「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

青森、秋田、岩手の話

2019-05-13 07:30:16 | 日記
4月ある日の朝に、Iさんからの写真が送られてきて、いつもの如く、どこにいるかわかりませんでした。



ウトウで挨拶してチェックインしたら、、ウトウさんの真後ろにある最高のお部屋にしてもらっていたー(^。^)


ウトウ?あ、善知鳥(ウトウ)神社ねと、私は思い「青森?」と入れておきました。
青森の仕事だったようです。

善知鳥神社は、以前に記事にしていた青森の神社でした。

2017,3,21に記事がありました。


🌟タゴリヒメとアメノウズメの話


そして、その夜にIさんからの📩


なんか右眼に入って来た。
よくわからないから、もし何かわかることがあれば教えてけろけろ。
無理無しで。


次の日の朝に、そのことを聞いてみると、話してきたのは、ミクネの神(天之常立之神)でした。


ミクネだ。

Iさんの右眼に入ったのは、何ですか?

Iの右眼に入ったのは、土の精だよ。

土?ですか?

青森の善知鳥神社に行っただろう。

はい。行っていました。

そこにいたのだよ。
治水の時に掘り出されていたからな。
土の精は、体にいいから大丈夫だよ。
コーーーートーーーーシロヌシが話したいと言っているよ。



私は、コトシロヌシと話すのは、久しぶりだったので、珍しいなと思いながら呼んでみました。

記事を検索すると、話したのは2年前くらいになると思いました。


🐶コトシロヌシの話(レッスン12)



コトシロヌシだ。
片眼に入った土の精は、お疲れ様の土だよ。
北の青森から、岩手に行くと言っていただろう。
都会にはない土の精は、Iを助けてくれるよ。
話したらいいよ。



次に土の精が話してきました。


土の精です。
土の力は、体にいいのですよ。
善知鳥神社に来てくれたので、疲れていた右眼に入りました。
リーインカネーションのことがわかるそうですね。
死んでも尚の念は、消えないのですよ。
だから、霊というより念が飛んでくるのです。
四国の話は、良かったと思っているのです。

え?なぜ知っているのですか?

魂の会話は、土の精も聞いていますよ。
土の精は沢山いるので、わかるのです。
土と木と風は、連携していますからね。

雲は、どうなのですか?

雲は、神の時が多いですね。
神の雲は、出てもすぐ消えるのでわかります。
只の雲もありますからね。
土の精でした。



私は、大体のことをIさんに伝えました。


確かに目が疲れていたんだよ。
今週からずっと目薬をつけていたんだよね。
うれしい。
雨の予報なのに晴れて来たから、ニギハヤヒさんのとこによって帰ろうかと思う。


そーなんだ。行ってらっしゃい。
なぜ、コトシロヌシが話してきたのかは、謎だけどね。


事代主さんは、もともとウトウさんの中にあったんだよ。
摂社になってる。
流石だなぁ。


へぇそーなんだ。
何でだろう?と思ったから良かったです。


🌟青森県神社庁HPより

『事代主神社はもともと善知鳥神社の末社で蛭子堂と称していた。
寛永18年、青森町奉行森山蔵之助が漁師の大漁祈願の為、勧請し、造営。
明治5年頃、蜆貝町町民から蜆貝町の産土神に懇望され、善知鳥神社より蜆貝町に遷宮。
当初は堤川川尻の中瀬に境内を設け社殿を建立し祀ったが、その後川尻の埋立拡張工事が進み、社殿を改修、川尻の中瀬の場所より現在の川尻西岸に遷宮。
明治6年、村社に列せらる。明治42年、神饌幣帛料供進社に指定。
明治43年、青森市の大火にて類焼したが復興。
昭和20年、戦災にて、社殿等一切焼失。昭和23年、蜆貝町民の熱心な努力により、現在の本殿、拝殿を新築。』


だそうです。
ミクネの神が治水と言っていた意味も何となくわかりました。



Iさんは、青森から秋田に向かって行って、12時のチャイムと共に、着いたのは、唐松神社だったようです。




🐷ひつぎ



そして、Iさんは、秋田から次の日に岩手に行っていました。

ニギハヤヒの神社の後に、行ったのは、セオリツヒメの神社でした。


🐶瀬織津姫の話



唐松神社から、桜松神社ですね。







駅前で、美しい生和菓子を買って行ったそうですよ。

青森、秋田、岩手を巡る旅の間に、何かを継いでいたようですね。
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シドの神の話 その2

