いろはにぴあの(Ver.4)

音楽、ピアノ、自然大好き!

渡邊智道氏 ピアノリサイタル於横浜 

2024-04-28 | ピアノ、音楽

 昨日は渡邊智道氏によるピアノリサイタルに行ってきた。横浜を拠点にして以来二度目の彼の演奏会だった。

 演奏会の始まりの言葉が「寒くないですか?」そして会場には笑いが。その後、作曲家たちは自分の精魂を込めてこれらの作っているが、おそらくこのような形の演奏会で消化され演奏されることは想定していないと思う、しかし、このような演奏会という形で演奏することで、聴き手の人たちが音楽を聴いて勇気づけられたらいいなと思ったと話されていたのも印象的だった。

 プログラム

夜想曲遺作嬰ハ短調 ショパン作曲

エオリアン・ハープ ショパン作曲

水の精 ラヴェル作曲

前奏曲 作品16-1 スクリアビン作曲

歌曲”さあ持ってゆけ、この唇を” クィルター作曲渡邊編曲

歌曲”今、深紅の花びらは眠り” クィルター作曲ハフ編曲

鐘(おとぎ話作品20-2) メトネル作曲

歌曲”沙羅の花” 渡邊智道作曲

 休憩

前奏曲 作品23-4 ラフマニノフ作曲

前奏曲 作品32-4 ラフマニノフ作曲

夜想曲 第17番 ロ長調 ショパン作曲

夜想曲 第18番 ホ長調 ショパン作曲

朧月夜 岡野貞一作曲 高野辰之編曲

メフィスト・ワルツ第1番 リスト作曲

 ショパン作曲夜想曲遺作、リズムをほんのりと揺らしていたところが香り高くロマンチックな、そして演奏者本人にとってもかけがえのない作品であるエオリアン・ハープ、この曲のゆるやかな光と輝きが一層深みを増して感じられた。ラヴェル作曲水の精、広い会場で妖精たちが飛翔するような映像が見えた。

 スクリアビン作曲前奏曲作品16-1からクィルターの歌曲二曲の流れ、私が素敵だなあと感じた流れのひとつだった。スクリアビンの夢見るような慈愛に満ちた前奏曲でうっとりした後クィルターの愛にあふれる二曲に包み込まれた瞬間の幸福感。クィルターの二曲、ホールで聴いたら色彩が濃く輝きが艶やかに増していたような気がした。

 そしてメトネル作曲「鐘」この作品は「鐘の”歌”もしくは”おとぎ話”、だが鐘の音ではない」と演奏前に語った渡邊氏、その後にやってくる音楽に対してただならぬ予感がしたのだが、その予感がいい意味で大的中!その後に繰り広げられた世界は不協和音が次から次へと湧き出てうねるように続きどろどろうねうねとした魔界のような世界、この圧倒的におどろおどろしい感覚はなかなか一言で言い表せるものではなく内心なんだこれはと思いながらもぐいぐいと世界に引き摺り込まれた。取り組まれたことのある方から話をうかがったのだが、演奏、非常に、難しいらしい。

 鐘でとことんどろどろした世界に埋め尽くされた後に芥川龍之介の詩を基にした本人作曲の「沙羅の花」で一気に浄化、飛翔、そして昇天、第一部の終わりとして、まことに美しいしめくくりだった。

 後半はラフマニノフ作曲作品23と32の練習曲からそれぞれ4番から始まった。作品23の4はゆったりとした抒情的なメロディーが徐々に絡み合い盛り上がり究極の境地にいたるという作品、私も演奏したことがあるのだけど聴くよりも演奏がはるかに大変という作品なのだった。渡邊氏の演奏はこの曲の抒情性と輝きの味わいをしっかりと緻密に表していた。こんなに弾いてもらえたらラフマニノフも幸せだろうなと思えた。

