のぶまさのヒザシマツヤマ(申松山)備忘録

日差しあふれるわが街、東松山を
日を串刺ししてる字「申」をあて
申松山でヒザシマツヤマと褒めたたえています

「監視療法」もうすぐ15年

2023年03月27日 18時17分13秒 | 共病記

私は、コレかぁ(^^)/~~~

「監視療法」の15年生存率は手術や放射線治療と同等』という記事がありました。
記事によると、
前立腺がんと診断された後、
治療せずに経過を観察する「監視療法」を受けた患者の15年後の生存率が、
放射線治療や手術を受けた患者と同程度という臨床試験の結果が英国で報告された。
とのこと。
有料記事のため、臨床試験の詳細までは読めませんが(T_T)、
私には嬉しい記事です。

来月初めには半年ぶりで、小江戸の先生のところに
30秒ほどのあいさつに行ってきます(^_-)-☆

思い起こせば、中国駐在初年度の人間ドックinJapanで
オプションにマーカー検査を追加したら、一発で引っ掛かり、
色々な検査を経て、病が確定。
中国駐在最終年度から治療開始。

その時に現在お世話になっている先生から
4つの治療を示されていました。
1.放射線治療
2.手術
3.化学(ホルモン)療法
4.(保険が効かず高額、かつ3カ月間毎日治療)
、10年前の3月のプログには、
切ったり埋めたりはしたくありません。
化学療法でお願いします。

その選択の理由は、
1は、孫が抱けなくなる
2は、男でなくなり、オムツも必要かも
でした。

監視療法』で検索すると、監視療法の基準は、
1.PSA 10ng/mL以下
2.ステージ T2以下
3.陽性コア数 2本以下
4.グリソンスコア 6、7の一部
とのこと。
私の場合は、当初見つかったときの状態は
1.PSA 11ng/mL
2.ステージ 不明
3.陽性コア数 4本
4.グリソンスコア 不明
だったと思います。
なので、先生ははじめから『監視療法』をせずに、
まず化学療法を勧められたのだと思います。

それから約2年のホルモン治療のあと、
しばらく治療をやめて観察しましょう』となり、
当初は3カ月おき、現在は6か月おきのマーカー検査と
30秒ほどの先生とのあいさつになりました。
つまり『監視療法』が約10年弱続いています

化学療法のおかげで、体形は女性化しましたが、
マーカーの数値はずっと1以下が続いています。
その間、たくさんの芸能人が同じ病で旅立つのを見送りました。
脚本家の三谷さんも同じ病で2.の治療法を選択したと知りました。

見つかってから早12年。
たぶんその前から、
アレは活動を開始していたのでしょうから
そう考えると、もう15年生存率はクリアしているころと思われます。

来月初めのマーカー数値が上がっているのかそのままなのか
それによっては、再び4つの選択を迫られるのかもしれません。
いつもその覚悟はできていますが、
そのとき、なにを選択するか・・・
孫は抱きたいしなぁ・・・
そろそろオムツでもいいかなぁ・・・
パンツ型がいいなぁ(^_-)-☆

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満開から2週間後じゃ・・・(T_T)

2023年03月27日 15時07分59秒 | 日記

去年は3月25日に行ってました。
その時は、こんなでした。



埼玉県坂戸市北浅羽桜堤公園の安行寒桜です。

今日3月27日、梅ちゃんに誘われて行ってきましたが・・・(T_T)
こんなでした。





駐車場もすんなり入れたし、おかしいなと思いましたが、
人影もまばらで・・・

帰ってきてから公式ページを見ると


満開は、2週間前でした(^-^;
事前に公式ページを見なきゃだねだね・・・

ツーことで、気を取り直して
近場の古代人の横穴のお墓に行ってきました。

ここはまだ満開でした(^^)/~~~


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ムーアの法則

2023年03月27日 07時18分22秒 | ニュース・記事

ムーアの法則・・・

インテル共同創業者ゴードン・ムーア氏死去』というニュース
記事によると
米インテルの共同創業者ゴードン・ムーア氏がハワイの自宅で死去(94歳)。
ムーア氏は半導体の集積度が「2年で倍増する」という「ムーアの法則」を唱え、
半導体やIT産業の発展の基礎を築いた。

1957年にロバート・ノイス氏らと共に半導体メーカーのフェアチャイルド・セミコンダクターを創業。
68年にノイス氏と共同でインテルを創業し、
79年から8年間、最高経営責任者(CEO)を務めた。


元電気回路設計者としては、ムーアの法則はなつかしい。
初めてこの法則名を聞いたときには、
電気回路の基礎・
オーム(ohm)の法則V=IR
の派生かと思いましたが、
電気回路には関係のない
集積回路(LSI)の性能向上に関する将来予測:LSI上のトランジスタの数は2年で倍になる
でした。
その後、性能向上速度は修正されましたが、
私が社会人になった当時のCPUは、当時は中央処理装置と読んでましたが、
ようやくインテルの8008が出てきた辺り。
その後、マイクロプロセッサ、マイコンなどと呼称が変わり、
私が初めて設計したのは、8ビットマイコン8085からでした。
8ビット時代は機械語を暗記できて、
ROM内容をROM転送して直接パッチを当て別のROM作成することも
緊急・現場ではおこなっていました。
その後16ビットマイコン、8086、80186、V30、V35などを自社の製品に搭載し、
ソフト設計も行いました。Vシリーズは、わが日本・NECのマイコンです。
正直、16ビットからは、ソフト設計も高級言語Cに頼っていましたが、
ムーアの法則を実感したサラリーマン時代でした。

インテルの歴史とともに自分の法則を感じながら
94歳のムーアさんは、
現在のインテル、現在のスマホ技術、アップルの躍進を
どう感じていたんでしょう。
もっとインテル入ってた!
と思われていたかも(^_-)-☆

ご冥福をお祈りします。

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