2019-05-11 07:30:10 | 日記

Nさんの話をミクネの神(天之常立之神)に聞いた後に、話してきたのは、シドの神でした。



シドの神です。
私は、カド八幡宮にいます。
Nに伝えてください。
私は、ずっと守っていますよ。
祖父が作った会社ですが、まだ畳まないでがんばって欲しいです。
祖父の想いが強い家から離れるので、大丈夫です。

Nさんにお伝えしますが、何か欲しい物はありますか?

わたしが好きなのは、カツです。
トンカツが好きです。
飲みたいので、水が欲しいです。
隅田川サイダー飲んでみたいです。
お願いします。


また、笑えるトンカツでした。
隅田川サイダーというのは、最近記事にした、墨田区限定の丸源飲料さんのサイダーですね。
トーキョーサイダー」という物ですが、瀬田の龍神が隅田川サイダーと言っていたので、シドの神も聞いていたのかもしれません。

実は、「魂の会」の時にリピーターのきょんぴいさんが、探して買って来てくれたのです。
私はまだ飲んでいませんが、また集まった時にでも飲もうと思っています。


「トーキョーサイダー」のラベルは、なんだか宇宙船ぽい感じなのです。


さて、私は朝からNさんに電話して伝えました。

Nさんは、メモを取りながら聞いてくれました。


Nさんの📩の抜粋


先ほどお電話くださった中で教えていただいた志度の神様ですが、志度の神社で心当たりがあるのは現在実家があるところの産土神社

「鴨部(かべ)神社(八幡宮)」と、それ以前に住んでいたところの「多和(たわ)神社」があります。

鴨部八幡宮は実家の神棚でお祀りしており、私も子供の頃からお参りしていたところです。おそらく私はここの神様ではと思います。

多和神社は、私どもを頼り最期の力を振り絞って出産に来、早朝発見した時には絶命していた野良犬の忘れ形見だった仔犬2頭のうちの1頭を貰ってもらったところで、私自身も娘のお宮参りに伺ったりとご縁があるところではあります。

他にも小さなお社でご縁のありそうなところは次のとおりです。

・男山(オトコヤマ)神社

・志度の弁天さん(祖父の代に住んでいた土地近く)

・峠のお不動さん(曽祖父の代から住んでいた土地近く)

思いつくのはこのくらいで、あとは子供の頃よく遊んだ四国八十八ヶ所霊場の1つである志度寺のお観音さん、お大師さまもありますが、ここはお寺なのでどうかな?と思います。


私は、カド八幡宮は、「鴨部八幡宮」のことではないか?と思い、次の日にまた聞いてみました。


シドの神です。
Nが話してきましたね。
私は、佐伯真魚(さえきまお)にも就いていました。
空海ですね。
空海は、今はトップの神になっています。
日本のという意味ですよ。
イランから来た神達は、(プルアデスの)タイゲタ星の魂だと聞いています。
かつて、讃岐にはセナの神(ニギハヤヒ)がいました。
理解してくれるので、助かります。
金比羅の元は、セナの神ですからね。
私は、餅のように支えていました。
いわゆる、下支えの神です。
私も就いていいですか?

はい。何階層の神様ですか?

私は四階層の神です。
いつも、話は会議で聞いていました。
縁が出来て、話せることが出来て嬉しいです。

Nさんをお守りくださいね。

羅漢になるようにしていきます。

あの~。カド八幡宮と言いましたよね。
鴨部(かべ)八幡宮ではないのですか?

カドというのが、正式です。
昔は、カドと言ったのです。

字はどう書くのですか?