 そして作品32-4、私は今までこの作品に対して難解でとっつきづらそうな印象を抱いていた。演奏会でもあまり演奏されることがないとのことだけど、確かに地味そうだしな、と思っていた。しかし、昨日の渡邊しの演奏を聴いて、その先入観がいっきに覆された。怒涛のように下降が続く和音の連続があんなに狂気を感じるものだったとは!そして難解そうに思えていた場面転換もここでこうだからこうなるのか!と腑に落ちそうな心境になっていた。こんなにすごい作品だったのか、今までわかりにくい曲だと思い心にも留めていなくて本当にごめんよと言いたくなった。確かにわかりやすい曲ではないと思うけれど、絶対に地味ではない、むしろラフマニノフの魂が込められた作品なのではと思うようになった。

 ショパン作曲の夜想曲第17番と第18番、ショパンの後期の作品、大好きな二曲、慈愛に満ちたショパンの生涯に思いを馳せながら演奏を聴く。今まで私も何度も聴いてきたはずの二曲だけれども、作品に寄り添い魅力を緻密に伝えたと思える演奏に、涙腺がゆるくなっていた。

 そして朧月夜でほっこりと。。。ピアノによる朧月夜もいいものだとしみじみ。

 朧月夜でほっこりした後一気にメフィストワルツで魔界の世界へと再び。ぞくぞくしながらも、なんと解像度の高い演奏だろうと感じ入りながら聴いていた。

 そしてアンコールは、バッハ作曲「主よ人の望みの喜びよ」何度も聴いてきたこの曲の演奏も、昨日は一層重みと輝きが増して感じられた。

 私にとってはなんだか久しぶりに感じた何とも言えない余韻と充足感、感想を咀嚼し、この記憶を長文でも残しておこうと思ってブログに書いたのだけど、久しぶりに書いたので言葉足らずの至らぬ文章になっているかもしれない。ブログは編集もできるので、その後しれっと訂正、編集するかもしれないけれど、いったん本投稿の記事は〆にしたいと思う。

 


本当にお久しぶりです

2024-04-28 | 日記

 こちらのブログ、前回更新した日がおととしの7月24日、うっかりしていたら2年間放置状態になるところだった。実はそれ以降、オンラインでの更新に関してはもとtwitterことXへの投稿と閲覧に主なエネルギーを費やしていた。当時職場の異動があり早朝起床が必須となった上に当時は職場環境もよくなかったのもあり、なんとかして元気を出して出勤したいと思ったときに思いついたのが5年ほど前まで時々聴いていた「古楽の楽しみ」の聴取再開と、Xにハッシュタグをつけて聴いているということを表す投稿の再開だった。元来朝が苦手な私、5年ほど前に聴いていたときは6時開始でも起きられたときに聴くような状態だったのだが、一昨年聴取を再開した時点ではさらに早朝の5時、朝が苦手なはずの私にとっては試練としか言いようのない時間になっていた。しかしその試練とも言えない時間になっていたことが、5時起きが必須となってしまったこの状況とぴったりだったうえに、Xでの古楽の楽しみのリスナーさんの楽しく情熱あふれる投稿、そして親切な温かい歓迎のおかげで、いつの間にか当然のごとく毎日聴き感想を投稿するようになっていたし、その活動を通して得られたこと学べたこと、そして未知未聴なのだけど学びたい聴きたいことが膨大になっており、とてもではないのだがこちらに書ききれるものではない。心から感謝している。

 古楽の楽しみリスニング再開をきっかけにアルトリコーダーを始めたのも大きな一歩だ。それ以前からピアノ以外の楽器をずっとやりたいと思っていたのだけど、自分が今後達成できそうなレベルと、その楽器に費やす価格などを考えたら、その一歩がなかなか踏み出せなかったのだ。そんな私がひょいと一歩を踏み出し1年以上続けられ、バロック時代の作品にも取り掛かることができるようになったとは我ながら驚いている。

 ピアノについても、その後浮き沈みがあったものの、細く長く継続している。昨年はフォーレ作曲ノクターン第7番にほとんどのエネルギーを費やしたような状態になっていた。この曲のすばらしさはひとことでは言い表せないぐらい。。。大変だったけれども、出逢えてよかったし、弾けて良かった作品だ。手を離れて数か月がたってしまった今、弾けなくなっていると思うのだけど、また、練習して、弾けるようになっておきたい。

