大川原有重 春夏秋冬

人は泣きながら生まれ幸せになる為に人間関係の修行をする。様々な思い出、経験、感動をスーツケースに入れ旅立つんだね

アート界

2010-08-18 02:32:24 | 日記
アート界の信用のなさは一体どこから起因するのか?時々僕はじっと考え込む時がある。今は不景気だから絵画や古美術品が売れない云々というふうに大概のアートディーラーは美術品の販売不振を不景気云々と社会の責任へ転嫁するけど本当は違うような気がする。美術品が「売れない 」のは日本人の価値観の変容に先ず想いを巡らすべきじゃないかな!僕の20数年間のつたないアートディーラーとしての経験上アート=お金=信用という一面的な観点からしたら、一般的な日本人は多分「美術品を買うと損をする」と思っているんじゃないかな。例えばヒロヤマガタを数百万円で購入した人と村上隆のどうでもいいポスターを買っている人の知的レベルは大差なく推して知るべしである。僕はアートディーラーとしてプライドがあるので上記のエセアーティストの作品を扱う気になれない。(安価なら多少考えるかも)世界中で日本人ぐらいアート作品を買って「損」をしている人々はいないかも知れない。人生なんて所詮「自己責任」の連続の日々…アートディーラーとして僕は自分の扱うアーティストや作品についてアート=お金=信用という一面的な観点を絶えず意識している。僕はアート界では所謂「群れ」の中にいないし「修行」も「でっち奉公」もした経験もなく学問と様々な経験をして今日まで生き延びてきた。どうでもいい有象無象は奈良美智やロッカクアヤコなんかで云々と僕のことを色々話題にしてくれるみたいだけど…僕にとって日本のアート界はお子ちゃまの世界に見える。グローバルな視点から見たら日本人なんて幼稚な井の中の蛙たちに見えるでしょう。要するに僕も含めて知性も教養もない愚者の集まりかも!誤解のないように言い訳しておきますが優秀な方も沢山日本には存在しています。アート作品を買う行為というのは自分自身の目と眼力を買う行為と同じような気がするとだけ述べておきます。アート界の信用のなさとは一体何でしょうか?多分自分自身の生き方と頭の中身を信じていないアートディーラーの品性と人間としての「格」について再考すれば「何か」が見えてくるような気がすると思うな。
そろそろ読書でもしようかな。(真夜中携帯電話で投稿しました)

着物の「運命」

2010-08-17 03:35:34 | 日記
今年の夏は休み無しで働いている。昨日のお客さまのお宅で山のような着物の数々を見せて頂いた。自分自身も着物が好きで多少所有しているので価値や値段を知らないわけではないけど…とにかく驚きを通り越し卒倒しそうだった。所謂衣装部屋には数百の着物。チラッと見せて頂いたけど夏の暑さと着物の量に圧倒され、すぐにその場を離れた。仕付け糸の付いたままの着物や反物も沢山あった。珍しい着物や帯を遠目で見て、着物の「運命」について考えさせられた。一体どれだけのお金を使い購入したのかな?どうして家人は興味ないのか?色んなことが頭の中で錯綜したけど…さすがの僕もいたたまれなくなり何も考えたくなかった。考えないほうが仕事ははかどるから…自分自身の仕事の因果について考えさせられる一日だった。今着物業界は悲惨な状況。アート界と同様買い手不在でしょう。養蚕も織物も絶滅寸前の危機的な状況。日本文化の衰退がハッキリしている。僕もたまに着物を羽織るけど気分もいいし、姿勢もスゥーと伸びて気持ちがシャンとする。何よりレストランでの
応対が違うし、女性から好印象をもたれる。要するにいいことずくめ…着物は孫子の代まで引き継ぐことも可能だし、日本文化の象徴だと自分は思う。いまの着物の「運命」を考えると悲しくなる。当然僕の着物の「運命」もいづれ家族は?でしょう!要するに着物文化は知性のシンボルだから「何も考えていない」人に必要ないもの。日本の未来を嘆いても仕方ないので何とか週一回着物を羽織るように努めてみます。着物君!これからもよろしくね!僕は見捨てないよ。

