を射抜く。市場原理から弾き出され、ノマド(=遊牧民)として暮らしているのはファーンだけではない。ジャオはマクドーマンドを実際のノマド達と交流させ、その様子をカメラに収めていく。ドキュメンタリーとフィクションの境界というジャオ独自のメソッドによって、マクドーマンドは自然主義演技の極地に到り、その深く刻まれた皺は乾いたアメリカの大地によく映えるのである。オスカーでは評価されにくい"静かな演技”だが、彼女の偉大なキャリアにまた新たな1ページが刻まれたと言っていいだろう。
高齢化と生活苦という問題はここ日本でも深刻だが、ジャオは大企業による搾取や社会構造を糾弾することに重きを置いてはいない。果てしなく続く道のどこかで一期一会を繰り返し、広大な自然の恵みを享受するノマド達には人種や性別による格差もなく、限りない自由があるように見える。そんな彼らを通じてジャオは「アメリカ人とはなにか?」と問いかけるのである。アメリカの大地とは自由な魂を持った開拓移民たちによって切り拓かれたのではないか?アメリカの辺境に自由と美を見出すジャオの筆致は伝統的アメリカ映画のそれであり、中国系というルーツを持つ彼女にオスカーとして継承が行われるのはアメリカ映画史における重要なモーメントだ。アカデミーはこの機会を絶対に逃してはならない。
とはいえ、クロエ・ジャオはまだ38歳、長編映画は3本目である。傑作をモノにしながらも未だ完成していない才能にこれからどんな作家へ成長するのかと期待してやまない(個人的には編集のリズムはまだ遅くて良いと思う)。そんな彼女の次回作はマーベル映画『エターナルズ』である。独自のメソッドと美しいシネマトグラフィーというアートハウス系作家を、『ザ・ライダー』の時点でメインストリームへと引き出したマーベル首脳陣の慧眼には恐れ入る。いったいどんな映画になるのか?こんなに興奮させられる才能は久しぶりだ。
『ノマドランド』20・米
監督 クロエ・ジャオ
出演 フランシス・マクドーマンド、デヴィッド・ストラザーン
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