濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

747-400

2014年04月01日 | ひとりごと・・

30代から40代にかけて、月の半分以上は出張にでることが多かった
当時は、千歳、福岡、そして沖縄行といえば必ずジャンボというのが定番だった
いつも自腹をきっては“プレミアムクラス”に搭乗、座席は、「1A」「1K」、
若しくは、ど真ん中の一人掛けである通称“機長席”「5D」と決めていた

そこが取れなければプレミアムは諦め、アッパー(2階席)の「72K」
前に座席がないので短い脚をおもいっきり伸ばすことができるからだ
とにかく、一番多い年で年間100回以上は飛行機に搭乗する機会があった

去年、横浜から苫小牧に転勤になり、それでも月平均2~3回は会議や私用で
帰省する機会があり、以前に比べ、便数こそ減ったが必ず747をチョイス!
いつものように、ジャンボでの移動を楽しみにしていた

ところが、時期は忘れたが「2014年3月末でジャンボ退役」との話を聞き、
それじゃ~何かジャンボに乗った証(あかし)を残そうと!搭乗券を保存、
また、「搭乗証明書」なるものの存在を知り、登場した際、必ずCAさんに
お願いして発行してもらった

そうしたCAさんとの会話のなかで、
その当時、国内線では、すでにJALは全機を売却、ANAも4機を残すのみ
あとは政府専用機(航空自衛隊所有)の2機とあわせ、現役は6機ということ

政府専用機への搭乗は宝くじの1等を当てるより困難であり、去年の9月以降、
現存するANAの4機すべてへの搭乗を目標に掲げた

画像は新千歳でのラストフライト(2014.3.30)

正月

2014年04月01日 | ひとりごと・・

さて、昨日、横浜の友人・知人からたくさんのメールが届いた
「サクラが満開を迎えました」と

苫小牧も氷点下になる日は少ない。今朝も8℃(プラス!)と暖かく、
コートを持たずにでてきたが、お日様はでているものの、北風ピューピュー!
体感気温としては氷点下なみの寒さ・・・春はまだ遠い・・

さて、色川の大将がよく言っていた
「三社祭は下町っ子にとっては正月なんだよ」

同じように、博多っ子にとっての正月といえば「山笠」であり、
7月15日、追い山が終われば「あと来年の山笠まで364日!」となり、
年賀状には「山笠まであと7か月!」というような添え書きがされる

オイラのようにサラリーマンにとっての正月は4月1日だ
すでに年号は平成26年であるが、今日から「26年度」が始まった
年度末の決算もこれから、新年度の行事も目白押し!

野球少年にとって選抜はまさに「正月」なんだろうね
残念ながら初戦で「横浜」「苫小牧」ともに負けてしまい、それ以降、
まったく「甲子園」には興味がない

プロの世界はというと、先週からペナントリーグが開幕した
我らがベイスターズは神宮で3連戦、3戦目は雨で中止となったが
戦績は1勝1敗!勝率5割!!!これで今年の優勝は間違いない!

そしていよいよ今日からハマスタで巨人戦
「横浜支局長のFさん!!!応援よろしくお願いしますよ~ツ!!」

春、いろんな行事、スポーツが始まりを迎えるなか、アイスホッケーは、
つい先日、リーグ戦が終了(男子アジアリーグ)した

苫小牧が誇る「王子イーグルス」はファイナルリーグで1勝3敗!
残念ながら日本一にはなれなかった
しかし、来シーズンは、地元(白鳥アリーナ)で有終の美を成し遂げてほしい
来年はリーグ戦から応援にいくぞーッ!!

同じく、3月末をもって全日空だけが運行していたジャンボ(747-400)が
最終フライトを終え、政府専用機を除き、日本の空からすべてのジャンボが
姿をけしてしまった

すでに千歳~羽田間の運行は終了していたが、3月30日、1往復のみ運行、
さっそくカメラを担いで新千歳空港へでかけてきた

すでに空港周辺、そして空港デッキは人で溢れ、三社祭のような人ごみ
過去、これだけの人間を北海道では目にしたことがない!という混雑ぶり

それでも人ごみをかき分け、要領よくベストポジションを獲得!
これから数日にわたり、オイラが数百回搭乗してきたジャンボの勇姿をUP!
していきたいと思う

さて、この見にくい画像は千歳へのラストフライト!
着陸態勢のジャンボである

これだけの情報から好きな人は「ジャンボだっ!”」と直にわかる


まっつぐに・・・ その3

2014年04月01日 | ひとりごと・・

苦み走ったこの顔
一見すると強面に見えるが、祭りは別として、普段はシャイで、人一倍気遣いをする
優しい大将だった。しかし、晩年まで、一貫して「まっつぐ」で生きてきた

