ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

素敵な贈り物

2015-05-10 15:47:31 | アート・文化
2、3日前の昼下がり、素敵な贈り物が郵便で届きました。中身は、これ!
「あとりえ・どぅ・のえる」のミニ写真集であります。表紙には、ガーデンで微笑む(?)ノエルがアップで登場し、何だかとても可愛らしい本なの。
中を開いてみても、ガーデンの緑の中、ラブリーな様子のノエルがてんこもり。離れのギャラリーの様子も、綺麗に写真に撮られ、写真集の中に封じこめられています。ノエルやお庭や離れやらを、こうして一つの「作品」として、形にして下さるなんて……とても可愛い写真集、嬉しいです!

贈ってくださったのは、カリグラフィー仲間のNさん。ギャラリーに来て下さった時、何だか写真をいっぱい撮られているなあ、と思っていたら、写真集になっていたとは――。素敵なお手紙も同封されていました。こんなにして頂いて、いいのかな?

ノエルにも、「写真集ができたよ」と教えてやらねば! さぞや、にんまりした顔をするだろうなあ…。
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十月の旅人

2015-05-10 15:02:33 | 本のレビュー
Mさんから、贈って頂いた本。
20世紀アメリカが生んだ鬼才、レイ・ブラッドベリの短編集といえば、「十月は黄昏の国」が大好きで、何度も読み返したものだけれど、なぜか他の本を手に取ることはなかった。この短編集――アメリカ中西部を思わせる大平原に辿りついた男が、なぜか大刈り鎌を持って、麦畑を毎日毎日、収穫してまわることに。男自身、自分がなぜこんなことをしなければならないのか、を知らないし、そばの土地を通りすぎる者もない。だが、ある日一束の麦を刈ろうとした時恐ろしい予感と共に、これは自分の家族の命であることを知る、という物語や事故や惨劇に居合わせるのが、いつも同じ群衆であり、彼らが被害者が「死ぬ」ように、そっと手助けするという設定が不気味なものなど、印象的なストーリーが幾つも詰め込まれた、宝石箱のような傑作集だった。

さて、こちらは「十月の旅人」。さきほどの愛読書を思い出させるタイトルといい、窓の向こうに迫る惑星を描いた表紙といい、思わず手が伸びようというもの。そして、予想にたがわず素晴らしく面白く、夜中の2時までかかって、一気に一冊読み終えてしまった。

ブラッドベリが20代の頃書かれたものばかりで、名高い代表作は収められていないものの、奇想や華麗な文体はすでに確立されている。中でも印象に残った短編は、「過ぎ去りし日」。深夜に自分の家にいた老人は、ふいに入ってきた若夫婦に家から追い出されてしまう。そのまま、凍える戸外にいる老人の目の前で、色々な人々が、彼の家の鍵を開けて入って行く。彼らは誰なのか? そして夜中の3時だというのに、戸外の落ち葉の山の中を転げまわっている少年たちは? 
短い物語の最後まで読みおわると、あたかもメビウスの輪をくるりと一回転したように、長い時間の流れが身の内を通りぬけたように感じるのだが、この情景はあたかも不思議な絵のようではないだろうか? 深夜遅く、家の外にたたずんでいる老人と、冷たい落ち葉の中で遊んでいる少年たち……どこか普通ではないし、こちらにも夜の冷気が迫ってきそうである。

そして、「ブラッドベリ節」としか呼びようのない文体。「宇宙時代の散文詩人」とか「夜と孤独の詩人」、「エドガー・アラン・ポーの衣鉢を継ぐ巨匠」など、様々な讃辞がこの作家には捧げられてきたが、それすらも陳腐に感じられるほどの、特異性や天才が感じられる。久々に、海外文学を読んで、やはり翻訳の文章が一番好きだということを実感。人によっては、翻訳を「固い」とか「「自然さが感じられない」というけれど、私にはこの硬質さや彫刻のような構成美がたまらなく魅力なのである。

「十月は黄昏の国」のある一編で、一組の夫婦がイタリアへ旅行に行った際、教会の納骨堂へ行き、妻の方が、納骨堂の骨たちに魅せられて(?)しまうのだが、ラストシーン、夫が車に乗って出発した際、誰もいない助手席を見やるところが、不思議に怖くて印象にのこったもの。納骨堂のひんやりした空気の中、骨と眠り続ける妻の姿が目に浮かびそう。




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