一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

1⃣-57.チェコ「プラハ編」(3/8)~プラハ城で 6/29~7/2

2024-08-19 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 カレル橋から坂道を上がり、プラハ城に着きました。 ヴルタヴァ川の西岸の丘の上に建つプラハ城一帯にはいろいろな見どころがあります。まずプラハ城のことですが、9世紀半ばに城の建設が始まって以来、幾多の変遷を経て、14世紀のカレル4世の時代に現在見られるようになったとのことです。この城壁に囲まれた広大な敷地の中に、旧王宮、宮殿、教会などが建っています。



 第2の中庭から門をくぐって第3の中庭にはいると聖ヴィート大聖堂があります。尖塔の高さは96.6m、内部の幅60m、奥行き124mもあり、プラハにおけるゴシック様式の代表格。この聖堂は、もともと930年に造られた円筒形のシンプルな教会だったようです。幾度かの改築後、現在のゴシック式の工事に着手されたのが1344年で、最終的に完成したのは20世紀に入ってからです。









 プロの写真家による結婚式の記念写真を撮影をしていました。




 中世の生活体験のできるコーナーがありました。








 
 ここにも子供対象のイベントをやっていました。









   


 衛兵の交替は、正午の場合音楽隊の演奏に合わせてするということで見に行きました。12時近くになったので見に行った時は、時遅し!といった感じで観光客がいっぱいでした。








 後半、少し離れた所にいると、セレモニーが終
わった衛兵の一団が通過して行きました。 


 旧王宮は聖ヴィート大聖堂を左にして第3の中庭に立つと、正面に見えます。実際に歴代の王宮として使われたのは16世紀までとのことです聖イジー教会は、ロマネスク様式で、620年に完成した教会で、現存する城内最古の教会です。音響がよく、プラハの春音楽祭などのコンサートが催される会場ともなっています。





 聖イジー教会を通り過ぎ、坂を下るように歩いて行くと、「黄金小路」と呼ばれるところがあるます。1597年にできたもので、当時城に仕える従者などが住んでいたところ。やがてその一角に錬金術師が住むようになり、この名前が付けられたようです。






 


 この門にも衛兵がいました。 






要塞として使われた様子がわかります。


 ボヘミアグラスの工房がありました。






 


坂道は結構登るも下るも急な感じです。




 ブドウはちょうど開花が終わり結実した時期です。
旭川と同じくらいかナ?我が家のブドウは如何に?

丘から平地に至る斜面はブドウ畑になっています。
ワイナリーも近くにあるようです。




 ゆでトウモロコシ発見!懐かしく買ってみました。
ここ1軒の店だけでした。粒の揃い方、湯で方、塩味
など
マアマアで、コーン自体の甘みは日本の方があり
そうです。大きいので2回に分けて食べました。




 TVの撮影の準備のようですが、何か問題が発
生したような感じでした。只今打合せ中!




 ホテルを出て、カレル橋を通ってプラハ城に登り、そして下りヴルタヴァ川まできました。目前にカレル橋が見えますからちょうど一周した感じで戻ってきました。歩くことウンkm、少しでもたくさん見ようとすると、旅行は足腰が肝心だなアと思います。次は、これから旧市内の探索です。道路が入り組んでいるので迷わないように要注意!です。

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