Festina Lente

ゆっくり急いでまいります

コスミックトリガー

2007年06月01日 | Blog徒然草
コスミック・トリガー―イリュミナティ最後の秘密

八幡書店

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宗教的な感情というものは、どんな無神論者にも存在する。
またいつの時代にも存在する。
つまり、人間は本来「宗教的な」動物なのである。

さて、超自然、超現実の前に人間が独り立たされた時、人間のとりうる態度は、つまるところ2つである。ひとつは、パラノイア的妄信か拒絶、もうひとつは、不可知論である。僕も筆者と同じくチャペル・ペララスから、不可知論者になって出てきた。

村上陽一郎氏の著作に書いてあったが、400年前のペリパトス学派たちは、「科学的」であるがゆえに、ガリレオの望遠鏡を覗くことを拒否したのである。ガリレオの説のように、当時「非科学的」と一蹴されたものも、現代からみれば、「科学的」真実だったのである。したがって、科学とはあらかじめ出来上がった一枚岩の知識体系などでは決してなく、時代の価値体系をそのまま反映したものなのである。それがあたかも辻褄があっているかのように見えるのは、歴史に現代を投影して見ているからにすぎない。
とすれば、現在科学に受け入れられていないものの中に、400年後の視点で見ればきわめて「科学的」な事実が含まれているかもしれないのである。

こう観ると、科学も、実に「宗教的な」ものであることがよくわかる。
無神論も唯物論も決定論もカオス理論もすべて、一種の「宗教的」信念に支えられている。

そもそも、人間の考えなど、大昔から大して変わっていないのだ。また、個性的たらんとして奇を衒うような態度もつまらない。ただ、興味をもつのは人に押し付けない限りかまわないと思う。

精神の遍歴を繰り返して、たどり着いた結論は、僕の場合は個の認識の限界に基づく不可知論という宗教なのだ。
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大宇宙の神秘と人間の可能性を教えてくれた人

2007年06月01日 | Blog徒然草
Cosmos Collector`s Edition (7pc) (Coll Box)



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小学生のとき、テレビ朝日で、「COSMOS」というドキュメンタリー映画を連夜放映していたことがあった。
宇宙の神秘を素晴らしい映像で魅せてくれた。それだけでなく、人類の歴史の中のさまざま人間の挑戦や挫折、理不尽、正義などをこれまた素晴らしい映像で魅せてくれた。僕は、次から次へと紹介される宇宙のこと、人類のことをそれこそ夢中になって観ていた。
中学生になり、そのホストを務めていた人が、コーネル大学の先生で、カール・セーガンという人だということを知った。そして、いつしか天文学者という職業にあこがれをもった。
時は流れて、僕は天文学者にはならずに大学で国際政治学を勉強していた。
とても仲良くしていた友達がコーネル大学の大学院に留学した。そのときまだカール・セーガンは現役の教授だった。彼は学際的な講座を担当していて、僕も、講座をとった友人を通じて彼の専門分野を越えた広く大きな知性に触れて大いに感銘を受けた。本当の賢者とは、第一級のスペシャリストであると同時に、歴史的、地球的観点に立ってものを考えられるゼネラリストのことではないか、とそのとき思った。

もう一度これを観て原点に回帰したいなあ・・・。

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