初めてひとりで喫茶店に入り、ものすごく楽しかったと言われた方がいた。私よりも若く二人のお子さんのお母さんで明るく感じのいい方だ。そしてひとりで喫茶店に入れるか、という話題になった。その方は私のことを、自分と同じタイプで、なかなかひとりではは入れない人だと思われていたのでびっくりした。大人しく見られたのかしら?猫かぶっていたのかな。でもそれはものすごい誤解。私の場合、一人で当然のように喫茶店に入り、本を読んだり書きものをしたり音源を聴いたりしてきたし、今もときどきするという自慢にならないキャリア(?)がある。私と同じような方もいた。その人は喫茶店だと家と違って非日常な気持ちになり気分もリセットできるとのこと。その気持ち分かるなあ。さらに斎藤孝氏が「15分あれば喫茶店に入りなさい。」という本を出しているのを知り、自分が肯定されたような気がした。しかしひとり喫茶店といえばド○ールやスタ○やエクシ○ールカフェのようなお手頃なお店が必要で、そういうお店が近くにないというケースもあるし、また近くにあってもできないというケースも大いにあるわけだ。だからひとり喫茶店と言うのは全く自慢にならないし後ろめたさも伴うのだが。。。でも楽しいです~(爆)
でもひとりで、というの、本当に心が痛む話もあるわけです。群馬県の小学6年生の少女が自殺したとのこと。好きな子同士で給食する中、その子は一人で食べていたとのこと。かわいそうでたまらなかった。私も小学校高学年のとき班長が好きな子から選んでいって班を決めるというのがあって、きゃーきゃー言ったりブーイングが飛んだりなどして心が痛んだからそういうのを読むと他人事とは思えないのだ。「好きな子同士のほうが子どもが喜び、思い出になる」「子供たちの自主性に任せる」という名目でこうしたとのことだが、これはきれいごとだと思う。このようになるケースもあるわけだ。学校で一日の大半を過ごすことの多い子供たち、学校以外の居場所が持てるという子供はそこまで多くないだろう。なのでこういうことが重なると自己否定にもつながると思う。ひとりになるのが悪い、ならないようにすればいい、という考えもあるもしれないが、単にそれだけの問題ではないような気がするし。
でもひとりで、というの、本当に心が痛む話もあるわけです。群馬県の小学6年生の少女が自殺したとのこと。好きな子同士で給食する中、その子は一人で食べていたとのこと。かわいそうでたまらなかった。私も小学校高学年のとき班長が好きな子から選んでいって班を決めるというのがあって、きゃーきゃー言ったりブーイングが飛んだりなどして心が痛んだからそういうのを読むと他人事とは思えないのだ。「好きな子同士のほうが子どもが喜び、思い出になる」「子供たちの自主性に任せる」という名目でこうしたとのことだが、これはきれいごとだと思う。このようになるケースもあるわけだ。学校で一日の大半を過ごすことの多い子供たち、学校以外の居場所が持てるという子供はそこまで多くないだろう。なのでこういうことが重なると自己否定にもつながると思う。ひとりになるのが悪い、ならないようにすればいい、という考えもあるもしれないが、単にそれだけの問題ではないような気がするし。
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