4日と5日、ラ・フォル・ジュルネに行ってきました。4日は周辺探索と無料コンサート中心で友達にも再会。充実していました。無料コンサートはフルートとピアノのデュオで胸のすくようなプロコフィエフや、ヴァイオリンとピアノとのデュオで哀愁あふれたチャイコフスキーやラフマニノフを聴いたのでしたが、若手演奏家たちののびやかで工夫のこらされた演奏に出会えてよかったです。民族楽器のユーモアあふれた素敵なバンド「テレム・カルテット」にも出会え、おととし行こうとして行けなかった公開レッスンにも顔を出すことができました。テレム・カルテットは、ロシアの民族楽器(ソプラノドムラ、アルトドムラ、コントラバラライカ、バヤン)を使うグループ。レパートリーはロシア民謡からチャイコフスキーのそりすべりなどのクラシックの曲、そしてザ・ピーナッツの恋のヴァカンスとバラエティに満ちていました。高度な超絶技巧と抜群のノリの良さ、そしてユーモアで会場全体を沸かせていて、彼らは真の音楽家でありエンターティナーだと感じ入った次第です。(テレム・カルテットの参考リンク)公開レッスンはピアノで先生はエル・バシャ先生。曲目はプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。難曲で高度な内容でしたが、先生のおっしゃったことは高度でありながらも役に立ちそうな内容でした。4日は友達のかしこい計らいで思い切り楽しむことができました。感謝です。
5日はピアノ関係の公演を中心に。エル・バシャ先生によるラフマニノフの前奏曲。公開レッスンで語られていたとおりのことをみっちり実践されていました。しかしそれだけではなく表現力にあふれており人の心をひきつけずにはおれない演奏でした。たちまちエル・バシャ氏のファンになってしまいました。彼についてはまた書きたいです。その次は2台とソロとの演奏で、演奏者はボリス・ベレゾフスキー氏とクレール・デゼールさんという組みあわせ。エンゲラーさんが病気で出れなかったため代役といて出演したクレールさんでしたが、美しいスクリャービンのエチュード、そしてベレゾフスキー氏との息の合ったラフマニノフの幻想的絵画を演奏していました。合わせる時間も少なかっただろうにすごいなあ。ベレゾフスキー氏はロシアの星のようにダイナミックな演奏をされていました。そして今朝思いついて申し込んだ福袋。うずうずして申し込みました。演奏者はアレクセイ・ヴォロディン氏で、曲目はラフマニノフの楽興の時、ソナタ2番、そしてチャイコフスキーのくるみ割り人形の編曲版(誰が編曲したのかがわ分からなかったのが残念。ヴィロドン氏本人だろうか)というヘビーなものでしたが、なんとヴォロディン氏はこれらの凄い曲を、ちょっとピアノを弾きに来たよ、というような雰囲気で現れ、その後は手が20本ぐらいある北斗神拳のような打鍵やたまらなく甘く歌いこむような演奏を自由自在に演奏していたのでした。雄大なロシアを目の当たりに感じることのできるような演奏でした。
お腹いっぱい胸いっぱいになった後、お口直し(?)に「マーブル」によるマトリョーミンの合奏を聴くことにしました。(関連記事)マトリョーミンはロシアで発明された電子楽器テルミンを入門しやすくするために、テルミンの機能をマトリョーシカの人形に入れて演奏するようにした楽器で、発明された方はなんと日本人。今日演奏されたメンバーでもある竹内正実さんだそうです。手を近づけたり話したりするだけで人間の高い声に近い音がでていて、見事な合奏になっていました。手を近づけると高音に、遠ざけると低音になります。そこはなんだか弦楽器や管楽器と似ているような気がするのですが、面白かったのは、手を広げると高音に、握ると低音になるところでした。手を細かく開閉することで、細かな音階を表すことができるようでした。また演奏者の方たちは、合奏中でも自分の音を聴くことができるように、マトリョーミンから聴診器をつないで耳に当てていました。電子楽器とはいえ、聴くことと奏でることの原点を思いださせてくれるような、そんな楽器のように思えました。残念ながら高低は表せるものの強弱は表せないマトリョーミンでしたが(テルミンは強弱も表せます )味わい深いロシア民謡の合奏をたくさん聴くことができました。
そして現在もぬけの殻状態。。。明後日からまともな生活に戻れるのだろうか、戻らないといけないのだけどね。そして先日のピアノのアップ音源を期間限定に変更することにしました。