 そして出かけて演奏会!こちらもいろいろあって、すべて書いたら時間がいくらあっても足りない。感想の一部はXにも書いているな。それぞれ行ってよかったという記憶が残っている。

 そして離れていた最大の理由。。。私がブログを書きだしたら夢中になり、書くのに時間がかかるのだ。早朝起床フルタイムの今、PCを開ける割合や頻度が少なくなっている今、この時間とエネルギーは私には膨大すぎて負担が大きかった(これが最大の原因だと思う)反応がなかなか来ないというのもあるしね。

 だったらもうXだけでよいではないか、確かに、そうなのかもしれないけれど、どうも昨日行った演奏会の感想はXには書ききれない、とどめてはおけない、と感じたのだった。しっかり感想を咀嚼しなければ、と思ったのだった。なので久しぶりに更新することにした。このブログの文章を読んでくれる人がいなくてもいいわ、という吹っ切れた気持ちになっているのも今はあるしね。

 ブログアカウント、そのままにしておいてよかった~!


ただ今のピアノ状況

2022-07-24 | ピアノ、音楽

 恥ずかしながら、いまいちだな。昨日オンライン配信イベントで、春から弾き続けている2曲を弾いたのだけれど、すっかりかちこち、こんなに緊張しちゃってどうするのという状態になってしまった。心当る原因、ある。八月予定の本番は休暇に入って数日経過後!非常に幸いな話である。モチベーションはそれなりにあるはず、しっかり取り戻したい。


反田恭平氏 ピアノリサイタル2022

2022-07-24 | ピアノ、音楽

 音楽家として自立して生きるとともに、オーケストラを作ったりして他の音楽家たちにも貢献する、そのようなスケールの大きいことを成し遂げているばかりでなく、2021年のショパン国際コンクールでも2位という成績を残した反田恭平氏、多彩な活躍に目を見張るばかり。生演奏を久しぶりに(5年前に富山で聴きました)聴いてみようと思い申し込んだところ当選、足を運ぶことにした。

<プログラム前半>

ショパン作曲 マズルカ風ロンドヘ長調 作品5

ショパン作曲 バラード第2番ヘ長調 作品38

ショパン作曲 3つのマズルカ 作品56-1、2、3

ショパン作曲 ラルゴ変ホ長調 B.109

ショパン作曲 ポロネーズ第6番変イ長調「英雄」作品53

<プログラム後半>

シューベルト作曲 ピアノソナタ第20番イ長調 D.959

<アンコール>

ショパン作曲 プレリュード 第25番 嬰ハ短調 作品45

ブラームス作曲 6つのピアノ小品  作品108-1、2、6

 前半のショパンプログラムではショパンコンクールを思い出すひとときに。大好きなマズルカOp.56、すっかり幻想の世界へと誘われた。第3次予選では本人は納得できない演奏だったとのことだが、この曲に対する思い入れの強さが伝わってきた。そして彼の演奏を通じて初めて知ったラルゴ。ポーランドへの愛がこもったこの曲、多彩な表情が感じられ新たな発見のひと時となった。

 個人的には後半のシューベルト作曲ピアノソナタ第20番が心に残った。晩年に作られたこの曲、堂々たる始まりでありながらどことなく不穏な響きも印象的な第1楽章からただならぬ雰囲気が。そして寂しさの極致とも思える第2楽章。暗さがたまらないと思っていたら激しい展開でぞくぞく。不安で落ち着かない雰囲気の第1~3楽章から一転、美しく忘れがたき主題が。。。すがすがしく温かい余韻が残った。

 アンコールのブラームス作品108からも感じたのだが、ドイツ系プログラムに新境地を見出しているように思えた。居住の拠点をポーランドからウィーンに移し始めているとのことだ。今回聴くことが出来なかった、ブラームス作曲ブゾーニ編曲の11のコラール前奏曲より「一輪のバラが咲いて」Op.122-8も機会があれば聴いてみたいと思った。


