濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

お彼岸(7)

2016年03月17日 | ひとりごと・・

あいだみつお・・の詩にもでてきたけど“娑婆”ということば
判り易く言えば、受刑者など、外の自由な世界をさしていうことが多い・・・
本来は仏教用語であり、煩悩や苦しみの多いこの現世を意味する

つまり、彼岸でいえば「此岸(しがん)」と同じ意味をもつ
檻のなか、ヤクが切れ、悶絶中の某野球人。報道によると、まもなく娑婆にでてくるという
しかし、彼にとっての娑婆はけして自由の身ではない

さて、これまで書いてきたような様々な要因を経て、江戸時代頃から彼岸に墓参りをする!
こうした風習が起こったと伝えられている

また、昔から、彼岸の時期は気候的にもよい時期であるため、墓参りにかこつけて、
ピクニック感覚と言った娯楽としての側面もあったと考えられる。それはそれでよし!
心から手を合わせる・・・これが大事

ある議会でのこと
3.11に議会場で「黙とう」を行ったそうだ
しかし、そのまえに「けして寝ないように!」と事務局から注意喚起があったという

傍から見れば“難しい顔して黙とうしている風”に見えるが、実は中身がない
見せかけ、上っ面だけのパフォーマンス!じゃねーか!

よその市町村がやっているから、しないよりはやったほうがいい・・・
それだけの理由で黙とうなどしてほしくないね

今回の「彼岸」は宗教的な内容に見えるが、実は、人として生きていくうえで当たり前!
だけど、忙しさにかまけて「何かわすれちゃいませんか?大切なことを!!」
大袈裟にいえば、その起爆剤となれば・・・幸甚です・・・

おしまい

お彼岸(6)

2016年03月17日 | ひとりごと・・

お彼岸の定番といえば「ぼたもち」だ。オイラの大好物であり、彼岸といわず食べている
ところで、「ぼたもちと」と「おはぎ」、いったいどこが違うのか? 

実は、基本的には同じで、季節によって呼び名や作り方が変わるだけ
通称は「ぼたもち」というのが正しい。餅は、五穀豊穣、小豆は魔除けに通じる
そのため、日本の行事に欠かすことができない!

ただし、昔から金ちゃんが貰ったような“ハート型のぼたもち”などは存在しない!!
毎日もらえるハート型・・・・それはauだけ

さて、今と違って昔は甘いものが貴重だったため、ぼたもちといえば大変なご馳走!
大切なお客様、お祝い、寄り合いなどでふるまわれ、法要の際にも必ずお供えされた
お彼岸にお馴染みなのもそのためである

とくに、労せずして思いがけない幸運が巡ってくる例え、そして、オイラの座右の銘!
「棚からぼたもち」本当に棚からぼたもちが転げ落ちてきたら嬉しいね!!

バカなことを書いてしまったが、ここからが本題だ
「ぼたもち」と「おはぎ」、春に咲く牡丹の花にちなみ、春は「ぼたもち」といい、
漢字では、「牡丹餅」と書く。で、秋は萩の花にちなんで「おはぎ」、「御萩」と書く

また、呼び方だけではなく、春と秋では形も異なる
牡丹は大きくて丸い花、萩は小さくてやや細長い花・・・
そこで、「ぼたもち」は大きめで丸い形に、「おはぎ」は小ぶりで俵の形に作りる

実は、形だけではない!アンコにも違いがある!!
材料となる小豆は秋に収穫される。獲れたての小豆が使える秋は、皮ごと使った粒あん、
冬を越した春は、かたくなった皮を取ってこしあんにして使う

つまり、「ぼたもち」はオイラの好きな“こしあん”で、「おはぎ」は粒あんってーこと
さらに、「ぼたもち」「おはぎ」だけではなく、夏と冬にも洒落た名前がちゃんとある
夏は「夜船」、冬は「北窓」

どちらも「言葉遊び」であり、お彼岸とは違って本格的な餅つきは不要!
家で食べる分だけ静かに作れることに由来している

夏の「夜船」は、闇にまぎれ、いつ着いたのかわからない
餅なのに、いつついたのかわからない

冬の「北窓」は、北向きでは月を見ることができない
つまり、月(つき)を知らないから「北窓」・・・・

このように、「牡丹餅」「夜船」「御萩」「北窓」と春夏秋冬それぞれに呼び名がある
昔の人って本当に洒落ている!こうした言葉、そして、お彼岸とは・・・
こうした伝統文化をしっかり次の世代に継承するのが使命だと思っている

