キツツキのドラミング

思い付くまま, 気が付くまま・・

梅花

2014-02-05 10:49:12 | Weblog

 

西日本新聞の短評欄『春秋』を永年担当していた一人の岡枝英元著『えんぴつ人生帖』から引用する。”梅” <はや二月の声をきく。三日は節分、四日は立春で寒も明ける。これはコヨミの上のことで、にわかに寒さがやわらぐものではないが、やはりそこはかとなく春は隣に来ているようで楽しい。・・・・ウメはもともと、日本には、野生がなかったそうだ。原産地は中央アジアで、日本には中国から奈良朝時代に輸入されたものだという。戦時中には、「桜花のようにいさぎよく散れ」と、サクラが期待される人間像の象徴ともなっていた。これにくらべるとウメの花はいつも、ひっそりと人々から静かに愛されてきた。「梅花のように気品高き人間像」といったものを、中教審に加えてもらいたくもなってくる。(昭和40.2.1)>この年(1965)の中央教育審議会は「期待される人間像」(中間草案)を発表したが、かっての教育勅語のように、国民の価値観に立ち入るこのようなものを、政府機関が作成することの是非、「祖国敬愛、天皇敬愛」が強調されていることの是非をめぐって論議をまきおこした。これに関連したのが最終の著述部分である。中央教育審議会=中教審は現在も設けられている。『えんぴつ人生帖』は30年ほど前に麻布の古書店で購入したものである。著者が藤村志保様 謹呈 とサインがある。藤村氏(75歳)は現在NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』でナレーションを務めているが、演出意図から独特な語り口調が判りにくい、おどろおどろしい表現だ、滑舌が悪いなどと苦情が多かったようである。1月3日に背骨を圧迫骨折する大怪我をしたので降板した。2月9日放送分まで収録されており、2月16日放送分からNHKの広瀬修子元アナと交代する。正に怪我の功名だろう。吾吟我集(ごぎんわがしゅう)俳人石田未得の1649年狂歌集である。題名、吾吟我集は古今和歌集をもじったものだ。狂歌 ”人知れずころびてつきし向疵いえぬるあとや怪我の功名”