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1⃣-58.チェコ「プラハ編」(4/8)~プラハ城から旧市街へ 6/29~7/2

2024-08-20 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

  カレル橋からプラハ城を見て、再びヴルタヴァ川に戻ってきました。次は、ヴルタヴァ川から500mの所にある旧市街へ行くことにしました。 

 プラハの旧市街は、1992年にユネスコ世界遺産に登録されました。旧市街は、1232年にヴァーツラフ2世によって創設された町で、1253年にはその町を囲む城壁が作られ、城下町として発展しました。旧市街地の中心の場所にある広場には、旧市庁舎、聖ミクラーシュ教会、ティーン教会があり、それに中心にヤン・フスの像があります。ヤン・フスは、ボヘミア出身の宗教思想家、宗教改革者で、チェコの英雄で農民のために戦いました。



 カレル橋の全景です。 



  


聖ミクラーシュ教会

 旧市街広場の北西にあるこの「聖ミクラーシュ教会」は、18世紀に建てられたバロック様式の教会です。重厚な彫刻やフレスコ画が描かれた高い丸天井は、大変素晴らしいものです。クラシックコンサートが開かれるほど音響効果もよく、パイプオルガンの音色が厳かに響くという。


 






  
 旧市街広場で、後ろは「ティーン教会」です。




 旧市街広場はプラハ観光の中心ともいえる場所です。その広場の東側に特徴のある二つの尖塔をもつゴシック建築の教会がティーン教会です。正式名称はティーン(税関)の前の聖母マリア教会という。教会の裏に税関があったからと。当時ティーン教会は反カトリック系であるフス派穏健派(プロテスタントのさきがけ)の拠点でした。ビーラーホラの戦いの敗北により、この教会もカトリック教会に変えられることになり、抵抗したフス派穏健派の人達が中に入れないように教会の前に建物を建てて塞いでしまったとのことです。この今はカフェやレストランになっている辺りの土地までが教会の持ち物だったため可能となったようですがー。



ロール状のパンを作っているところ。何という
名前でしょうか?壁面に書いてありますがー。


タイ式のマッサージ店で魚に足の角質をとらせて
いるデモストレーション(バイトの若者らしいがー)


 旧市街広場の旧市庁舎にある中世の「天文時計」の紹介です。1410年に時計職人ミクラーシュとカレル大学の数学教授ヤン・シンデルが製作しました。太陽と月の位置、日の出・日の入りの時刻を示すほか、毎正時に十二使徒の像が現れます。旧市街広場と旧市庁舎は1992年、「プラハ歴史地区」の名で世界遺産に登録された。


  




 縦に二つの円が並んでおり、それぞれ当時の宇宙観(天動説)に基づいた天体の動きと時間を表しています。上はプラネタリウムと呼ばれ、地球を中心に回る太陽と月、その他の天体の動きを示し、年月日と時間を示しながら1年かけて1周します。下はカレンダリウムと呼ばれ、横道12官と農村における四季の作業が描かれ暦で、1日に1メモリ動きます。





 プラネタリウムの両側にある人形は、虚栄心、貪欲、死神、異教徒の侵略という4つの恐れ、カレンダリウムの両脇の人形は、歴史記録者、天使、天文学者、哲学者を表しています。





 この時計を有名にしているのは、9:00~21:00の毎正時、窓に姿を現す仕掛け人形。時がくると、プラネタリウムの脇にいる死神が鐘を鳴らし、その音とともに塔の上にある窓にキリストの12使徒がゆっくり現れては消えて行く仕組みになっています。最後には、一番上でニワトリが一声鳴いて終わります。





毎正時が近くなると、大勢の観光客がこの仕掛
けを見るために天文時計前に集まってきます。




始まる前の様子です。 

  

キリストの12使徒がゆっくり現れては消えて行きます。







最後に、ニワトリが一声鳴いて終わりです。




旧市街広場の様子です。 

  







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