泰書会のご案内 上野の森美術館

2010-08-16 11:00:00 | 展覧会案内
江戸時代から楷書の美学を追究されている柳田家の四代目であられる柳田泰山先生が主宰されている泰書会「第十七回 泰書展」が上野の森美術館で開催されます。柳田泰山先生は金澤翔子さんの書道の師でもあります。8月29日(日) 二時から 席上揮毫があります。もしよろしければ是非お出掛けください。晶アートにも招待券がありますのでどうぞご一報ください。差し上げたいと思います。以上簡単な展覧会の案内で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いします。
「ことばには霊魂があり、漢字ひとつひとつに皆霊魂があり、書道は霊魂を表現することができます。」柳田泰山

柳田泰山先生 プロフィール
柳田泰山先生に関係する記事です。




孔子とドラッカー

2010-08-15 16:00:00 | 読書
先日尊敬する一条真也さんからいただいた「孔子とドラッカー」三五館刊を読み終えた。人生と人間について深く洞察した教科書のような気がする。まるで道徳の授業を受けているような気持ちになりページをめくるのが楽しかった。一行一行に宇宙の根本原理がさりげなく込められていて、一条さんの知性と該博な知識・教養に裏付けられた書物であることがよくわかった。ずっと以前から気になっていたことが紹介されている文章を見つけた時は思わずラッキー!と心の中で叫んでしまった。

「小才は縁に出会って縁に気付かず、中才は縁に気付いて縁を生かさず、大才は袖すり合った縁をも生かす」という言葉が家訓であること…

自分自身も絶えず心がけていることが先人の家訓であることがとても嬉しく感じる。
かなり読みやすく仕立てられた書物ですので良かったらどうぞご覧ください。今回は一度も線を引かずページの角も折らない読み方でしたので、二回目赤ボールペンを用意してトライします。

「慈悲の光を放ち、おだやかな影をつくるものこそ月光経営である。各企業がそれぞれの社会的使命を自覚し、世の人々の幸福に貢献し、徳業となることをめざすならば、その結果として利益という月の影ができるのである」 一条真也



MASKS―仮の面(かりのおもて)

2010-08-14 18:27:00 | 美術

千葉市美術館 MASKS-仮の面(かりのおもて)

体調が夏バテ気味でしたが千葉市美術館にマスクの展覧会を観に出掛けてきました。見応えのある展覧会で、体力と気力のない人には少々しんどいかも…ほとんどはじめて観る仮面の数々のパワーに圧倒されそうでした。図録もかなり丁寧に作成されていて素晴らしいと思う。特に乙御前という狂言面はピカ一でした。数々の神秘的な仮面からインスパイアを感じるけれど…今回の展覧会は主に三ヶ所の美術館から借りてきた仮面やお面で構成されているのですが、とても満足できる内容でした。家に帰ったら展覧会図録を勉強しようと思うけど美術館に展示してある本物をしっかり見て記憶することが大切だと思う。図録No.107の散手面は13―14世紀になっているけど漆の塗り具合から判断して見るとそこまで古くないように自分は思うけど…はるばる千葉まで出掛けた甲斐がありました。会場から携帯電話で投稿しました。☆☆☆






徳間書店 料治熊太旧蔵

小樽の街

2010-08-13 17:43:00 | 旅行
先日、小樽の街をふらっと訪れました。タクシーでにしん御殿を案内していただき、その後石川啄木の歌碑「こころよく 我のはたらく仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ」ともう一ヶ所の啄木碑、小林多喜二の文学碑を訪ねました。高校生の時に『蟹工船』と『党生活者』という小説を読み、小林多喜二に興味をもっていたので、小樽に行ったら是非ゆかりの地を訪ねてみたいと思っていました。小樽の街は、明治以降の古い建物がたくさん残っていてノスタルジックな気分を味わっていたのですが、小林多喜二の文学碑の由来を読み、突然全身が凍り付くような感覚になり身震いし、思わず身の毛がよだつ思いがしました。なぜなら僕のギャラリーから1キロも離れていない築地警察署で、彼はわずか29歳の若さで特高に撲殺されてしまったという事実を知ったからです。旅行気分も吹っ飛び、現実の世界に引き戻されてしまいました。偶然、戦前・戦中期日本の言論弾圧_(年表)という記事をパソコンで見る機会があったのですが、今の日本の社会が『新たなる戦前』に似通っているように思えてなりません。毎日、築地近辺を歩いていて『戦前』は遠い過去の話ではなくて、ついこの間のことなのだと、改めて身に染みる思いがしました。