「神」に「戸」ですね。
神戸(こうべ)と同じです。


先日、竹島に行った時に「御津(みと)神社」に行きましたが、その時にも昔は、「水戸」だったという話をしていました。

海に近い港は、要所になっていたので、神戸とか水戸とかになっていたのかもしれません。
地名も神様も時代が変わると、上書きされているので、実際のことはわかりませんけどね。

空海は、幼名が佐伯真魚(さえきまお)と言うのです。
女性アイドルの名前みたいですね。

🌟774 年6月15日 

讃岐国屏風ヶ浦(現香川県善通寺市)に生まれる。
父:佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)
母:玉依御前(たまよりごぜん)で 佐伯真魚(さえきまお)と名づけられる。


私は、Nさんから頂いた📩で、行ったこともない、四国の話になっていることに驚いています。

Nさんは、私が伝えた通り、素直にトンカツを作って持って行ってくれたそうです。


Nさんの📩の抜粋


M子さま

こんにちは。お世話になっています。
今日の午前中に、予定通り木彫りの龍を粗大ゴミセンターに運びました。

朝からヒレカツを揚げ、おそらくここで間違いないなという「右の石のところ」(本殿に向かって右にありました)で食べました。
昨夜から緊張していたのと、揚げすぎて堅かったか?いつもなら朝からでもガッツリ食べられるのになかなか喉を通りませんでした。

その後実家に行くとまさかの留守で誰もおらず。。。
一人で念のこもった龍を壁から下ろす恐ろしさとで震えがきて喉が詰まりました。
神様の加護を信じて、自分の腕力を信じて、なんとか下ろすことができました。怪我もなく一人で運べたことに感謝です。

ゴミセンターの帰りにお礼参りに行き、しばらくいたら気分もすっかり戻りました。

今日は本当にとてもいいお天気でした。
こちらでは田植えが始まり、藤の花も咲き始め、いろいろな蜂がブンブン飛びまわっています。

私は、どこで何をしていても田舎なので皆が見知っていてあれこれ噂されるのが嫌でした。
高校から県外に出、実家を離れました。
なのでその頃から鴨部神社にはほとんど行っていませんでした。

今回、M子さんと神様と、ご縁を結んでくださって再び訪れたふるさとは、花咲き鳥鳴き蝶が舞う、新緑のさわやかな薫風とまぶしい光の溢れる美しい土地でした。
倒産の話が持ち上がって以来のこの1〜2年、いつも暗い気持ちで実家を往復するのがせいぜいだったので、この美しい風景を忘れてしまっていました。

私一人ではわかるはずのなかったことを教えてくださり、このような機会を与えてくださったこと、本当にありがとうございます。


Nさんが、送ってくれた写真です。










美しい自然ですね。
Nさんが、再び気付いてくれて良かったです。

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シドの神の話

2019-05-09 07:30:41 | 日記
シミソバカスのある、ツナの龍神の奥さんは、讃岐にいたのだという話があり、その時にシドの神がいると、ツナの龍神が言っていました。

4月の始め頃から、話していた読者の方との話の中に、出てくる神社のことを調べていくうちに、シドの神が話してきて、「就いていいか?」と言われたので、その方にもご了承頂き、記事にすることにしました。

まずは、その方の📩ですが、かなり長いもので、途中割愛しています。


Nさんからの📩


M子さま

初めまして、突然のメールで失礼します。
長いのでお時間と気力体力に余裕のあるときに読んでいただけたらと思います。
お忙しいとわかっていながら送信すること、お許しください。
私は香川県高松市に住むNと申します。
メールの最後の方に「お願い」したいことを書くつもりでしたが、長くなってしまったのでお願いごとだけのメールを別途送信させていただきます。
なお、私はうわついている自覚があるので、お返事がなくてもそれはそれでそういうご縁だったと思うことにしますから、お気になさらないでください。
いろいろな方からお願いメールが届いているのは想像に難くないので、M子さんのご負担にならないように先にその旨お伝えしておきます。
それと、もし今後四国にいらっしゃることがあれば、少しはお役に立てることがあるだろうと思いますので、遠慮なくお声かけくださいね。

さて、私は今年に入ってから「かつこ内親王」のブログにたどり着き、最初から読み始めて、このたびようやく現在記事に追いつきました。
途中で何度もご連絡したいと葛藤しつつ、やはり最後まで読み進めてからがいいと思って控えていました。