お彼岸(5)

2016年03月17日 | ひとりごと・・

「暑さ寒さも彼岸まで」というが、
蛇足になるが、春分と秋分に昼と夜の長さがほぼ同じになる
しかし、昼と夜の長さが同じとはいえ、春分と秋分の気候は大きく異なる

もちろん、秋分のほうが10度以上も気温が高いのは当たり前であり、
厳しい残暑や寒さもようやく目処がつくことがちょうど“お彼岸”
そのため、「暑さ寒さも彼岸まで」と云われるようになった・・・・

とくに、四季がある日本では、自然に寄り添う暮らしの中で、暑さ寒さやそれに伴う
様々なつらさも、彼岸のころには和らいで楽になるよ!!もう少し!!ガンバレ!!
「暑さ寒さも彼岸まで」には、こうした励ましの意も込められている

お彼岸(4)

2016年03月17日 | ひとりごと・・
さて、ここから少し難解になってくる
先にも書いたが、お彼岸とは、般若心経の「摩訶般若波羅蜜多心経」の「波羅蜜多」だ
仏教界ではこのお彼岸を波羅蜜多といい、「到彼岸」と訳(解釈)している

欲望や迷い悩み多いこの現実世界(此岸)、そして、苦しみのない理想世界(彼岸)
「到彼岸」には、迷いの此の岸を去り、向こう岸にある悟りの彼岸に達する!
そういう意味があり、彼岸に達するには、6つの“修業”が求められている

6つは、六波羅密あるいは六度と云われ、これを実践することが“中道”、つまり、
何事にも偏らず、お天道様に笑われないよう!まっつぐ!ってーことだ
ちょうど、きょうは「彼岸の入り」。きょうから中道を実践してみよう!!

1. 布施
布施とは、施し尽くしても結果を求めないこと(見返りを求めない)
お布施=お金をイメージするが、日常人々に笑顔で接したり、荷物を持ってあげる

また、お年寄りには手を差し伸べ、ときには、席を譲るということも「布施」だ
とくに、経済的に豊かであっても「他に施す」ことができなければ“ダメ”

彼岸とは、お菓子であったり、綺麗な花を供えることではない
墓前で、心から手を合わせること。これこそが“最高の布施”といえる

2. 持戒
持戒とは、教え(戒め)に従って生きるということ
一般的には戒という字がはいることで「制止(禁止)」と受け止めがちではあるが、
持戒とは、他から強制されるものではない

玄関で履き物を揃える・・・つまり、持戒とは、「自己の足元を見る」ということであり、
また、「自分の身の丈にあった」生活を送るということだ
教えであり、戒めであっても、これを100%実践するのは困難なこと

せめて、お彼岸には墓参りをし、心鎮めて自らの生きざまを振り返る・・・
これこそが“持戒”といえる

3.忍辱
忍辱とは、人からの辱めを堪え忍ぶ・・・と解釈しがちであるが、それは違う
人から嫌なことを言われ、それを堪忍袋に入れて我慢する・・・ということではない

忍辱とは、単に耐え忍ぶということではなく、ののしりや辱めを受けても相手に対して
けして悪意や怨みをいだかない!簡単にいえば大人の対応!で耐え忍ぶ道ということ
オイラにとって最も苦手な修業かもしれない・・・・

4.精進
精進とは、正しいことに向かって怠ることなく努力するということ
よく、がむしゃらに頑張る!という人がいるが、それは努力であり、精進とは言わない

しかし、人によって「正しいこと」に対する尺度が違うわけで、精進しているはずが、
その方向が誤っていた場合、頑張るほど道からずれてしまう!
要は、正しいことに向かって努力する・・・即ち!一生「勉強」ということだ


5.禅定
禅定とは、日々の慌ただしいなか、わずかの時間でも心を落ちつけることができる
そうすれば、心が静かになると本来の感性がよみがえり、今まで聞こえなかった鳥の声、
そして風の音までも聞こえてくる

忙しい!忙しい!というなかれ!!落ち着いて、しっかり見て、しっかり聞くこと!!
そうすれば、今まで見えなかった「何かが」見えてくる・・・ということ

6.智慧
智慧とは、自分の人生は自分で責任を持ち、自分で豊かにするという意味がある
自分が輝けるのは自分次第!!それには、自分を認め、自分を励まし、自分を高めることだ

つまり、これまでの1~5を自分の信念で実践(修業)することが自分のためであり、
これをしっかりしておけば「彼岸行き」を約束するよ~~ってーことだ

お彼岸(3)

2016年03月17日 | ひとりごと・・

お釈迦様の「悟り」の真髄とされるのが「中道(ちゅうどう)」と云われている
実は、この中道とお彼岸には深~い関係がある!
中道とは・・・これを知ることで“お彼岸”“お釈迦様の教え”を理解しよう!

