祐定の工銘は、全刀工の中でも最も多い。祐定は戦国時代に隆盛した作刀技術集団であり、現代風に言えば規格化された製造工程を持つ武器製造会社である。良く言われるように、量産品の製作は分業であった。特別の注文作に関しては、与三左衛門尉や源兵衛尉のような棟梁祐定か、指定された特定の祐定が、最も重要な鍛えと焼き入れを施したと考えてよいだろう。銘鑑を見ると、祐定銘は南北朝期に始まるようで、永享、寛正、明応頃から次第に増え、永正頃から急激に遺例が多くなり、年紀作も遺されていることから、この頃の当主彦兵衛尉祐定が一門をまとめて、多大な需要に応える体制造りをしていったと思われる。祐定の時代的な流れを俯瞰してみようと思う。どのような移り変わりがあるのだろうか。それが見えてくるだろうか。
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短刀 備州長舩祐定 明應五年
個銘は記されていないが彦兵衛尉祐定の両刃造短刀。以前にも紹介したと思う。時代の上がる短刀は、上身が短く茎が長めの姿格好。地鉄は良く詰んだ小板目肌。わずかに腰の開いた互の目の刃中に砂流沸筋、金筋が稲妻状に流れ掛かる。
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短刀 備州長舩祐定 明應五年
個銘は記されていないが彦兵衛尉祐定の両刃造短刀。以前にも紹介したと思う。時代の上がる短刀は、上身が短く茎が長めの姿格好。地鉄は良く詰んだ小板目肌。わずかに腰の開いた互の目の刃中に砂流沸筋、金筋が稲妻状に流れ掛かる。
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