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以下、ウィキペディアからの引用。
小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年10月13日 - 1933年2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家・小説家である。満29歳没。4歳の時に北海道・小樽に移住。警視庁特高係長中川成夫の指揮の下に、小林を寒中丸裸にして、先ず須田と山口が握り太のステッキで打ってかかったとある。その後警察署から築地署裏の前田病院に搬送され、19時45分に死亡が確認・記録された。
死の間際にも「母親にだけは知らせてくれ」と言ったという。 母は変わり果てた多喜二の遺骸に取りすがり「ああ痛ましや!心臓まひなんて嘘だでや。・・・警察の奴がしめ殺したんだ!絞殺されるのがどんなにくるしかったか。・・ほれ!あんちゃん!みんなのために立たねか!」と呼びかけた。


以下、このページよりメモ。
<築地警察署と小林多喜二>
プロレタリア文学の代表的作家に『蟹工船』(昭和4・1929)を書いた小林多喜二(明治36・1903~昭和8・1933)がいますが、ここ築地警察署は彼に関係した悲しい歴史を秘めているのです。大正末から昭和初期にかけて興ったプロレタリア文学は労働者に対して団結をうながし、社会変革につなげていこうという思想をもちます。当然、危険思想として弾圧の対象になりました。当時は治安維持法という、政府にとって便利な法律があったのでした。そして大正15年(1926)、治安維持を目的に特別高等警察が結成されました。略して「特高」と言います。
小林多喜二は、この特高によって治安維持法違反容疑で逮捕され、築地警察署に連行されます。昭和8年(1933)2月20日昼過ぎのことでした。そこで多喜二は、凄まじい拷問を受けます。その後、危篤状態に陥ったため、築地署裏にある前田病院に担ぎこまれましたが、間もなく絶命しました。家族に引き取られた遺体には、首筋やこめかみに5,6ヶ所の裂傷と、首には縄で絞めたような痕。下半身はひどい内出血で、大腿部には10数か所、釘で刺されたように裂け傷があったといいます。まだ29歳と4ヶ月という若さでした。

石川 啄木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)は明治時代の歌人・詩人・評論家。
地図の上朝鮮国にくろぐろと墨を塗りつつ秋風を聴く」




石川啄木碑                    小樽の街                     小林多喜二碑

もしかしたら

2010-08-12 23:24:43 | 政治・経済
最近社会がファシズムの道に突き進んでいるような気がします。アメリカでは、国家がFBIと国土安全保障省がISPを使って様々なウェブサイトを閉鎖しているようです。これは情報統制が一段と進み戒厳体制に入っているということです。おそらく秋くらいには戦争が中東で起こるような予感がしますが…可能性としてはイスラエルによるイランへの奇襲攻撃でしょうね。 おそらく核施設を破壊することが狙いなのかもしれませんが背後ではアメリカの国益の為にアメリカの国家はアメリカ国民を愛国者法をたてにアメリカ国民を敵として攻撃弾圧しはじめたらしいというあるブログを最近読んだのですが、おそらく事実だと思います。でたらめ国家アメリカがアメリカ国民をだませなくなったから、敵として攻撃弾圧する、これはアメリカ国家が近代国家としての役割を終え、終焉の道を歩いていることに繋がるのでしょうね。たまたま戦前、戦中期、日本の言論弾圧について調べていたのですがアメリカは日本の先をいっていて、911以降無差別で無実の人を無期限で拘束
し、逮捕しているみたいです。テロの容疑者は戦争捕虜ではなくて敵性戦闘員というカテゴリーにわけテロ容疑者を拷問しているそうです。日本もこれまで以上に情報が統制され、言論の自由が脅かされることははっきりしています。いつかきた道がまた繰り返される可能性が高まっているように思うのですが。アメリカの軍事費は歳出総額の20パーセント、日本円に換算して年間50兆円規模に達しており、軍人が140万人、文官が60万人、合計200万人が軍隊に従事しているそうです。その上武器弾薬を含む軍事産業の規模は膨大で定期的に大きな戦争を引き起こす必要があるわけです。「アメリカの政産軍複合体は定期的な大規模戦争がなければ、存続し続けることができない。日本が米国の言いなりになり続ける限り、日本も米国の戦争に巻き込まれるのである。」と植草一秀さんはブログで警鐘を鳴らしています。また彼は、「戦争に敵も味方もない、あるのは滅びだけだ」と述べています。イラク戦争で数百万人のイラク人が殺され、アメリカ軍の兵士もそうとう犠牲者が出、
誰も勝者になれなかったここ約10年間の状況を見てもわかるように、歴史の教訓から学ぶということが、どれほど大事なのか、本当に眼を覚まさなきゃいけないと思うのですが。

