ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

誰がツタンカーメンを殺したか

2016-11-08 20:41:57 | 本のレビュー
     
「誰がツタンカーメンを殺したか」   ボブ・ブライアー著 東眞理子訳  原書房。

この刺激的なタイトルの本は、若い頃買っていたもの。古代エジプトの18王朝時代は、考古学者ならずともドラマチックで華麗な謎に満ちていて、人々を惹きつけてやまない――そんな訳で、私も幾冊も買い求めていたのだが、時の流れと共に内容もすっかり忘却の淵に沈んでしまったのだ。

気づけば、古代エジプトに関する知識さえ、ずいぶん薄らいでいるではないか! そんな危機感(?)を感じた、ある秋の昼さがり、本棚から取り出したのが、これという訳。

素晴らしく、面白い本である。アメリカを代表するエジプト学者が描いた、新たな歴史観ということもできるし、そこんじょそこらのミステリーよりはるかにスリリングな殺人事件の謎を解いたものとも読める――ブライアーは、確信に満ちて語るのだが、少年王は暗殺されたのだ。

驚かされるのは、ツタンカーメンが生きていた三千年~三千数百年前のエジプトがとてつもなく高度な文明社会を築いていたこと。ツタンカーメンの王墓には、幾十ものワイン樽が見つかったが、そこには収穫された年(治世何年目というように書き記されていた)やツタンカーメン所有の葡萄園であること、辛口か甘口かもでヒエログリフで書かれていたのだ。

王家を頂点とする神官や書記の世界まで、現代の人間社会と比べて少しも遜色がない――はっきり言って、世紀が進むごとに文明が進歩してきたなんて言えないのではなかろうか?
医学や自然科学においては、現代の方が圧倒的な知識や技術を持っているとはいえ、ピラミッドやアブ=シンベルのような壮麗な建築を作り上げた情熱、美術品の美しさなど古代エジプトに及ばないものがいくらもある。

この書物の中で、ツタンカーメンはかの宗教改革を断行したファラオ、アクナートンの息子であること、父の死後、都をアマルナからテーベに戻したことがはっきり書かれている。だが、即位した当時、11歳に過ぎなかった少年王を補佐(というより、自分が実権を握ったといえる)したのは、宰相アイと将軍ホルエンヘブ。
異母姉であるアンクエスエンアメンと結婚したツタンカーメンには、短い幸福が訪れる。だが、幸せなファラオ夫妻を引き裂いたのは、ツタンカーメンの死だった。カーターの発掘から50年もたって、ようやくレントゲン撮影されることとなった少年王の頭部の写真を見て、血の塊があること、ファラオは鈍器で殴られたことで死亡したのではないか、との推測がなされることとなった。 しかし、誰が? 何のために?

ブライアーは、成長してゆくにつれ、自分の意志に従わなくなってゆくツタンカーメンを排除し、自分がエジプトのファラオになりかわろうとしたアイ(忠臣だったはずの)が手を下したと断言する。アイもホルエンヘブも王族ではなく、庶民にすぎない――彼らがファラオになるとしたら、エジプトの歴史が大きく変わることとなる。

ツタンカーメンの死後、王妃アンクエスエンアメンが敵国ヒッタイトの王に手紙を出し、「私は、恐ろしくてなりません。私の夫は死にました。私には息子がいません。そして、召使と結婚させられようとしています。私に、あなたの息子を一人下さい。その人がエジプト王となるでしょう」という激情に満ちた文章を送ったことはよく知られている。
ヒッタイトは、エジプトの宿敵であり、将軍ホルエンヘブは一生を賭けて彼らと戦ってきた。こんな手紙が明るみに出されたら、彼の激しい怒りをかったであろうし、ヒッタイト王が送ったはずの王子も殺されたらしい。
そして、発掘された古代の指輪……そこには、アンクエスエンアメンとアイの名前が彫られていた……彼らは、結婚したのだ。

ここから、ファラオの地位につくため、最後の王族となったアンクエスエンアメンと結婚したアイの姿が浮かび上がるのだが、以後、アンクエスエンアメンは歴史から消えてしまった。

何千年も前の出来事が、わずかな発掘品や神殿の碑文をたよりに、解き明かされることの不思議。遠い古代の人々の生活が、つい昨日のようにさえ思えてしまう。
これも、今も当時と変わることなく流れ続けるナイルのたまものであろうし、川のほとりには、当時とそう変わることない暮らしを営んでいる農民がいる。エジプトでは、ナイルも、太陽も、ピラミッドもすべてが久遠なのだ。

二十歳の春の日、私も古代エジプトの扉を開けた。5泊6日だったかのクルーズ船に乗って(外装は白く、美しかったものの、アガサ・クリスティーの『ナイルに死す』の華麗な世界には遠かった)、ナイル河畔の神殿をいくつも訪れたことを思い出す。コム・オンボ、フィラエ、エレファンティネ……懐かしい名前が、この本にもでてきて、古代エジプト人もこれらの神殿に礼拝したことを今さらのように、実感してしまった。 ある島の神殿では、壁画を修復しているおじさんもいた。私がカメラを向けると、ニッコリ笑ってくれたっけ。夜明けに起きた時、船の向こうにたゆたっていたナイルの水も……すべては、移ろってゆくのである。

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