ピアノと他の楽器

2022-07-18 | ピアノ、音楽

 私が演奏できる楽器はピアノだけなのだけど、他の楽器が出来たら楽しいだろうなと思うことがある。子供の頃はフルートがやりたかった。しかしブラスバンド部に入りそびれた上にピアノもさぼりだし、フルートをやりたいということ自体がわがままだと言われる状況にまでもっていってしまった。そして実際に冷めてしまう。その後ピアノ再開熱がわいてきた時はピアノ一本だけで存分に幸せだと思うようになっていた。しかし、ピアノの演奏にも弦楽器的な視点を持つことが必要だということが分かり、ヴァイオリンやチェロが出来るようになったらいいだろうなと思うようになったのだが、これらの楽器の習得の大変さを想像したらまたまたとんでもない話だと思えてきた。

 そして今度はギターに憧れ始めた。あの弦を自分の指でじかに鳴らすからこその温かみ、そしてピアノと同じく伴奏も演奏できるという幅広さ、堅苦しくなさそうな雰囲気に憧れ始めたのだが、ピアノとギター、特にクラシックギターの両立は指の使い方などの面で難しいとのこと。切ないけれども、納得。ギターは聴く専門に。

 両立は保留ですかね。

 


内藤晃氏ピアノコンサート ワルツとロマン

2022-07-18 | ピアノ、音楽

 ワルツ、この三拍子の音楽のおかげでいかに気持ちが晴れ救われることが多かったか。19世紀のヨーロッパでは疫病流行時にワルツの名曲が誕生し疲れきった人々の心の憂さ晴らしの娯楽になっていたという。ウイルスの流行や不穏な事件など混沌たる現在にもワルツには人々の心を鼓舞する効能はあるに違いない、そのような思いがこめられた本プログラム、非常に楽しみにしながら聴いた。会場は高崎市のアトリエ・ミストラル、ピアノは1905年製のプレイエル3bisだった。

 演奏は休憩なし、曲間の拍手もなしで約70分間続けて行われた。ピアノ曲が原曲のものもあれば、歌曲、交響詩の原曲を内藤氏がピアノ用に編曲したものもあり充実した内容になっていた。

<プログラム>

R.ジーツィンスキー作曲 内藤氏編曲 ウィーン、わが夢の街

F.シューベルト作曲 初めてのワルツ集

R.シューマン作曲 蝶々Op.2

F.ショパン作曲 ワルツイ短調Op.34-2

F.プーランク作曲 内藤氏編曲 愛の小径

F.ショパン作曲 ワルツ嬰ハ短調Op.64-2

C.ドビュッシー作曲 レントより遅く

F.クライスラー作曲 C.ラフマニノフ編曲 愛のかなしみ

リヒャルト・シュトラウス作曲 内藤氏編曲 オペラ《ばらの騎士》Op.59よりワルツ

F.リスト作曲 ウィーンの夜会(シューベルトのワルツ・カプリス)第6番S.427-6

M.ラヴェル作曲 高雅で感傷的なワルツ

<アンコール>

P.チャイコフスキー作曲 四季 12月「クリスマス」

 ウィーン、わが夢の街で早速20世紀前半のウィーンにタイムスリップ、夢と憧れとともに幕開け。シューベルトの愛しさに溢れたワルツから二面性が感じられるシューマンの蝶々へ。一曲の中に対照的なキャラクターが共存し、場面変化の振れ幅の大きさと多彩な表情に釘付けになった。その合間にショパンの短調のワルツ2曲、哀愁と郷愁が伝わってきた。その間のプーランク作曲愛の小径の悲しみから温かな光がさす世界の存在感、世の中捨てたものではないと言われているような気がしてきた。

 ドビュッシーのレントより遅くのぞくぞくする洒落た響きにうっとり。アイロニカルなまなざしで作曲されたということだがとても美しくてうっとりした。クライスラー作曲ラフマニノフ編曲の愛のかなしみ、有名な原曲にラフマニノフの編曲のおかげで陰影がさらに加わりドラマチックに。リヒャルト・シュトラウスのばらの騎士のワルツ、ピアノによるオーケストラの響きの再現、細部まで心配られていてまるで目の前にオーケストラが浮かび上がったかのように思えた。リストのウィーンの夜会でワルツならではの懐かしさ愛おしさを堪能し、ラヴェルの高雅で感傷的なワルツの、半音階、妙なる響きの和音、きらきら感がちりばめられた世界で夢の締めくくり。ラヴェルのワルツの終曲のそれまでの各曲の断片が幻のように登場するシーン、余韻が印象的だった。