M子さんにはこの8年近くの長きにわたり、日々の貴重な時間を割いて、またご主人のお世話など大変なときも変わらず神さまたちからのお話やM子さん自身の経験談などをアップし続けてくださったこと、本当にありがとうございます。
読みながら泣いたり笑ったり励まされたり反省したり。
心から感謝しています。

ブログにたどり着いたきっかけは、私もやはり佐藤愛子さんの本からでした。
友人の旦那さんが若くして急逝されたことを昨年12月に風の便りで聞き、なんと声をかけたものかと思案しながらいたときに新刊で並んでいた佐藤愛子さんの『冥界からの電話』という本です。
その中に『私の遺言』が出てきてそれも読み、登場する医師のことや相曽誠治さんを検索していて検索結果に上がってきたサイトの一つが「かつこ内親王」のブログでした。

ブログを読み始めた頃は私にとって、実家の倒産から始まった親族の不仲や、破産する道を選ばせてしまった老親の今後のこと等々考えてつらくなることの多い時期でした。

【中略】

とにかくこれ以降、つらいときにはM子さんのブログを読み進めていました。
読んでいると、それまでつらいと思っていたことが不思議とそうでもなくなり、ところどころ挟まれる神様たちの立ったり座ったりのお話とか(!)スサノオ様のかわいさや夫婦のあり方とか、カラツの神様の優しさ、空海様の真面目さからは想像できない隠しきれない恋心?とか、ただの座敷童子さんではないツカヘイさんのおやつ好きとか、癒されに癒され、また勉強にもなりました。
北極星を中心に廻る北斗七星や天空の星のお話も、「揺るがない」というのはこういうことなのだろうと理解できた気がします。
おかげさまで以前より私はずっとずっと強くいられるようになったと思います。
M子さん、神様、そしてIさんを始め何度もブログに登場する、大変なお役目を次々と果たされてきた人間の方々にも感謝しています。
本当にありがとうございます。

ブログに出会ったことがきっかけで近所の神社のご祭神を調べてみたらナセの神様(失礼ながら国之常立神様を存じておらず、ブログで知ったと思います)だったことに驚いたり、
娘が昨年から就学のため松山に住んでいるのですがナセの神様の旦那さまが愛媛担当?のオオヤマツミの神様だったり、
たまたまIさんが四国にいらしたときの大麻比古神社の記事を私が見ているまさにそのときに、横浜に住んでいる徳島出身の古い友人からLINEがきて「テレビでブラタモリの徳島(鳴門)の回(4月に再放送がありました)を見て実家に帰省することにした、鳴門の大塚国際美術館と大麻比古神社、霊山寺に行く」ことからぜひ会おうということになり、私も友人とは別途でしたが、大麻さんにお詣りできたり、うれしいことやシンクロに驚くことがいくつもありました。

大麻さんでは境内でザーッと風が吹き、自意識過剰かもしれないけれど、なんとなく歓迎してくださってるのかな?と思うと嬉しくてかたじけなくて、思いがけず涙が出ました。

【中略】

これからも無理のない範囲で不思議なお話を聞かせてください。
よろしくお願いします。楽しみに、また、励みにしています。いつもありがとうございます。
長いメールを読んでくださりありがとうございました。


かなり長いので、ずいぶん割愛していますが、誠実な人柄は感じられました。

私の「かつこ内親王」のブログの中で、いつも検索されているのは、相曽誠治さんの記事なので、彼女もそこからだったのだと思いました。

本題のお願い事は、その後の📩になるので、要点だけを入れると、


①現在、お祖父さんの代からの会社を畳むことになってしまい、そのために家族も親戚も絡んで、ストレス状態になっているので、占いのM先生を紹介していただけないかということ。

②ご両親が住んでいた屋敷も手放すことになってしまい、すぐには売れないかと思っていたら、5月には明け渡さないといけなくなってしまったこと。

③旧家で、骨董品が沢山ある中で、玄関に飾ってある龍の飾り物が、以前に魂があるように言われたので、処分をどうしたら良いかということ。

とても長い文章なので、本当に簡単な要約になりますが、やはり生まれ育ったお家を手放さなければならないことは、大変な悲しみであろうことは、推察出来ました。


まず、①のことについては、いろいろな方に聞かれるのですが、現在M先生は、事務所を閉めていらっしゃるので、ご紹介は出来ない状態であること。

②にあるように、早急な話になっていたことで、私は③のことを聞いてみました。


やっぱりミクネの神(天之常立之神)が答えてくれました。


とんでもない物が憑いているよ。

悪いものですか?

