キツツキのドラミング

思い付くまま, 気が付くまま・・

『お山の大将』が大好きで・・

2012-07-14 06:12:03 | Weblog

『お山の大将』でないと収まらないのが汚沢だと渡部黄門が次のように語っている。1993年宮沢内閣の不信任決議案に同調して自民党を飛び出し、細川を担いだ新生党を作った。今度の離党は汚沢の我が侭だ。彼は№1でなければ駄目で、№2ではいられない。これまでは民主党を分裂させないようにするには、彼が権力を握れるように、代表か、幹事長にするしかなかった。角栄が亡くなった倅と同じ年の汚沢をわが子のように可愛がった、また竹下、金丸の親戚筋だったので汚沢は『貴族』だった。それで己がいう事は何でも通るのが当然だと思う性格になてしまった。長年の同志だったのだから正鵠を射ているだろう。小沢佐重喜が44歳母が42歳と高年で生まれた一人息子で、チャホヤ誉めそやされて育てられた。また角栄も息子以上に甘やかした結果の人格形成かもしれぬ。親父が弁護士だったので、弁護士を目指し、東大法を2年浪人したが駄目だった。そして慶大経に入った。卒業して日大大学院で法律を学んでいたが1968年親父が心不全で急逝したので弁護士を断念、翌年1969年衆院選に親父の地盤岩手2区から自民党公認で立候補して27歳で当選した。時の幹事長は角栄だった。その後角栄や金丸が可愛がってくれた。以来連続当選回数14回を誇り、落選は一回もない。ある意味では順風満帆だったことになる。政界で力を付けると検察も一目置くから、少々危ない橋でも渡れることを恩師角栄、金丸の身近で学んだ。角栄もロッキード事件が米国でバラさらなければキングメーカーになり、裏から傀儡総理を操り、その後は政界のドンとして天下を睥睨して、平穏な余生を送れた筈だった。汚沢としては責任をとらされたり、野党に追求され、攻められる大臣より、代表、特に幹事長が大好きだ。汚沢の頭の中は金、カネだ。今回は脱税王ポッポが追従しなかったので金蔓にスルリと鰻の如く逃げられた。汚沢が新党代表となり、幹事長には自由党時代から只一人『下駄の雪』で付いて来ている鬚髯の東祥三がなった。これは表向きに過ぎぬ。実質は汚沢がカネを握り、人事を操って、全てを取り仕切る、反抗するのは遠慮会釈なく切る。汚沢チルドレンで民主党で洞ヶ峠を決め込んでいる三下には、これから甘言と恫喝を使い分けして新党に誘い込む手段をあれこれ講じるだろう。汚沢政治哲学、政治は力、力は数、数はカネだ。落ち目でどうにもならぬ社民党の瑞穂ピンクが秋波を送っているがマイナス掛けるマイナスでプラスになると思うのは大いなる勘違いだろう。同病相哀れむで、共倒れがオチだ。写真はボタンクサギ(牡丹臭木=カナ表記だと意味不明になる、枝葉に強い臭気がある)、睡蓮