昨日はイーヴォ・ポゴレリッチ氏のピアノリサイタルでした。話題が多く個性の強そうな彼の演奏、ぜひ聴いてみたかったのです。職場から抜け出すように退社し、サントリーホールへと向かいました。間に合うかどうかひやひやしながら駆け込んだのですが、無事、間に合いました。
曲目は以下の通りです。
曲ごとに楽譜を譜面台の上に置き、弾かない曲は床の上にぱたりと置いていました。譜めくりさんがついていました。
ショパン: ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op. 35 「葬送」
リスト: メフィスト・ワルツ第1番
休憩
ショパン: ノクターン ハ短調 op.48-1
リスト: ピアノ・ソナタ ロ短調、
以降、「である」調で書きます。
大好きなショパンのピアノソナタ第2番。第1楽章、出だしの駆け込み方は通常の演奏よりもむしろ気がしたがその後長調になるところでゆっくりと包み込むようにかみしめるように聴こえた。そして畳み掛ける和音が続くところは勢いよく駆け込み、甘いところはとことん甘くなっていた。そして激しいところはナイフの刃と吹き出す血のように直線的で激しいものになっていた。速いところとゆっくりなところ、pとfの振れ幅が非常に大きい演奏をされる方だと感じた。第2楽章はさらに妖気が増していたような気がします。出だしのぞくぞく感からぐいと引っ張られそうな気がした。そして中間部がすごかった。ゆっくりと打鍵しているのだろう、遠くまで甘く優しい音色が広がって天国のような世界が広がっていた。そしてそういうところほど、ゆっくりとフレーズや間合いを感じとり、納得させながら弾いているような気がした。第1楽章か第2楽章のどちらかだったが、跳ね上がるところは跳ね上がる勢いとともに独自に重みを加えていると感じるところがあり、その中に熱く通っている血を感じた。第3楽章もそう。出だしは意外にあっさりとした感じがしたが旋律となるところをちょっぴりぼやかして内声をくっきり浮き出させたりしていた。中間部、これがまたたまらなかった。切なさとかやるせなさという感情をえぐりだしているような演奏。思わず天井を見ながら演奏を聴いていた。弱音でゆっくり弾くことって、本当に難しいと思うのに、彼はそれを見事にやり遂げていた。
リストのメフィストワルツ、この演奏は白眉ものだったと思う。出だしの三連符、ずっしりとしているのだけど何かに取り衝かれたような感じ。がやがやしていた。叩きつけていたところもあった。しかし中間の展開部での音は非常に切なくたまらない内容だった。その部分、今でも頭に残っていて思い出せる。
休憩。何も食べずに来たので長引いたら途中でばてるのでは、という予期不安は外れ、ほとんどお腹もすかない状態。喉は乾いたので飲み物だけは飲んだものの。食べ物よりも心が満たされつつあったのだと思う。
休憩後、すごかったのがリストのロ短調。出だしからヘビー級の練られた音のつぶやき。そして激しすぎる嵐と竜巻。自分の中の深いところからとことんえぐりだしているようなすさまじい打鍵。曲を通じて心の叫びを伝えているような気がした。ゆっくりいているところはとことんかみしめて弾いていた。自分の音を聴いて納得できるものを出そうとしていたのだろう。間合いの取り方が絶妙なのか、非常に長時間の演奏だったのにもかかわらず、全く飽きることがなかった。彼の魔のような表現によって、よきものもわるきものもすべて人の心がわしづかみにされ握られたまま浄化されていくような、そんな演奏のような気がした。
彼の演奏、端的なデフォルメらしき要素も見られ、絵で言ったらキュビズムのような印象を受けた。なので、いわゆる端正できちんとした演奏とはいえなかった、と思う。しかし、彼は曲の輪郭を、自分の素手でつかみ、どの音も納得させながら出していた。だから曲の輪郭がはっきりと見えた。とにかく彼が凄いと感じたのは音に強いこだわりを持っていたということ。叩きつけたような音も含め、どの音も、責任を持って出していたということだと思う。芸術家だと思った。
そのような瞬間に立ち会うことができて本当によかったです。新たな友達に会えたのもうれしかったし。今後も彼の演奏を聴き届けていきたいと思いました。