私のように近畿、それも京都に住んでいると『』という言葉を時々聞く。
私は病院勤務だが、「~様今日入院です。・・・(と、間があって)この方出身者です。」と。
京都内には被差別が点在する。
今は、アパートやマンションなどの集合住宅がドンドン建ってきたので、
その差別意識も若者には希薄になってきている。
しかし、50,60歳代以上には、今なおその脳には粘着している。
それは例えば「結婚」、「友人関係」、「近所づきあい」、「会社での採用・不採用」等々に
未だなお影響している。
その『差別』を受けた傷の痛さ、深さは受けて初めて理解できる。
例えば、私は『精神障害者』であり、『生活保護受給者』であり、幼い頃には『片親家庭』であった。
それらは、「陰口」を叩かれるに十二分な材料である。
私の出身地である北陸は真宗の「一向一揆」がとても盛んなところであった為、
「被差別」は、あったにせよ、「一向一揆」は、その勢力を拡大する為に
「被差別民」を巻き込んだ為、差別意識が希薄だ。
それよりも戦中に朝鮮半島から徴用されてきた朝鮮民族への差別意識が強いのかもしれないが、
私は、この身の上になる前から知ってはいても意識の外にあったし、
「みんなで楽しめれば良い」という単純な意識でしか接していなかった。
私を「差別」しても良いが私は勘違いして「孤高の尊い人になった」
私のただいまの研究課題は『被差別の歴史』だ。
なけなしの金で本まで買っちゃいましたよ。(古本だけどさ)
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