旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

中山道紀行3 蕨宿~浦和宿

2010-12-25 | 中山道紀行

「蕨宿」 12:50
 中山道など五街道が整備されたころ、当初は板橋宿の次は浦和宿だった。
両宿の距離は約14.4kmと遠く、しかも間に戸田渡しが増水で渡れない場合もあったため、
蕨宿が慶長17年(1612年)頃整備されたそうだ。
平坦な場所に立地しているため、宿場の周囲には堀を廻らせて防御としたと云う。
蕨宿の広がりは十町(約1㎞)ほどで、道幅は六間(約11m)と広い。
宿場の規模は江戸近郊部では浦和宿や大宮宿を凌いで最大であった。

「辻一里塚」 13:30
 第3日目、蕨宿から浦和宿の道のりは、これといった見所の少ない区間だった。
蕨宿を出るとすぐにR17とクロス、しばらく進めて外環道の直下が辻一里塚跡だ。

さらに六辻でもう一度R17とクロス。写真左手前から右へ延びるのが中山道。
R17との交錯は、きっとこの先何度も繰り返すことだろう。

「焼き米坂」 14:10
 R17とクロスすると緩やかな上りとなる。そしてJR武蔵野線を越える辺りが焼米坂。
籾のままの米を炒ってから搗いた焼米は、おやつや携行食にしたそうだ。
なんともかわいらしい名前の坂道だ。

「調神社」 14:25
 焼米坂を上りきるとやがて右手に見えてくるのが調(つき)神社。
地元では「つきのみや」と愛称され、鳥居のない神社として知られている。
月の動物・兎が神の使いとされ、狛犬の代わりに石像、彫物、絵馬などに現れる。
御祭神は天照大御神、豊宇気毘賣神、素盞嗚尊の豪華なクリーンアップトリオ。
我が家が初詣に出かけるのもこの神社だ。

「浦和宿」 14:50
  浦和宿は日本橋から3番目の宿場、本陣1、脇本陣2、旅籠15軒とかなり小さな宿場だ。
宿並の外れでには、浦和宿二・七市場の碑。「碑」なのか「跡の碑」なのか判らないが、
刻まれた年は天正18年。なんと小田原攻めの年だ。
蕨宿から浦和宿へは5.4km、所要2時間のちょっと短い散歩のような行程だった。