先日 おばあちゃんの 四十九日の法要が行われた。
私の実家の方では 四十九日はお金を包んでこない、と決まっている。
おばあちゃんの 長男の住んでる地域も いらないらしい。
しかし 名古屋の風習は 義母の兄弟 誰も分からない。
結局 おばあちゃんの弟の様子を見て 出したら 右へならえするとのコトで 一応包んでいった。
午後1時半から だというから 食事はナシ?とも思っていた。
しかし お経の後 お墓にお骨を収めに行って 精進上げの食事となっていた。
この食事の時 長男と 家をついで喪主になった次男とが 言い争いになった。
前回書いた あの情けない次男(義叔父)である。
長男に
「この先 この家を守っていく財力はあるのか?」
「転職ばかりして 年金も退職金もないくせに」
「決意の程を聞かせろ!」
と言われ、次男(義叔父)は 小声だが
「金はある」「何とかできる」「財源はある」
と言っていた。本当だろうか。
次女(義叔母)も 今までの情けなさを おばあちゃんの弟はじめ みんなにバラすようにしゃべりだす。
義母はだまって聞いていた。
影で次女と言っていたのに ここで黙るなんて 卑怯だな~とも思った。
しかし 参加したら延焼するだろうし まぁ黙ってるのも手かも。
私はなんだかいない方がいいかも、と思い、急いで食事をいただき、ひよちゃんの授乳と称して席を離れた。
その後は 穏やかに 旅行に行く話などをしていたが 今回のいろいろなことにあきれた義母は
次男夫婦に「これからは 冠婚葬祭のみのお付き合い」と 宣言してきたそうだ。
私は おばあちゃんにあげた 新婚旅行のお土産の ガラスのお皿と 敬老の日にあげた写真盾を返してもらった。
お葬式の後に聞いたのだが こんなこともあった。
なくなる前、2回ほど転んで 顔に青あざを作っていた。切れて血が出たところもあった。
次男夫婦の孫が生まれ、それを見にきた 次女が泊まったとき。
おばあちゃんの枕・枕カバーが 血で汚れていた。
次男妻は 孫の服が 少し汚れただけでも
「あらあら 濡れちゃった、着替えようね~」などと お世話を焼いていた。
それなのに・・・と思うと おばあちゃんが かわいそうになったという。
おばあちゃんは わがままだった。
次男妻を嫌っていた。
きっと ワケがあったに違いない。
いろんな話を聞いていると おばあちゃんと同居していた次男夫婦は
ただ、同じ家に住んでいて、食事を与えていたただけで おばあちゃんに思いやりはなかったのかな、と思う。
食事の時以外は 2階で過ごしていたし。
だから 93歳で大往生だけど 今 亡くなって おばあちゃんも幸せだったかも。
もっと長生きして 寝たきりとかになったら 誰も世話してくれなかっただろうしね。
私には 優しくてかわいいおばあちゃんだったよ。