濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

芝、芝浦界隈

2015年11月25日 | ひとりごと・・

予報通り、昼前から雨が降り出した。昨日から比べれば10℃以上も気温が低い・・・
北海道(札幌)では記録的な大雪になっているという。冬将軍の到来か?
本格的なシベリアの寒気がそろそろ南下してくるんだろうね

午前中、運河の傍らで煙草を吸っていると、オイラのすぐ近くをユリカモメ数羽が旋回、
ハトよりひとまわり大きいが、体型はスマート、次々に運河へと着水していった
ユリカモメをはじめ、茶色い頭のホシハジロなど、次々に渡り鳥が飛来してきた


ユリカモメ


ホシハジロ

北風に流される紫煙越しに、こうした野鳥を見ていると「ようやく冬だなア~」という
実感がわいてくる。ついこのあいだ、飛び立っていたはずなのに、もう帰ってきたの?
ほんと、月日が流れるスピードは、年々早くなっているように感じる今日この頃・・

さて、オイラの職場がある東京港区の芝浦界隈、その昔は江戸湾の浅瀬だったそうだ
その立地条件から、東京湾の重要な海運拠点として重宝され、戦国時代には北条一族の
拠点だったと云われている

特に、芝には平安時代中期から、伊勢宮の分霊を祀った都内有数の古社「芝大神宮」があり、
当時から多くの参拝者で賑わっていたそうだ



文化2年(1805)2月、その境内で行われた勧進相撲で大喧嘩が勃発する!
このあたり一帯を縄張りとする火消し「め組」と勧進元の間に起こった「め組の喧嘩」だ
町火消し「め組」の鳶と江戸相撲の力士たちの乱闘事件!!



明治以降、この喧嘩を題材とした歌舞伎、講談が創作され、そりゃ~人気があったそうだ
オイラ的には、資生堂のCMソングに起用された「め組のひと」を思い浮かべるが・・・

ところで、
め組と聞けば、暴れん坊将軍!など、時代劇の観すぎか?最後の将軍徳川慶喜に仕えた
鳶頭の新門辰五郎を連想する人が大半だ。しかし、新門の頭は浅草「を組」の鳶頭であり、
この事件とはまったく関わりがない!ということを覚えておこう!



また、芝・・・といえば、増上寺(ぞうじょうじ)を忘れちゃいけない
門前が「箱根駅伝」のコースであり、駅伝ファンなら一度は耳にしているはず
徳川将軍家との深いゆかりを持つ増上寺。ここには、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、
九代家重公、十二代家慶公、そして、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所がある



とうことで、今回は、オイラの秘密基地がある芝・芝浦界隈について少し書こうと思う
近ごろはタワーマンションばかりが目立つようになってきたが、そりゃ~~昔から、
芝・芝浦といえば、風情のある町だったそうだ



江戸時代、芝浦は漁村として栄えていく。ここで獲れた魚介こそが「江戸前」だ
特に、芝浦で獲れた魚は芝肴(しばざかな)と称され将軍にも献上されたという
なかでも“海老”は特産品で、芝浦にちなんで「芝海老」となったほどだ

江戸から明治へと時代は変わると、明治5年、新橋~横浜間に鉄道が開通!
すると、芝近辺は発着地も近く風光明媚な土地として活魚料理の料亭・茶店が軒を連ね、
行楽地、花街として大いに賑わう



さらに、明治後期になると、隅田川口の改良工事が始まった
水深を深くするために掘削され、排出された土砂の行き場として芝浦に白羽の矢が当たる
こうして埋め立てが開始される

つまり、現在のJRの山手線の線路までが陸地であり、その東側は一部を除き海だった
その一部とは現在の「浜離宮」だ。江戸時代、ここは関西から運ばれた物資の江戸城へ
入れるための港湾施設として活用された。それは長崎の出島のような埋め立て地であり、
江戸城の「出城」としての機能も担っていたという



浜離宮といえば、海水を導き、潮の満ち干によって池の趣を変える「汐入の池」が有名、
徳川将軍家の別邸として、また、明治維新ののちは皇室の離宮となり、さらに、戦後は、
東京都に下賜されて現在に至っている

ちなみに、かつては、清澄庭園、旧安田庭園なども「潮入の池」だったそうだ
しかし現在、実際に海水が出入りしているのは、浜離宮だけ

さて、大正時代、芝浦海面埋立地が完成、その一帯は東京市「芝区」の一部に編入される
そのころ、東京は「都」ではなく、まだ「市」だった・・・
さらに、昭和初期、芝浦町一丁目に貨物船専用桟橋である芝浦埠頭が完成する