 アンコールはチャイコフスキー四季より12月「クリスマス」夢にあふれた愛らしい曲だけれどもワルツだということをうっかり忘れていた。色々辛いこともあるけれどこんなに美しく素敵な世界がある、希望をもって生きていこうと励まされているような気がした。

 20世紀初頭のプレイエルのノスタルジックな音色にこれらのワルツはぴったりだったと思う。ロマンチックな夢に浸ることが出来た幸せな70分間だった。

 


伊藤悠貴氏 オール・ブラームス・リサイタル 

2022-07-17 | ピアノ、音楽

 先日は今年最も楽しみにしていた演奏会のひとつ、チェロ伊藤悠貴氏、ピアノ渡邊智道氏による、全曲ブラームスの演奏会に行ってきた。約2年半前の「若き天才の邂逅」で彼らの演奏の虜になって以来、彼らのオールブラームスの演奏会を心待ちにしていた。会場は名古屋の宗次ホール、少し遠路ではあるのだけれどこの機会を逃したくなくて足を運んだ。

 前半、後半とも、プログラムの前半は伊藤悠貴氏編曲による歌曲、プログラムの後半はチェロソナタ。ブラームスの作品番号順に並べた内容で、彼の音楽と人生の変遷を辿ることが出来る内容になっていた。

作曲 ヨハネス・ブラームス(1833-1897)

<プログラム前半>

愛の誠 作品3-1「6つの歌」より

別離 作品19-2「5つの詩」より

私の王女よ 作品32-9「9つの歌曲」より

チェロとピアノのためのソナタ第1番ホ短調 作品38

<プログラム後半>

五月の夜 作品43-2「4つの歌曲」より

子守唄 作品49-4「5つの歌曲」より

愛の歌 作品71-5「5つの歌曲」より

野の寂しさ 作品86-2「6つの歌曲」より

二人そぞろ歩く 作品96-2「4つの歌」より

チェロとピアノのためのソナタ第2番ヘ長調 作品99

<アンコール>

旋律のように 作品105-1

私の歌 作品106-4

 「愛の誠」(17歳)、「別離」(25歳)、若かりし頃に作曲された2曲、悲しく激しく狂おしい感情が伝わってきた。そして3曲目、意中の女性に想いを語る「私の王女よ」甘く繊細なピアノの誘いとチェロの朗々たる歌でたちまち美しき愛の世界へ。演奏内に歌詞はなかったけれど、歌の持つイメージがじかに音楽から伝わってきた。そしてチェロソナタ第1番。バッハへのオマージュともいえる内容とのこと、立体的な響きが印象的だった。第2楽章の中間部の切ないところの美しさが忘れがたかった。

 音楽が進むにつれて堪らない思いが強くなる「五月の夜」から始まった後半。耳になじんでいたはずの「子守唄」がこんなに愛しい名曲だったのかと再発見。喜びと悲しさが絶妙な和声の変化で表現される「愛の歌」響きに伴い心も寄り添いたくなった。トニックのペダルが大地の感触を表現しているとプログラム解説にあった「野の寂しさ」、対象も個人から自然へ、音楽のスケールの広がりと素朴そうな中での濃密さが感じられた。そして、プログラム内の歌曲では最後の歌曲「二人そぞろ歩く」は「若き天才の邂逅」のアンコールで演奏された曲で当時初めて聴いて大好きになった曲だった。初々しさと透明感に溢れたあの演奏から2年半、透明感と幻想は保ちながらもより練られた音楽世界が広がっていた。この曲の演奏を聴くたびに私は音楽との出逢いに感謝したい思いになる。歌詞を改めて引用する。

