大小刀 長運斎綱俊
大小刀 長運斎綱俊
綱俊は加藤八郎と称し生国が出羽国米沢。水心子正秀の門人加藤國秀の二男として寛政十年に生まれた。江戸に上って父と同じ水心子正秀の門に学び、天保年間から長運斎の号を用い、米沢藩上杉家の抱工として江戸麻布飯倉片町の藩邸に起居し、ここを鍛冶場と定めた。この刀は、綱俊の初期の濤瀾乱刃出来。良質の鋼を用いたものであろう、地肌に潤いが満ちている。この微塵に詰んだ地鉄が綺麗に粒の揃った沸からなる刃文を生み出す。□
大小刀 長運斎綱俊
綱俊は加藤八郎と称し生国が出羽国米沢。水心子正秀の門人加藤國秀の二男として寛政十年に生まれた。江戸に上って父と同じ水心子正秀の門に学び、天保年間から長運斎の号を用い、米沢藩上杉家の抱工として江戸麻布飯倉片町の藩邸に起居し、ここを鍛冶場と定めた。この刀は、綱俊の初期の濤瀾乱刃出来。良質の鋼を用いたものであろう、地肌に潤いが満ちている。この微塵に詰んだ地鉄が綺麗に粒の揃った沸からなる刃文を生み出す。□