濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

山笠!水もしたたるいい男ばい!

2007年07月05日 | 博多祇園山笠
山(舁き山)が動き出すと、行く先々で水がかけられる。
舁き手は身も心もカッカ!と燃えており、かけられる水で正気を取り戻す。

実際、オイラも経験したけど、頭からかけられた水で興奮がクールダウン
させられた。ついのぼせもんは熱くなりがちだから・・・

この水を「勢い水」といい、勢いとは山のスピードを保つことであり、
ひとたび揉め事(喧嘩)が起これば一気にスピードもダウン!する。
だから水を勢いよくぶっかけてクールダウンさせる。

因みに、浅草の三社祭では水をかけない。だから喧嘩・喧嘩・喧嘩!!

また、同じ東京でも門前仲町(深川)の祭りでは行く先々で水をかけ
られるので喧嘩は比較的少ない。

さて、話は博多に戻るけど、勢い水は、山の脚についてる胴がねも
冷やし、これにより山笠もスムーズに動くってわけ。

追い山のコース各所に水桶(バケツ)が準備され、先走りの男たちが、手に持っ
たバケツでヤマに舁き手にかける。もちろん沿道の見物人からも。

なお、勢い水の効果を生で見たけりゃ、裏路地がいい。
見物客もびしょ濡れ!舁き手の仲間入りした気分になれるぞっ!





櫛田神社(見送り)

2007年07月05日 | 博多祇園山笠
標 題:神武天皇東征譚(じんむてんのうとうせいのたん)
人形師:中野 親一

日本古代史の謎の一つに、古事記・日本書紀などに出てくる神武東征(東遷)
があり、この飾り山はそれがモチーフになっている。

さて、初代の天皇である神武天皇が、九州の日向(宮崎県)から東征して、
畿内の大和(現在の奈良県)の大王になったという記述が古事記にでてくる。

しかし、例の邪馬台国との関連から、常に歴史学者の間では論争となっており、
つまり、邪馬台国が「九州」にあったのか?それとも「近畿地方」なのか?
何れにしても神武天皇と卑弥呼、そして邪馬台国とはあまりにも深い関係にあり、
それ故、日本古代史の謎と呼ばれる所以である。

ここで櫛田神社に神武天皇が登場したということは・・・オイラは「九州説」の
信者である!

櫛田神社(表)

2007年07月05日 | 博多祇園山笠
標 題:太閤醍醐之花見(たいこうだいごのはなみ)
人形師:中野 親一

醍醐の花見(だいごのはなみ)とは、慶長3年(1598年)春、豊臣秀吉が
京都の醍醐寺において、豊臣秀頼、北政所、淀殿ら近親の者を初めとして、
諸大名からその配下の者など約1300名を従えて盛大に催した花見の宴。

秀吉は、応仁・文明の乱のあと荒れ果てていた醍醐寺の復興に協力、醍醐寺と
良好な関係を築いており、自分の最期が近いことを感じ取った秀吉は、「一代の
華美な英雄の最後にふさわしい大舞台」をしつらえるために、あちこちに
それとなく手配をしてこの「醍醐の花見」を催させた。
ちなみに秀吉はこの約半年後に没する。

さて、花見では、古今東西の多彩な献上品やアトラクションが供せられ、
諸大名のあいだではすでに秀吉亡き後の政権のあり方について、陰に陽に
さまざまな駆け引きや腹の探りあいがあったという。

なお、醍醐寺では、現在でもこれにちなんで毎年四月の第二日曜日に「豊太閤
花見行列」が催されており、この飾り山もそれに相応しい豪華絢爛なものと
なっている。

因みに、オイラの場合、誰も誘わず、独りこっそりと「中洲の花見」・・・