金の亡者となり脱税、馬鹿な会見をして芸能界を干された元ドラゴンズのエース
サングラスをかけ、わざとらしく杖をつき、長髪に包帯姿のインチキ作曲家
研究室では割烹着、笑顔を振りまき「世紀の発見」とまで言わせたインチキ科学者

いづれも“共犯者”や“黒幕”がいて、自分ひとりじゃなにもできない連中だ
言ってみれば操り人形みたいなもの・・・

どうも近頃の日本にはこうした「偽物」「インチキ」ばかり
自分ひとりで勝負しよう!といった根性のある奴が少ない

まして、最後の江戸っ子といわれ、何事にも「まっつぐ」という大将こそ
超レアな「絶滅危惧種」だ。その心意気の欠片でもいいから後世に伝えなくては
ならないと思っている

まだまだ若輩ではあるが、仲間と共に、オヤジの遺志を継承し、昔ながらの
心意気をもって祭りを盛り上げたい

今年の三社祭は5月17日~18日
喪中なんか関係ない。きちんとお祓いを受け、今年も神輿を担ぐぞーっ!!



まっつぐに・・・ その2

2014年04月01日 | ひとりごと・・

本当にこの光景を二度と見ることができないんだろうか?
大将の気合が入った仕事に打ち込む姿を・・・

30年以上も大将の背中を見てきた
歳を重ねるごとにその背中を丸みをおび、昔に比べりゃ
少しばかり身体もスマートになっていた

さて、テレビや新聞、ガイドブックなどで紹介される大将の年齢に
本当のものがなかった

「大将の年齢を聞いてもいいですか?」
「そんなもの忘れたよ!」
「68歳ぐらいですか」
「そんなもんだよ」

去年のこと、一番若いものでは「65歳」、うえは「70歳」、平均すると
67~8才というところか

しかし、本当は「享年72歳」だった

「別のサバを読んだり、ウソをいってるわけじゃないよ」
「勝手に連中が書いてるだけで、俺は忘れたとしか言ってない!」

そんな大将、娑婆からあの世に行くのに「戒名」をいただいた
名前の正則から「正」、そして神輿にちなんで「輿」の字もある
粋な住職の計らいだ

大将、あの世でも祭りを仕切ってください
いづれ向こうで会いましょう!そして、また大将の舎弟にしてください
ただ、まだ未練があるので今しばらくは迎えにこないでくだい
くれぐれもお願いします

2014年4月1日

まっつぐに・・・

2014年04月01日 | ひとりごと・・

大将との出会いは34年前に遡る
オイラがまだクソ生意気なガキンチョ!で、血気盛んなころである

「三社祭を見たことがあるか?」
「聞いたことはあるけど見たことないです」
「そうか、今週末だから浅草まで遊びに来いよ!案内してやる」

当時、横浜で仕事を通じて知り合った大将の弟さんからの誘いだった
祭りの当日、オイラは見物客として軽い気持ちで浅草へとでかけ、
実家である雷門の「ウナギ屋」さんで大将にご挨拶

すると、大将は、
「祭りは見るもんじゃないよ!嫌いじゃねーだろう!?すぐに支度しな」

この一言がきっかけとなり、あれから30有余年!欠かすことなく、毎年、
三社祭に参加している。もちろん「担ぎ手」の一員として・・
「もし来なけりゃ、ヘッドロックしてでも連れてくるからなア~!」

三社祭と言えば、江戸(東京)を代表し、全国的にも有名な祭り
2日間で約200万人の観衆が祭り見物に押し寄せ、祭り好きといわれる
連中にとっては憧れの祭りでもある。しかし、担ぎ手が殺到、喧嘩が絶えず、
あるときを契機に“原則”地元の人間しか神輿を担ぐことができなくなった

そんなわけで、オイラがお世話になった当時は規制なんていうものはなく、
なにより、大将の家業であるウナギ屋の屋号が染め抜かれた半纏!
文句やイチャモンをつけるようなチャレンジャー!?は皆無だった

むしろ、半纏の屋号に気付き、揉め事なしで本社神輿の華棒を担ぐなど、
ありえないような“特典”というか、“特権”が担保されていた

さて、雷門のうなぎ「色川」、創業は文久元年、大将は六代目当主
昭和50年代、色川は知る人ぞ知るという隠れた名店であり、浅草の旦那衆、
その筋の幹部、噺家さん、芸能人、政財界の著名人がお忍びでくる店だった