悪いものだ。
龍の飾りのお陰で、家は無くなったと思った方がいい。
捨てても大丈夫だ。
変わらないといけないと、伝えたらいい。
仕事は、次に続くようにしないといけないのだよ。
Nには、シドの神が就いているよ。
神社があるはずだから、参ったらいいよ。


そして、Nさんの📩の最後に書かれていたことが、やっぱり続いた話になったのだと思います。


最後に、余談ですが実家のあるさぬき市には志度(シド)という街があり「死渡」が語源だという説があります。
地理的には香川県の東部に位置し、鳴門にもそう遠くないし、ふと「死渡」ってアトランティス?根の国の入口?とブログを読み始めて思いました。
ここは藤原の不比等さんにまつわる「海女の玉取り伝説」(龍神さんに宝物の玉を奪われた不比等さんが身分を隠して奪還のために訪れ、当地で恋仲になった海女さんが命がけで龍神さんのもとに玉を取り返しに行く)もある土地です。




続きます。
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4月7日に

2019-05-06 07:30:34 | 日記
4月7日にIさんは、「久保田萬寿」を持って、平将門の言われた場所に行っていました。

それは、私と話していた時に出てきた場所でしたが、私はやっぱり知らないところでした。

その時に言われたのは、ノートに書いてなかったのですが、「虎ノ門」と「坂」だったと思います。

Iさんが、いつもの如く、


ねーさん、何か言われている。
聞いてみて。


と、言っていて私が振り子で聞いたことから、そこがわかったようで、


愛宕神社だな。


へぇ~、そーなんだ。


坂があるというか、階段があるんだよ。
わかった。行ってみるよ。
これは、将門さんの感じだから、「久保田萬寿」を持って行くよー
他に何かツマミとかいらないかな?
イカとかさ。

イーーーカーーーだって。


私達はいつもですが、大笑いしていました。


Iさんからは、写真が送られてきていました。



まずは、苦手だった平将門の首塚に。
その後に行ったのは、築土(つくど)神社でした。





言っていたイカとチータラが入っているようです。

筑土神社を調べてみました。


🌟築土神社(つくどじんじゃ)は、東京都千代田区九段にある神社である。通称、築土明神。

現在は天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を主祭神とし、平将門、菅原道真を配祀する。

江戸時代の文献によると、当社内には平将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものが安置されていたといわれ、数ある将門ゆかりの社寺の中で、将門信仰の象徴的神社となっていた。明治に教部省の指示により将門は相殿に格下げされ、現在は天津彦火邇々杵尊が当社の主祭神となっている。

戦災で当社が焼失するまで、将門の首を納めたという首桶、将門の肖像画(束帯姿)、木造の束帯坐像等が社宝として伝わっていた。
昭和20年4月、戦災により社殿とともにそれらは焼失し、現在は一部の写真が残るのみである。

天慶3年(940年)6月、江戸の津久戸村(上平川村、現:千代田区大手町一丁目将門塚付近)に平将門の首を祀り、塚を築いたことから「津久戸明神」として創建されたという。

室町時代に太田道灌により田安郷(現:千代田区九段坂上)へ移転させられて以降は「田安明神」とも呼ばれ、元和2年(1616年)に江戸城の拡張工事により筑土八幡神社隣接地(現:新宿区筑土八幡町)へ移転し、「築土明神」と呼ばれた。

明治7年(1874年)天津彦火邇々杵尊を主祭神として「築土神社」へ改称する。

300年以上の間、筑土八幡神社と並んで鎮座していたが、1945年の東京大空襲によって全焼し、1954年、現在の九段中坂の途中にある世継稲荷境内地へ移転した。


平将門の首塚の場所(大手町)から、ずいぶん動いていたのだと、初めてわかりました。



途中で、Iさんが電話をしてきたのですが、私は気付かなくて掛け直すと、いつかのようにカラスがギャーギャーと沢山で鳴いていて、その鳴き声を聞かせたかったそうです。
私が掛けた時は、おさまっていたので、ツナの龍神が助けてくれたみたいですね。


