
母が、「今度の芥川賞の本は、面白そう!」と買ってきた2冊。 そして、一気読みしてしまった模様。
それで、私も読むことにしたのだが、どちらも面白かった

「おらおらでひとりいぐも」 若竹 千佐子 河出書房新社
「百年泥」 石井 遊佳 新潮社
どちらもが、読み終わった後、「ああ、いい時間を過ごせたなあ」と思いたくなる素敵な作品。 若竹さんも、石井さんも「新人」というには、やや年齢が高めなのだけど、その分の人生体験がおしげもなく注ぎ込まれ、単なる純文学小説という以上に説得力ある作品になっている気がする。
巷では、若い作家のデビュー作がもてはやされる傾向にあるのだが、正直手に取って読みたいとは思わないし、読んだ場合でも「何だか……」と思ってしまうことがほとんど。
これは、私が年を取っているせいかと思ったのだけれど、よ~く考えると、自分が本当に若かった時からそう思っていた。
若い作家のデビュー作で、「これは凄い!」としかいいようがないのは、今は懐かしのフランソワーズ・サガンの「悲しみよ こんにちは」くらいのもではないかしら?
話が思いっきり飛んでしまったけれど、とにかく、この2作品には、熟成がもたらす豊かさ、というものを感じたのだ。
若竹さんの「おらおらで……」は、夫を亡くし、子供たちとも疎遠ぎみである、老年女性の孤独ではあるけれど、しっかと前を向いて生きていく様に、誰しも共感を感じるのでは?
どうも、作者自身の体験が半ば以上現れているみたいなのだが、亡くなった夫が、素晴らしく美男子だった、と何度も書いてあることろは笑えるし、夫との死別を悲しみながら、
「一人になれたことを、どこかで喜んでいるおらもいる」とか「桃子さんは、戦うことが好きなのに、これまでの人生で一度も戦ったことがなかった。だから、今全力を出す」といった記述には、ドキッとする読者もいるのでは?
巷では、『玄冬小説』と言われているらしいのだが、シニア層の方たちの心の琴線にふれる小説が、やっと生まれたという気がする。
石井さんの「百年泥」は、インドの町で大洪水が起こり、百年も昔の泥が川底からかきだされるというシチュエーションが面白い。その泥を観ながら、作者の分身であるらしい「私」は、過去と現在の自分を想起する。そして、泥から、昔生きていたはずの人が現れたという幻想的なシーンも登場するのだが、これって、南米文学のお家芸である魔術的リアリズムそのもの!
新聞紙上の記事で、石井さんの好きな作家が「ガルシア・マルケスと三島由紀夫」とあるのを見て、「私とおんなじだ」とうれしかった……。
インドのとんでもなく非常識(?)でダイナミックな社会状況もリアルにわかって、異国小説としても十分楽しめる一冊であります。(それでも、インドは名だたるIT国家なんですね)
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