先にも書いたが、春分と秋分の日は、一日の昼と夜の長さがほぼ同じである
しかも、太陽は真東から上り真西に沈む。つまり、こうした右にも左にも偏らない!
この精神こそがお釈迦様の教えなのである

この世界のすべてのものは、上下、前後、好き嫌い、重い軽い、左右、善悪、明暗、
交感神経と副交感神経など、常に相対するなかでバランスをとって生活をしている
しかし、対立するどちらにも偏らず、どちらも見ながらどちらも生かしていく!
この考え方こそが「中道」だ

このバランス感覚さえ持ち合わしていればオイラも・・・・
そうは言われても・・・・偏ったっていいじゃないか!人間だもの(与太郎)

春分・秋分という自然現象に例え、お釈迦さまの説かれた「中道思想」を布教するため、
日本には、いつの日からか“お彼岸”という仏教行事ができあがった
このお彼岸という行事は信仰心を向上させよう!とする日本独自の行事である

また、春の種まきや秋の収穫とも結びつき、自然に対する感謝や祈りが、
ご先祖様に感謝する気持ちにも繋がり、お彼岸は大切な行事となった・・・

「極楽を保障されても娑婆(此岸)がいい」・・・・みつお

お彼岸(2)

2016年03月17日 | ひとりごと・・

お彼岸は、サンスクリット語の「波羅密多」から来たものといわれる
いまオイラがいる現世、仏教では、煩悩と迷いだらけの世界を【此岸(しがん)】という

しかし、仏教の「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の修行をする事で「悟りの世界」である
“あの世”即ち、【「彼岸」(ひがん)】の境地へ到達することが出来ると云われる

その“此岸”は東に、“彼岸”は西にあると云われ、太陽が真東から昇って真西に沈む、
秋分と春分は、此岸(現世)と彼岸(あの世)がもっとも通じやすくなると信じられ、
昔から“彼岸”に先祖供養(供養は六波羅蜜のひとつ=修業)をするようになった

つまり、お彼岸とは、単に墓参りすだけが目的ではない
「迷い」「悩み」「煩悩」に惑わされている人間が、悟りの世界と通じるときであり、
心からご先祖を供養することで、自身が彼岸へいくための修業なのである

そのため、お墓参りは家族みんなで出かけることをお奨めする
なぜなら、お墓は家族全員でお守りしていくべきものであり、両親がご先祖様を祀る姿を
後の世代に受け継いでいく義務があるから・・・と、オイラは思う

お彼岸(1)

2016年03月17日 | ひとりごと・・

彼岸という言葉や「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句は知っていても、春と秋の2回、
なぜ墓参りにいくのか?など、その理由など知らずに恒例行事として淡々と行っている?
そういう家庭が大半を占めている。この際、きちんと「お彼岸」の意味を理解してみては

春には「春分の日」、そして、秋には「秋分の日」として国民の祝日になっている
春分と秋分は、いずれもオイラのブログにも度々登場する二十四節気のひとつであり、
簡単に言えば、“春と秋の折り返し地点”と考えれば判り易い

◎春分は春(立春~立夏の前日)の折り返し地点
⇒春分以降、昼の時間が長くなってゆく⇒寒さが和らぎ暖かくなる

◎秋分は秋(立秋~立冬の前日)の折り返し地点
⇒秋分以降、昼の時間が短くなってゆく⇒暑さが和らぎ涼しくなる

さて、彼岸には春彼岸と秋彼岸があり、先に書いた「春分の日」、「秋分の日」を中日として、
その前後の3日を合わせた7日間を“彼岸”という

ということで、2016年のお彼岸は、
【春彼岸】 
3月17日:彼岸入り
3月20日:彼岸の中日
3月23日:彼岸明け

【秋彼岸】
9月19日:彼岸入り
9月22日:彼岸の中日
9月25日:彼岸明け