🐷迷ったんですが、、、


この元号の代わるタイミングで、世継稲荷とは?ですが、Iさんはその後に、愛宕神社に行っていました。
調べてみると、坂とは愛宕山のところだからみたいですね。


🌟愛宕神社(あたごじんじゃ)は、東京都港区愛宕一丁目にある神社である。
山手線内では珍しい自然に形成された山である愛宕山山頂にある。
京都の愛宕神社が総本社である。

愛宕神社がある愛宕山は標高25.7メートル。
出世の石段を登り切った右手には、山の証しである三角点があります。天然の山としてはこれは23区内で一番の高さ。
現在のように高層ビルが建ち並ぶ前の江戸時代には、見晴らしの名所として、見物客で賑わいました。
山頂から東京湾や房総半島までを見渡すことができたと言われています。


Iさんは、ここにある出世の石段と言われる急な階段を駆け上がって、回りの人がびっくりしていたそうですよ。





首塚に行った時に、緑の葉っぱが1枚落ちてきて、それもイカと一緒にずっと繋いでいったそうです。





4月7日は、桜が終わりかと思ったら、寒い日が続いていたので、丁度散りぎわの美しさでした。









そして、次の日に話してきたのは、平将門でしたが、いきなりでした。


友達の輪が広がることは、嬉しいことだ。

どなたですか?

平将門だ。
昨日、Iは私が言った通りに行ってくれたな。

はい。がんばっていました。

世継稲荷は、これからのことを託したいからだよ。
福壽稲荷は、虎ノ門の要だからな。
「久保田萬寿」ありがとうと伝えてくれ。
問題はないから、突き進んだらいいよ。
たまに、熱海に行ったらいいよ。
M子は、いい買い物をしたよ。
宝のような温泉だったということだな。
足も治っただろう。


私は、昨年左膝が痛くて、すぐに立ち上がれなかったり、曲げるのか痛くて、人生で初めて整形外科に行って診てもらいました。
レントゲンも撮って貰い、先生が、


老化ですね。

ですよね~。


そして、湿布を貰って帰りましたが、確かに最近痛くないのです。

温泉で温めていたのが、良かったのでしょうか。
まさか、平将門に言われるとは思いませんでした。


平将門の話は、しばらくして続きます。
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冥王星のトミーの話

2019-05-03 07:30:33 | 日記
4月15日のセナの神(ニギハヤヒ)の話の後に、振り子を持っていると、「つ」を指したまま動かなくなりました。


つーーーーーーーーーーーーーー
よーーーーいーーーーわーーーー(強い輪)が、出来たな。

どなたですか?

めーーーーいーーーーおーーーーうーーーー(冥王)星から話している。
さーーーーかーーーーいーーーー(境)がない人がいたな。

Iさんですか?

そうだよ。
境がないから、何でも入ってくる。
つーーーーまーーーーりーーーー、古代の体ということだよ。
かつていた、縄文の民達の祖先らしいな。
ライオンとノナの話は、伝説だからな。
アークトゥルスのミキハウスとは、友達だよ。

お名前は、何とおっしゃるのですか?

私は、冥王星のトミーだ。

トミーですか?

トミーだよ。
トミーは、問題ないだろう。
ミキハウスより、ナタデココより、宇宙人ぽいだろう。

はい。比べれば普通ですね。

トミーの年は聞きたいか?

はい。おいくつですか?

私は、3億6000年前のラップ星の爆発も知っているのだ。
ラップ星は無くなってしまったが、テラ(地球)で、生き残った魂が続いているのは、嬉しい限りだ。
死ーーーーーは、肉体だけに訪れるものだからな。
魂は、永久だということだな。
近くないのに、ここまではっきり話せると思わなかったよ。
デタラメではなかったのだな。
私は、ミキハウスに聞いたのだが、ナタデココも言っていたからな。
また、話してもいいか?