また内容について思いついたときに、随時追加していけたらと思います。今日はひとまずここまでにします。
今日は開国記念博物館に行きました。開国時に函館とともに開港された下田。開国にまつわる貴重な資料が豊富においてあり非常に面白かったです。ペリー、ハリスなどの開国時の主要人物については言うまでもないのですが、今回特に気になった人物が以下の三人。(Wikiから引用しています。)
斎藤きち(1841~1890年) 下田一の人気芸者。米国から来日し精力的に外交を行っていたハリスが領事館で体調を崩したため、ハリスの通訳ヒュースケンがハリスの世話をする日本人看護婦の斡旋を地元の役人に依頼したところ、看護婦の概念が分からない役人は妾の斡旋以来だと判断し、きちに候補があがった。婚約者のいた彼女は固辞したが、幕府の執拗な説得に折れハリスのところに出向くことになった。しかし幕府の思惑を見抜いたハリスに結局3日で解雇された。当時の日本では外国人に身を任せることに偏見があったため彼女は「唐人お吉」とよばれ侮蔑の目を向けられ、酒におぼれてしまったという。
下岡蓮杖(1823~1914年) 日本で最初に写真技術を学んだ人物。幼いころから絵を好んだ。オランダ船のもたらした銀板写真に感銘を受け、来航する外国人から写真の技術を学ぼうとしたがうまくいかず、結局横浜開港の談判のためにハリスの通訳であったヒュースケンから技術を学んだ。当時の日本では写真は、姿かたちをそのまま再現するので撮影すると寿命が縮まるといって嫌われていたが、次第に迷信はなくなった。博物館には彼が命がけで撮影した江戸城の写真が掲示してあり、当時の苦労がしのばれた気がした。日本での写真の祖であり、ベンチャービジネスの先駆けの人物とも言われているそうだ。(リンク先のサイトより)ちなみに横浜の馬車道に「下岡蓮杖顕彰碑」があるという。ぜひ行かなくては。彼の生誕祭も横浜であるというし。
ヘンリ・ヒュースケン (1832~1861年)アムステルダム生まれのオランダ人で、玉泉寺に設置された駐日アメリカ総領事館の通訳。アメリカに渡航すると、英語だけでなくドイツ語、フランス語もできるという語学力をハリスに買われ、通訳として日本に赴任した。ハリスの看護婦の斡旋を依頼したり、下岡蓮杖に写真の技術を伝えたりもしているし、日本に深い理解を示していた人物であった。しかしプロシア使節と日本人側との通訳として通っていた赤羽根接遇所からの帰り道、刺客の一団に襲われ若くして亡くなってしまった。
日本の開国、いや、歴史上で重要な役割を果たしながらも歴史の教科書には出てきておらず(実は高校の日本史には出てきているかもしれませんね)恥ずかしいことに今まで知らなかったこの三人に心動かされた今朝のひととき。本も出ているみたいなので読んでみようかな。
その後水族館に行ったのですが、横殴りの雨がどんどんひどくなり交通面でも心配になってきたので、少し残念だったのですが、帰る時間を繰り上げて早めに帰りました。
今日衝撃的だったのは、下田でNTT西日本という文字が目に入ったこと。静岡県NTTはすっかり東日本だと思い込んでいたのですが、西日本だったのですね。ちなみに中部地方でNTT東日本の県は、山梨県、長野県、新潟県。納得といえば納得。静岡県、御殿場、熱海、伊東、三島もNTTは西日本管轄というのは面白いなあ、浜松なら分かるけど。静岡県はなにしろ横に長いからなあ。新幹線でも通過するのに長時間かかる県です。今度は西のほうもぜひ行きたいです。
明日は雨。連休前の予報と大いに外れて残念ですがせっかくなので楽しみたいです。
トルコ行進曲つきのソナタ
ドン・ジョバンニのアリア
セレナーデ
アベ・ベルム・コルプス(携帯からなので文字がこのようになっています)
など
曲名を忘れているものの、明らかにモーツァルトだと分かった曲も。ご無沙汰していたなあ。オルゴールというのも、いいものです。曲名思い出せたらいいな。
最近聴いていなかったこれらの曲。しみじみいい曲だと思いました。懐かしく心地よいこれらの曲を旅先でまとめて聴けてよかったです。
明日は施設中心に回ることになりそう。雨ですが楽しみたいです。ひどくなるということですが、あまりひどくなりすぎないでほしいな。
静岡県、通過だけは何度もしていましたが、実は上陸は今日が初めてでした。下田市から南の方へと向かいました。下田市も素敵な街ですね。広島県の鞆の浦としまなみ海道、岡山県の倉敷市とどことなく似ていてなつかしくなりました。