午前10時からの故向井猛氏の葬儀に参列、現職を離れて相当の年数が経っているのを感じました。
最後に花を入れさせていただきましたが、お顔に闘病生活が感じられました。
愛読書から・・・。
人の愛情には2つの種類がある。
何が何でも無条件で愛するという絶対的愛情が、その1だ。
例えば「五体不満足」の著者が生まれたとき、五体の1体しかない赤ちゃんをはじめて目にした母親の口から
出てきたのは、「可愛い」という言葉だった。
この著者のツキは、その瞬間に決まったと思う。
自分に向けられた無条件の愛を確信した脳は、完璧なプラス思考になり、どんな不可能も可能にしてしまう。
だから天才は1%しかいないのだ。
世間の一般的な親は、生まれた子どもに手足が無かったとき、「可愛い」とは言えないのである。
愛情のその2は、条件付の愛、評価を伴った愛だ。
五体満足だから、顔が可愛らしいら、頭がいいから、親の言うことをよく聞く「いい子」だから、勉強ができるから・・。
そういう何らかの条件が愛情にくっついてくる。
勿論、ほとんどの親は、絶対的な愛情で子どもを愛しているが、コミュニケーションが不足したり、間違ったメッセージを
発してしまうと、愛情が子どもに伝わらない。
その愛情をようやく理解するのは、親が無くなったときだったりする。
「孝行したいときに親はなし」とはよくいったものだと思う。
もう取り返しがつかない。
いや、取り返しはつく。
スポーツ選手には、親が亡くなった後の試合で大活躍したり、驚異的な記録を出すケースが少なくない。
これなども親の死によって、その愛情の深さを思い知らされ、また親に対する自分の愛情にあらためて気づいて、
感情脳に大改革が起き、イヤでもメンタルビゴラス状態になってしまった結果である。
自分を愛してくれる人のために、成功する。
私が人間を凄く好きなのは、人は自分のためよりも、愛する人のために頑張れるからだ。
自分のためには強くなれなくても、人のためには強くなれるからだ。
メンタルタフネスの鍵がここにある。