ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

私は、あの洋服が着たい

2016-11-08 22:37:54 | ある日の日記

自分でも不思議に思うのだが、どうしてこんなにファッションが好きなのだろう? 洋服やバッグ、アクセサリー、部屋に飾る小物――そういったものを選んだり、手元に並べて見つめたりすることほど、好きなことはないような気さえしてくる。

この前、カフェで珈琲を飲んでいる時、ななめ向かいに座っていた若い女性……もちろん知り合いでもないし、特に目を引く美人だった訳でもないのに、なぜか気にかかってしまう。
どうしたのかな? この懐かしいような気持ちは? としばし考えているうちにはたっと思い当たった。
その女性が着ているセーターとスカートが、若い頃の私が着ていたものによく似ているのだ。グレーに格子のようなチェックが入っている短めのスカートにワイン色のセーターは縁のところが紺色にぐるりと取り巻かれている―「ああ」と私は思った。 懐かしい人に再会したような気持は、私の洋服への追憶につながっているんだな。

自分が着ていた洋服は、子供時代の頃のものも含めて、ずいぶん覚えているのだけれど、もちろん今、手元にあるわけではない。すべて、人にあげたり、捨ててしまったりしていたはず。私には、古い服を大事にとっておくという習慣なぞなくて(いちいち、取っていたら大変な数になってしまう)、クローゼットや洋服ダンスの中はいつもほどよい数におさまっているのだが、服の記憶は、アルバムだけでなく、心の中にもしっかり存在している。

洋服って、肌や下着の上に直接身に着けるもの――だから、それだけ親しいぬくもりを感じるもののはず。だから、好きな色や、デザインでこだわりぬきたいのだが、悲しむらくはバッグや小物と違って、すぐ古びてしまうこと。 「いや、洋服ったって、そんなに傷むもんじゃないよ」というあなた、数年もたてば、流行や時代のムードやらで、洋服はすぐ、ピカピカした輝きをなくしてしまうのである。もちろん、何年たっても、いい味を出してくれる「相棒」のようにぴったりくるものもあるんだけど。

クローゼットを開けるたびに、そこに現われる色彩や手触りに、幸せな気分になるのは、誰しも同じはず。

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