 私たちは共に歩く 私もあなたも、とても静かに

 あなたが今何を考えているのか 知れるのならば、何でもする

 私が何を考えていたかは 口にしないでおきましょう 全て美しい、天国的なことばかり

  チェロとピアノのためのソナタ第2番、第1楽章の華やかで迫力のある出だしから強く印象付けられずるずると沼へ。妙なる変化の美しさが印象的な第2楽章ですっかり夢想の世界へと誘われた。楽譜に書かれた音楽の美しさと楽器が奏でる音の美しさを濃やかに咀嚼し再現されていた。激しき情熱とエネルギーが溢れ畳みかけるような第3楽章、別世界からやってきたような優しい中間部にぞくぞくした。そして第4楽章、明るく流れるように始まったかと思ったらそこはブラームス、激しさや哀愁も、自己流な解釈であるのだけど楽あれば苦ありこれぞ人生だと思わせられた。

 ここまで、作品番号順に、演奏が進んでいったのだが、アンコールはさらに作品番号が後の曲目だった。ブラームスのに寄り添い、生涯を一緒に辿っているような気持になった。包み込まれるような温かさ、懐かしさが伝わってきた「旋律のように」、そして哀愁あふれる下行音型とコーダ近くに登場するふんわりした優しさが堪らない「私の歌」で余韻を残したまま終了。

 宝物のようなひとときだった。2年半前に「ぜひまたお二人で演奏してほしい」と本ブログに書いていた。実現してくださって本当に嬉しい。欲を言えば、2年半前に聴いたものの今回は聴くことが出来なかった方たち、そして初めて聴く方たちのために、特に関東地方で、再演していただけたらと思った。

実はこの演奏会、楽しみにしていたのにも関わらず、仕事関係で心がいっぱいで当日まで心そこにあらず、癒されに行ったとしか思えない状態で迎えた。その一方で、終了後は癒されただけでなく心の澱みも根こそぎ取り払われ、このように振り返りたくなっている次第。今回楽しくかけがえのないひとときを共にしてくれた友人に感謝。

初めて出かけて会場の宗次ホール、素晴らしき音響、温かくきめ細やかな係員さん、当日の公演の看板を路上にも掲示するという尽力、昔懐かしの音源や素敵なグッズの販売、音楽の場を大切にしようという想いが手に取るように伝わってきた。もっと近かったら、通い続けたくなるぐらい、大好きなホールになった。ありがとうございました。


ブログといえば

2022-07-17 | 日記

写真や画像もあるとよいよね。

以前は写真はデジタルカメラで撮影し、撮った写真をPCに接続したり、スキャナして画像に取り込んだ資料をブログに貼り付けていた。手間はそれなりにかかっていたはずなのだけれど、比較的気軽にアップできていた。

しかしスマホ時代の今、ブログへの写真、画像貼付へのハードルがぐんと上がってしまっていけない。いや、慣れたらそんなことはないのだろうか?勉強が必要だ。

しばらくは写真や画像が少なめのブログになるかと思います。申し訳ありません。


アレクサンドル・カントロフ氏 ピアノリサイタル

2022-07-17 | ピアノ、音楽

 ブログ復活のきっかけとなった演奏会から書こうと思う。

 時はさかのぼって6月30日、アレクサンドル・カントロフ氏のピアノリサイタルを聴きに出かけた。あの藤田真央氏を差し置いて2019年にチャイコフスキー国際コンクールで優勝するような方なのだから、折り紙付きの実力の持ち主で素晴らしき演奏をされる方であることには間違いないのだけれど、今までの来日時には、演奏会に足を運ぼうという気持ちにはならなかった。しかし、今年になって、聴けるのならば色々なピアニスㇳの演奏を聴きたいという想いがむくむくとわいてきていた。そんな矢先、カントロフ氏の前半のシューマンのピアノソナタ第1番と、後半のリストの作品群という濃厚なプログラムを見てこれは行かないわけにはいかないと思いチケット確保。