とてもじゃないが、オイラのような若輩が軽々しく出入りできるような
お店ではなかったし、暖簾をくぐるにはかなりの覚悟が必要だった

あれから30年・・・・
アド街、和風総本家、鉄腕DASH!など、大将は「最後の江戸っ子」として
いろんなメディアに紹介されるようになり、いつしか店の前には大行列!
例え、親戚がこようとその列に並ばずして「色川のうなぎ」にありつけない

その賑わいは年を追うごとに激しさを増してくる
オイラですら“優遇”されることなく、雨であろうと外で待たされる
順番が来て、店に入ると大将が、「悪りーなア」とひとこと

それから何も注文することなく、大将と祭りの話で盛り上がる
三社祭、牛島神社の例大祭、第六天、鳥越の夜祭、など

その間、オイラは一切注文することなく、大将が出す「焼き鳥」「肝焼き」
そして、好物の「白焼き」を本ワサいただく

頃合いを見て、大将が必ず聞いてくれる「メシは食うか?」
「お願いします」と答えれば、飛びっきり上等な「ウナ重」がでてくる
そして、帰りには、必ず女将さんがオミヤで家族分のウナ重を持たしてくれる

そんなわけで、単なる色川の担ぎ手の一員という関係でもなく、客とお店・・
という関係でもない。長年のお付き合いのなかで、オイラと色川さんとの
関係は、大げさに言えば親兄弟のようなものだった

なにより、あのクソガキだったオイラを更生させ、「馬鹿でいいんだよ。
利口になんかならなくていい。気が利く人間。つまり、気配り、目配りが
大事なんだよ」と教えてもらったが、なかなか上手くできない
これは、オイラの永遠のテーマであり、日頃から意識し続けている

2014年3月24日
その日、仕事を終え、行きつけの整体で大将が急逝したとの知らせを受けた
「冗談だろう!よしてくれよ!!」

しかし、浅草界隈の住人達から相次いで同じ連絡を受ける
エプリールフールには早すぎるし、どうも嘘ではないらしい・・
大将は、前日の夜(日曜の夜)、異変を訴え、某病院に救急搬送された

救急車までは自力で歩行したが、乗る寸前、へたり込んでしまったらしい
が、誰もが大事になるほどの事態を想像できず、数日間、「検査入院」して、
何もなかったように、店を開けるものと信じて疑わなかったという

入院の翌日、娘婿が駆けつけ大将を見舞う
その婿さん対しての言葉が「悪り~なア」
大将のなかで最大級の感謝の意を表した言葉。シャイで、「ありがとう」とは
照れくさくて言えない。オイラもよく耳にしたフレーズである

まさかこれが大将の最後の言葉になるとは・・・
24日の昼過ぎに容態が急変、15時26分、家族、そして色川の担ぎで数名が
見守るなか、大将は息を引き取った

大将の信条は何事にも「まっつぐ」
まっつぐ・・とは、真っ直ぐが訛ったもので、言い換えれば「曲がったことが
大嫌い」「自分の信念はなにがあっても変えない」ということだと思う

江戸っ子は、真っ直ぐは「まっつぐ」、いつも一直線!と威勢がいい
いつか大将が言っていた
「江戸っ子はなア、義理と人情とやせ我慢。これっきゃないんだよ!、
これが江戸っ子の心意気、まっとうに生きなきゃ、お天道様に申し訳ねぇからな」

仕事をやり繰りし、大将の亡骸とやっと対面できたのは26日
安らかで、頬には赤みが差し、少し微笑んでいるかのように見えた
千歳から東京へ向かう機内、もし対面すれば「号泣」するんじゃないか?
そう思いながら浅草を目指した

しかし、号泣どころか、涙の一粒も流れてこない
なぜなら、三社祭では、何度も大将の隣で仮眠する機会があり、あの時となにも
変わらず、耳を澄ませば寝息が聞こえてきそう

亡骸と言う感覚はなく、気持ちよさそうに寝ている大将を起こしちゃいけない!
あまり大声で話をしていれば「うるせーんだよ!」と怒鳴られそう!
その日、千束のお寺でお通夜、翌日に葬儀、町屋の火葬場で大将は荼毘に付され、
浅草ビューホテルで精進おとしと、淡々と時間だけが過ぎていく

大将の葬儀に相応しく、生憎の空模様のなか、多くの参列者が大将との別れを惜しんだ
大将が召されてから1週間、いまだ夢を見ているよう。逝ってしまった!という感覚は
まったくない

大将!本当に逝っちゃたんですか?シャレでしょう!?