はい。

よろしく頼むよ。


冥王星は、太陽系にある惑星だと思っていた私は、調べてみて驚きました。
学生の時に習っていた水金地火木土天海冥(すいきんちかもくどってんかいめい)は、今は違っていたのですね。
冥王星は、2006年に準惑星となり外れていました。
だから、今は惑星は八個なのですね。






🌟太陽系の惑星は、太陽に近い順に水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星の8つです。
ところが、2006年まではこの8つの惑星に加えて、「冥王星」という星が太陽系の第9惑星として存在していました。

現在この冥王星は、惑星ではなく準惑星というカテゴリに格下げされてしまっていますが、なぜ冥王星が太陽系の惑星からはずされてしまったのかについて説明したいと思います。

冥王星は1930年にその存在が明らかにされました。
当時の観測技術の未熟さも相まって、冥王星は地球と同等の質量をもつ惑星であると長く考えられていましたが、近年の科学技術の発達により、その評価は下方修正されていくことになります。

発見当時の望遠鏡では、冥王星を確認することがやっとだったのですが、技術が発達してきた1992年以降、冥王星に似た天体が数多く発見され始めました。その数は1000を超え、天文学者たちも、冥王星が本当に惑星であるのか、小天体ではないのか?と疑問を抱き始めました。

そこで彼らは、惑星の定義を明確に決めることにしたのです。
惑星の定義

2006年にチェコのプラハで開催された国際天文学連合総会で、天文学者は惑星を科学的に明確に定義しました。その定義とは

■(1)太陽の周りを回っていること

■(2)十分重く、重力が強いため丸いこと

■(3)その軌道周辺で圧倒的に大きく、他の同じような大きさの天体が存在しないもの

の3つです。

冥王星にとってネックとなったのは、(3)の定義でした。
実を言うと、2003年に冥王星の近くに冥王星よりも大きな天体「エリス」が発見されており、冥王星は惑星の定義に該当しなくなってしまっていたのです。

その結果、(3)に該当しないということで、冥王星は惑星から準惑星というカテゴリに格下げされてしまいました。

これが冥王星が惑星から格下げされてしまった一連の流れです。
ちなみに、この冥王星のように、太陽系の外に存在している天体を太陽系外縁天体と言います。


だそうです。
冥王星は、地球のオーストラリアよりも小さいそうですよ。

でも、トミーは話してきました。


私が、この時丁度話していた、K会長に


冥王星から話してきてさ。
遠くなのに、よくわかるなと言われたんだよね。

M子さん、プルアデスのタイゲタ星の方が遠いんじゃない?

あ、そうだね。確かに。


いつも、よくわからないことばかりですが、ま、いいかと思っています。

記事にするのに、トミーを呼んでみました。


冥王星のトミーだ。

冥王星は、今は太陽系の惑星ではなくなっていたのですね。

そうだな。とても残念だ。

冥王星には、独りでいるのですか?

冥王星は小さいが、ラップ星のかけらなのだよ。
小惑星帯は、まさにそうだけどな。
月もそうだし、冥王星もそうなのだよ。

冥王星は、どういう感じなのですか?

魂は沢山いるよ。
肉体がないだけだ。

なぜ、私に話してきたのですか?

ミキハウスが話したらいいよと、言ってきたのだ。
リーインカネーションのことがわかる人だから、、、
ラップ星の話もわかる人だから、、、
強い波動が出ているからわかったよ。
Iと一緒にいると、もっと強いから信じられると思ったよ。
かつてのことがわかってくれる人は、そんなにいないのだよ。
魂は、3億6000年前の記憶がある訳だからな。

トミーさんは、ラップ星人なのですか?

ラップ星人だったよ。

ラー族?アース族?

ラー族だった。
空を飛んで暮らしていた。
アース族と仲は悪かったが、平和な星だったよ。
M子と言うのか。
わかってくれてありがとう。
疲れないように、長く話してくれよ。

なぜ、トミーにしたのですか?

トミー・カーチスが好きだったのだよ。

トニー・カーチスだと思いますよ。

トニーか、ま、罪はないよな。


トニー・カーチスは、アメリカの二枚目俳優でしたね。
10年前くらいに85才で亡くなっているそうです。



いつも、名前はどうでもいいということのようですね。

久しぶりのラップ星の話でした。


🐷イラタの神(天之御中主之神)の話


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