<プログラム前半>

リスト作曲 J.S.バッハ「泣き、嘆き、悲しみ、おののき」BWV12による前奏曲S.179

シューマン作曲 ピアノソナタ第1番嬰へ短調Op.11

   休憩

<プログラム後半>

リスト作曲 巡礼の年第2年「イタリア」から ペトラルカのソネット第104番

リスト作曲 別れ(ロシア民謡)

リスト作曲 悲しみのゴンドラⅡ

スクリャービン作曲 詩曲「焔に向かって」Op.72

リスト作曲 巡礼の年第2年「イタリア」から ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」

<アンコール>

グルック作曲(ズガンバーティ編曲) 精霊の踊り

ストラヴィンスキー作曲(アゴスティ編曲)バレエ「火の鳥」からフィナーレ

ヴェチェイ作曲(シフラ編曲)悲しきワルツ

ブラームス作曲 4つのバラードOp.10から第2曲

モンポウ作曲 歌と踊り Op.47-6

ブラームス作曲 4つのバラードOp.10から第1曲

 前半のリスト=バッハの下りゆく半音階の悲しみの表現、そしてシューマン作曲ピアノソナタ第1番のシューマンの深き葛藤とめくるめくドラマを感じる演奏だけで、すっかり虜になってしまい、この演奏会に伺ってよかったと思った。それとともにシューマンのピアノソナタ第1番は本当に素晴らしい曲だと再認識。

 しかし後半以降になってさらにすごい内容に!ペトラルカのソネット→別れ→悲しみのゴンドラというリスト作品の流れ、曲が進むごとに段階的に彩度が下がり、その後のスクリャービンの焔に向かってで一気に明度と彩度とが急上昇、爆発するという物語の演出が素晴らしく想像を超えた世界へといざなわれた。

 哀愁を含みながらもまだ温度と色彩感が感じられたペトラルカのソネットから、素朴でありながら密度の濃いトリルにより回想と問いかけが伝わってきた別れ、そして鎮魂への強き重いが故の暗い無彩色、救いなしに思えた悲しみのゴンドラの沈痛な響き。。。曲の後半に出てくる単音の濃密さ、訴求力の強さが忘れられない。

 ゴンドラの暗闇から焔に向かって、混沌たる闇から一気に舞い上がり光り輝き妖しさを含みながらも絶対的に明るく激しく狂おしき忘我の境地に。そしてダンテの地獄から天国への表現の描写。振れ幅の大きな世界を極限までインターバルなしに示してくれてなんというピアニストなのだろうとただただ心奪われっぱなしだった。悪魔の世界の表現、デモーニッシュな表現も、見事でしたよ。

 その後のアンコールは6曲。しかもすべて美しい演奏。夢のような時間だった。終わってほしくなかった。余韻にずっと浸っていたかった。

 今回を機に、カントロフ氏の来日時には必ずひとつは演奏会に足を運ぼうという気持ちになったのは言うまでもない。


久しぶりにやってきたら

2022-07-17 | 日記

 今年初めの挨拶以来またまた更新が滞ってしまった本ブログ、久しぶりにやってきたら、テンプレートがシンプルなグレーになっていた。ログインすらせずにいたので自業自得なのだけど。

 実は最近までPCが非常に重く、ブログの編集どころかネットの使用すら難しい日々が続いていた。そこで最大の原因であろうと思われる某ソフトを削除。そうしたとたん、蘇ったようにPCもさくさく動くようになった。図面を作成する某ソフトは動作の際にメモリーを多量に用いるため、PCの仕様も上位のものでないと大変だったのだと今となってはわかる。自宅でがっつりやろうと思うのならPCもそれなりのものが必要だったわけだ。

 年始の挨拶からあっという間に年の半分が過ぎており、色々なことがあった。こちらのブログがまともに編集できる状態だったら書きたいと思うこともいくつかあったのだけど、書きそびれたまま日にちが経過してしまった。音楽関係のことをたくさん書いていた日々ははるか昔のような気がしており、今はあのような文章は書けないかもしれないと思っている。それでも、無事にログインできるようになった今に感謝。ゆるゆると、復活しようと思っている。

 (このブログを読んでいる人はあまりいないだろうし^^;)