それからまもなくして、芝浦町とその周辺の町域整理が行われ、現在の芝浦・海岸通りの
運河、倉庫群、そしてふ頭などが整備され、東京の「港湾地域」としてさらに開発が進み、
昭和22年、芝区は、赤坂区・麻布区と合併、新たに「港区」が誕生!現在に至っている

言ってみれば、オイラの秘密基地周辺は大正以降に埋め立てられ、港湾とともに街づくりが
行われた比較的新しい地域だ


レインボーブリッジから見た芝浦ふ頭

時代は昭和、一時、それまで何もなかった芝浦が日本中から注目されたことがある
それは、バブルを象徴する「ジュリアナ東京」の登場!!
いまはその面影もないが、オイラの秘密基地から歩いて数分のところにあった・・・

芝浦・海岸通りまでの最寄駅はJR「田町」もしくは「浜松町」
海側に歩いてくると幾つもの運河が交差し、そのうえをモノレール、そしてゆりかもめが
通過していく。ビルの間から東京タワーやレインボーブリッジも見ることができる


東京モノレール


ゆりかもめ

オイラにとって、けして住みたい!という街ではない
ただ、仕事をするうえで、水辺があるってーのは本当に癒しになるなア~~
小さな漁港から発展した芝・芝浦界隈、どことなく横浜にも似ているね

月の話

2015年11月25日 | ひとりごと・・

昨日とは打って変わって、朝から底冷えがする東京の芝浦運河
気温差は10℃!日替わりで気温が急上昇したり、急降下したり・・・
日を追うごとに街でもマスク姿の人が増えてきた

現在の芝浦運河は曇り
兎に角、北風が強く寒い!そして、今にも雨が降り出しそうな雲行き
日の出の時間も遅くなり、また、曇っていると日中でも薄暗い

さて、昨日の夕方、
仕事を終え、芝浦埠頭の駐車場からの帰り道
東京湾の東の空に丸い月が目に飛び込んできた

まだ不完全な“円”ではあるが、ほぼ“満月”に近い堂々とした月だった
調べると、明日(26日)が満月、ということは満月の2日前、新月から数えて13日目の月
月には、それぞれ月齢にあった風情ある名前が日々ついている

例えば、昨日はシンプルに月齢13日目なので「十三夜」
十五夜の月見だけでは、「片月見」といって縁起が悪いとされ、十五夜に
月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものともされていた

そして、今日はこれから天気が下り坂、早ければ午前中から明日まで「雨」の予報
ほぼ100%の確率で月を見ることはできないと思う・・・
ちなみに、月齢14日目は「小望月(こもちつき)」という

満月(望月)の前夜の月であり、「近い」という意味を持つ「幾」の時を用いて
幾望(きぼう)とも呼ばれている

「十三夜」、「小望月」をへて、に明日(26日)は「満月」
またの名を望月(もちづき)という。地方により、十五夜にはサトイモなどを供える
そのため、「芋名月(いもなづき)」とも呼ばれる。肉眼で見るのには最高の月だ

そして、満月の翌日は「十六夜(いざよい)」
満月から1日たった十六夜の月は、出てくるのをためらっている(いざよっている)
そのため、この呼び名が付けられたと言われている。なんとも「粋」だね
ちなみに、以下は、今日から十六夜まで、東京の月の出(入り)の時間だ
天気は悪そうだけど、雲の切れ間からでも月が見えればいいね

11月25日(水)月齢14日目 「小望夜」 月の出 16:13 月の入り 05:08
11月26日(木)月齢15日目 「満 月」 月の出 17:03 月の入り 06:16
11月27日(金)月齢16日目 「十六夜」 月の出 17:57 月の入り 07:20

さらに、満月に近いということで、いまは「大潮」の時期だ

潮位の差が激しい時でもある。現在の芝浦、すでに満潮時間を過ぎており、
徐々に潮が引いている。次の満潮は16:06、運河沿いの遊歩道ぎりぎりまで
潮位があがり、一段低いところは完全に水没する

そして、今夜22:37に干潮を迎えるが、その干満の差は約2m!!
干潮時には運河の底にはほとんど水がない状態まで干上がる

月と潮の満ち引き・・・
不思議な因果関係があるんだよね