先日のヴォクスマーナ定期演奏会が私にとって癒しになっていると言ったら、歌っていた超本人のお一人に「癒しとは、全く思いもしませんでした」と言われちゃいました。そこで、私なりの『癒し』の定義を。
東京で数時間を過ごすことになり、単館(銀座のシネスイッチ)上映の映画を観てきました。その映画のタイトルは『小さな村の小さなダンサー』。
中国人ダンサー、リー・ツンシンさん(後にアメリカに亡命)が、文化大革命の波に翻弄されながらも、自分のバレエを貫いていった約10年間の物語。俳優ではなく、バレエダンサーを主役に起用し、そのバレエシーンが素晴らしいと知り(特に私が今年ハマっている『春の祭典』のバレエシーンが絶賛されている記事を偶然読んだ)、舞台を観にいく感覚で行きました。正直、『春の祭典』は、オケだけで聴いたときの方が何十倍も感動したんだけど、映画のストーリーとして、とても引き込まれる映画でした。歴史を熟知した人にとっては、想像に難くない筋だとは思いますが。
平日の昼間だというのに映画館には大勢の人。後ろの方は殆ど満席になってしまったので「えい、この際!」とぐぐーーっと前の方へ座り、自分の前にはスクリーンだけ!という大迫力で映画を楽しみました。視界に現実的なモノが何一つ入ってこない状態で観る映画はまさに私にとって癒しの時間。
全てのしがらみも恥じらいも忘れ、カラダの中の感動センサーのカバーを全てはがして、ぐにゃぐにゃのココロで泣いたり笑ったり好き勝手に反応することが出来ること。それが私にとっての『癒し』です。
東京で数時間を過ごすことになり、単館(銀座のシネスイッチ)上映の映画を観てきました。その映画のタイトルは『小さな村の小さなダンサー』。
中国人ダンサー、リー・ツンシンさん(後にアメリカに亡命)が、文化大革命の波に翻弄されながらも、自分のバレエを貫いていった約10年間の物語。俳優ではなく、バレエダンサーを主役に起用し、そのバレエシーンが素晴らしいと知り(特に私が今年ハマっている『春の祭典』のバレエシーンが絶賛されている記事を偶然読んだ)、舞台を観にいく感覚で行きました。正直、『春の祭典』は、オケだけで聴いたときの方が何十倍も感動したんだけど、映画のストーリーとして、とても引き込まれる映画でした。歴史を熟知した人にとっては、想像に難くない筋だとは思いますが。
平日の昼間だというのに映画館には大勢の人。後ろの方は殆ど満席になってしまったので「えい、この際!」とぐぐーーっと前の方へ座り、自分の前にはスクリーンだけ!という大迫力で映画を楽しみました。視界に現実的なモノが何一つ入ってこない状態で観る映画はまさに私にとって癒しの時間。
全てのしがらみも恥じらいも忘れ、カラダの中の感動センサーのカバーを全てはがして、ぐにゃぐにゃのココロで泣いたり笑ったり好き勝手に反応することが出来ること。それが私にとっての『癒し』です。