(階段の壁面。左は緒方洪庵の肖像画。)
たぬ吉に、ランチを大阪大学中之島センターのカフェで食べたことをLINEしたら、
「あそこには昔、阪大の医学部があったんや。」と言う返事が返ってきた。
大阪大学中之島センターは、大阪大学医学部と、附属病院が移転した跡地に造られたらしい。
それで、階段の壁面に緒方洪庵の肖像画が掲げられてたんだね。
医学部があったということは、附属病院も中之島にあったということだ。
ねこ吉が小学校2年生の夏休み中、母(養母)は阪大病院で乳がんの手術をした。
ねこ吉は、加古川の叔母の家に預けられ、2学期が始まっても母は退院できなかったので、尼崎の家に帰って学校に通い、母が仲良くしていた隣のオバサンが食事を作ってくれた。
父(養父)は、当時名古屋に単身赴任をしていたのでいなかった。
夜は、一人で寝ていたと思う。怖かった。
一度だけ、隣のオバサンに連れられて阪大病院に母の見舞いに行った。
4,5人部屋で、母は編み物をしていた。
薄いピンクのタコ糸?で、ねこ吉のバッグを編んでいた。
同室の人に教えてもらったと言っていた。ちょっと変わったバッグだった。
リンパ節もとった全摘の手術だった。
一生、片腕がむくんでパンパンに腫れていた。
辛い人生だったと思う。
周りの人に、「ねこ吉のお母さん、ガンなんだってね。」といわれ、ねこ吉は小さいながらも「ガンは怖い病気なんだ。もし、お母さんが死んだらどうしよう。」とずっと思っていて、暗い子供時代だった。
ねこ吉は二十歳まで、自分が養女だということを知らずに育ったけど、もし、あの時母が亡くなってしまっていたら、ねこ吉の事は誰が育ててくれたのだろう・・・。
実父母の元に戻ったのだろうか・・・。
ランチを食べて、阪神電車の福島駅まで歩きながら、大昔のことを色々思い出してしまい涙が出た。
又、たぬ吉は、大阪大学の法学部を受験して、不合格で、翌年も不合格で・・・。
合格発表は、医学部でも見られるので、ここへ見に来たんだって!
さぞ、帰り道はがっくりして帰ったことだろう。
2人ともこの地にいい思い出は無いね。
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