昨日は、母の日でした。
もう一年の間、母とは2か月ごとに10分、しかも画面越しでしか会っていません。
お菓子などの贈り物も病気をしてからは行っていないので、
母の日として、何かをプレゼントしたのも遠い昔。
不義理な子供です。
療養所に入院する前は、
介護のヘルパーさんが日中の2時間程度は母の様子を見ていてくれてはいましたが
そのほかの時間は一人で東京の実家で過ごしていたので、
なにかあっても、電車で2時間後にしか着くことができず、
とても心配でした。
テレビの前に緊急ボタンがありましたが、
自分で押せなければ、飛んでいけませんでした。
でも、一年前から完全介護の療養所に入院してからは、
すくなくとも看護師のだれかが見ていてくれる、看ていてくれる
その安心感があります。
そういう意味では、療養所への入院が
不義理な息子から母への最後の母の日プレゼントだったのかもしれません。
ただ、
いまや寝たきりで話すこともできない母にとって
それが幸せなのかは、わかりません。
今週末、また孫一家と10分間のリモート面会に行ってきます。
それはともかく。
私と梅ちゃんも、年金生活が始まって、
いつ母とおなじようになるかわからない歳になりました。
2人の息子は、すでに育った家、育った街をでて、
少なくとも電車や車で一時間くらいの距離に
自分の生活を始めています。
もしこれから先、私か梅ちゃんのどちらかが欠けた場合、
遠く一人で住む母に対して、かつて私が思っていたことを、
今度は私たちの息子たちが、残された片親(私か梅ちゃんか)に対して思う番になるんだろう
一部怪しい所も見えてきてはいますが、
まだまだ私も梅ちゃんも正常(そうな)判断ができる脳を持っている今のうちに、
子どもたちに心配をさせないように
自らの将来を決めておくことが終活なんだろう。
私は、先日の4月の年金支給日に想ったことを
考えているよ・・・
梅ちゃんは、どうするの?
先週、孫の家を訪問した帰りに、
子ども夫婦から、母の日のプレゼントをもらい
次の日には、腹いっぱいになっていた梅ちゃんよ・・・
そのお返しは、自分の将来についての考えをまとめて
子どもたちを安心させてあげることなんじゃないかなぁ
どーよ!