自宅での自然分娩を希望し、準備を続けてきたマーサに陣痛が訪れる。しかし、やり取りをしてきた助産師が他のお産で間に合わない。急遽ピンチヒッターとしてやって来た助産師の下、出産が始まった。映画は冒頭30分、ほぼ2カットで陣痛から出産までを描いていく。だがようやく生まれた赤ん坊の心拍はみるみる弱まり、瞬く間に青ざめていった。
『私というパズル』はマーサが死産した秋から春までを1か月毎に描いていく。冬のボストンは雲が垂れ込め、寒風が吹き荒ぶ。パートナーのショーンは打ちひしがれ、酒とタバコに再び手を出し始めた。母は弁護士をしている親戚に話をつけ、助産師を告訴しろと息巻いている。だがマーサは彼らの言い分を聞こうとはしない。彼女は検視医に訪ねる。「臓器提供はできますか?」
映画は巧みな人物描写で彼女が抱える真の苦しみを明らかにしていく。死産から一か月、マーサは職場復帰する。真っ赤なコートで街を闊歩する彼女はまるでファッションモデルのようだ。職場には個室のオフィスがあり、彼女がハイクラスの職務についていることがわかる。ショーンは夫ではなく“パートナー”であり、自宅出産を選んだことからも彼女が旧来的な価値観に捉われていないことは明らかだ。そしてリンゴの種について調べる彼女はネットではなく、本屋に赴く知性の持ち主である。
マーサは悲劇を経験しながらも感情を露にし、周囲に当たり散らすようなことはしない。自分の感情に向き合い、粛々と物事をこなせる成熟した人物だ。我が子の臓器提供も彼女には理に適った行為であり、検視済みのためと断られれば今度は検体を申し出る。
しばしばフィクションは悲劇に直面した女性を感情的に、弱々しく描いてきた。しかしマーサはその対極にある論理的で、社会的にも自立した女性だ。ヴァネッサ・カービーは彼女をなんともハードボイルドに演じており、絶品。ヴェネチア映画祭では女優賞に輝いた。来るアカデミー賞でもノミネートに期待が高まる。
周囲はそんなマーサを良しとはしない。ショーンも母も彼女の肉体に端を発した自由意志を認めず、あまつさえこうあるべきとコントロールしようとする。本作もまた肉体と精神の自由を奪われた女性の物語であり、妊娠側から描いたのが『スワロウ』なら、死産側から描いたのが本作なのだ。低所得、低学歴ゆえに自己承認が低い『スワロウ』のヒロインに対し、本作の主人公は真逆の社会的ステータスを持ちながら同様に搾取されているのだ。それは決して男性からに留まらず、自身の壮絶な出自まで持ち出して娘を毒す実母からの加害もある。母役エレン・バースティンとカービーの対決は本作のハイライトだ。
『私というパズル』20・米、加、ハンガリー
監督 コーネル・ムンドルッツォ
出演 ヴァネッサ・カービー、シャイア・ラブーフ、エレン・バースティン、ベニー・サフディ、モリー・パーカー、イライザ・シュレシンガー、サラ・スヌーク
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