昨日は渡邊智道氏によるピアノリサイタルに行ってきた。横浜を拠点にして以来二度目の彼の演奏会だった。
演奏会の始まりの言葉が「寒くないですか?」そして会場には笑いが。その後、作曲家たちは自分の精魂を込めてこれらの作っているが、おそらくこのような形の演奏会で消化され演奏されることは想定していないと思う、しかし、このような演奏会という形で演奏することで、聴き手の人たちが音楽を聴いて勇気づけられたらいいなと思ったと話されていたのも印象的だった。
プログラム
夜想曲遺作嬰ハ短調 ショパン作曲
エオリアン・ハープ ショパン作曲
水の精 ラヴェル作曲
前奏曲 作品16-1 スクリアビン作曲
歌曲”さあ持ってゆけ、この唇を” クィルター作曲渡邊編曲
歌曲”今、深紅の花びらは眠り” クィルター作曲ハフ編曲
鐘(おとぎ話作品20-2) メトネル作曲
歌曲”沙羅の花” 渡邊智道作曲
休憩
前奏曲 作品23-4 ラフマニノフ作曲
前奏曲 作品32-4 ラフマニノフ作曲
夜想曲 第17番 ロ長調 ショパン作曲
夜想曲 第18番 ホ長調 ショパン作曲
朧月夜 岡野貞一作曲 高野辰之編曲
メフィスト・ワルツ第1番 リスト作曲
ショパン作曲夜想曲遺作、リズムをほんのりと揺らしていたところが香り高くロマンチックな、そして演奏者本人にとってもかけがえのない作品であるエオリアン・ハープ、この曲のゆるやかな光と輝きが一層深みを増して感じられた。ラヴェル作曲水の精、広い会場で妖精たちが飛翔するような映像が見えた。
スクリアビン作曲前奏曲作品16-1からクィルターの歌曲二曲の流れ、私が素敵だなあと感じた流れのひとつだった。スクリアビンの夢見るような慈愛に満ちた前奏曲でうっとりした後クィルターの愛にあふれる二曲に包み込まれた瞬間の幸福感。クィルターの二曲、ホールで聴いたら色彩が濃く輝きが艶やかに増していたような気がした。
そしてメトネル作曲「鐘」この作品は「鐘の”歌”もしくは”おとぎ話”、だが鐘の音ではない」と演奏前に語った渡邊氏、その後にやってくる音楽に対してただならぬ予感がしたのだが、その予感がいい意味で大的中!その後に繰り広げられた世界は不協和音が次から次へと湧き出てうねるように続きどろどろうねうねとした魔界のような世界、この圧倒的におどろおどろしい感覚はなかなか一言で言い表せるものではなく内心なんだこれはと思いながらもぐいぐいと世界に引き摺り込まれた。取り組まれたことのある方から話をうかがったのだが、演奏、非常に、難しいらしい。
鐘でとことんどろどろした世界に埋め尽くされた後に芥川龍之介の詩を基にした本人作曲の「沙羅の花」で一気に浄化、飛翔、そして昇天、第一部の終わりとして、まことに美しいしめくくりだった。
後半はラフマニノフ作曲作品23と32の練習曲からそれぞれ4番から始まった。作品23の4はゆったりとした抒情的なメロディーが徐々に絡み合い盛り上がり究極の境地にいたるという作品、私も演奏したことがあるのだけど聴くよりも演奏がはるかに大変という作品なのだった。渡邊氏の演奏はこの曲の抒情性と輝きの味わいをしっかりと緻密に表していた。こんなに弾いてもらえたらラフマニノフも幸せだろうなと思えた。
そして作品32-4、私は今までこの作品に対して難解でとっつきづらそうな印象を抱いていた。演奏会でもあまり演奏されることがないとのことだけど、確かに地味そうだしな、と思っていた。しかし、昨日の渡邊しの演奏を聴いて、その先入観がいっきに覆された。怒涛のように下降が続く和音の連続があんなに狂気を感じるものだったとは!そして難解そうに思えていた場面転換もここでこうだからこうなるのか!と腑に落ちそうな心境になっていた。こんなにすごい作品だったのか、今までわかりにくい曲だと思い心にも留めていなくて本当にごめんよと言いたくなった。確かにわかりやすい曲ではないと思うけれど、絶対に地味ではない、むしろラフマニノフの魂が込められた作品なのではと思うようになった。
ショパン作曲の夜想曲第17番と第18番、ショパンの後期の作品、大好きな二曲、慈愛に満ちたショパンの生涯に思いを馳せながら演奏を聴く。今まで私も何度も聴いてきたはずの二曲だけれども、作品に寄り添い魅力を緻密に伝えたと思える演奏に、涙腺がゆるくなっていた。
そして朧月夜でほっこりと。。。ピアノによる朧月夜もいいものだとしみじみ。
朧月夜でほっこりした後一気にメフィストワルツで魔界の世界へと再び。ぞくぞくしながらも、なんと解像度の高い演奏だろうと感じ入りながら聴いていた。
そしてアンコールは、バッハ作曲「主よ人の望みの喜びよ」何度も聴いてきたこの曲の演奏も、昨日は一層重みと輝きが増して感じられた。
私にとってはなんだか久しぶりに感じた何とも言えない余韻と充足感、感想を咀嚼し、この記憶を長文でも残しておこうと思ってブログに書いたのだけど、久しぶりに書いたので言葉足らずの至らぬ文章になっているかもしれない。ブログは編集もできるので、その後しれっと訂正、編集するかもしれないけれど、いったん本投稿の記事は〆にしたいと思う。