アイヌー美を求める心 小樽市総合博物館

2010-08-11 18:55:42 | 美術
先日ふらっと小樽に足を伸ばしてみました。「アイヌー美を求める心」という展覧会が小樽市総合博物館、本館にて開催されているのを知り、興味津々で立ち寄ってみました。かなり、見応えのある展覧会で、アイヌ文化の一端を垣間みる事ができ、学ぶことが多々ありました。展覧会図録も、かなりボリュームがあり視覚的に楽しめる内容です。解説もかなり詳しく丁寧になされていて、好感が持てるのですが唯一の欠点は写真の色校正が全然できていなくてちょっと残念です。僕もここ十年以上意識的にアイヌの生活用具や、工芸品を収集してきたので今回の展覧会はとても参考になることが多く、特に尾張徳川家関係の資料に興味を持っています。尾張徳川家第19代当主である徳川義親氏がアイヌと交流している史実に驚くと同時に興味を持ちました。彼は侯爵でもあったそうですが、熊狩りをとても好み八雲のアイヌと共に狩猟を楽しみ、アイヌと親交を深めることでアイヌ文化へ興味と関心を持っていったそうです。彼は1922年(大正十年)から1923年(大正十一年
)にかけて一年間ヨーロッパ旅行に行き、木彫熊をスイスで購入し、その熊をモデルにして北海道の徳川農場で同じように熊の木彫りをアイヌに作らせ、それが後に北海道を代表するお土産品となっていった経過を今回はじめて知り、なるほどね、と合点がいきました。 彼は何故熊の置き物をスイスで購入したのか、という動機について特に興味がありますね。(僕の想像では地場産業を起こしたい、八雲アイヌの生活の向上を図りたい、という親心のようなものがあったんじゃないのかな。)
アイヌの衣装の文様は独特のデザインでいつも不思議な感覚に陥るのですが、この文様は縄文土器に似ているような気がするのですが。おそらくこれも仮説ですが、縄文時代からこの文様は連綿と受け継がれてきて、江戸から明治まで残存しているような気がするのです。
今回の展覧会はサブタイトルがー美を求める心ーとなっていますが、アイヌをテーマにした展覧会のサブタイトルとしてはちょっと奇異な感じがします。美を求める心というテーマであるなら、所謂和人から法外な値段=不平等な価値観で物々交換した江戸時代の漆の器や陣羽織etc.をアイヌが宝物として大切にした行為が強いていえば「美を求める心」と呼べるぐらいの気がするのですが一面的な見方でしょうか。(今日まで残っている衣装や生活用具のデザインから用の美として生活の中のささやかな楽しみ=アイヌの生活美として垣間見ることしかできないように思います。)結論から言えば美を求める心というサブタイトルはあまり意味がないと僕は思います。大自然やカムイへ対峙するアイヌの生き方そのものが『生活の美学』だと思うのです。
話は横道にそれますが、よくアイヌ民族とか、アイヌの人々云々という表現がされるのですが、本来アイヌは人間という意味なのだから言葉が同義反復しているように素朴な疑問として考え込んでしまいます…。展覧会の会場は閑散としていましたが貴重なアイヌのビデオも放映させていて良かったこととアイヌの住居が復元されていて多面的に理解することができ有意義な時間を持てました。今回の展覧会は川崎と沖縄に巡回する、とくに沖縄に巡回すると言うことはとても歴史的な重要な意味があると思います。☆☆☆
追伸
展覧会図録をすべて読み、徳川義親氏が熊の木彫りを八雲アイヌに制作させた経緯が良く理解できました。大変面白かったです。

 

三岸好太郎美術館 ― ユーモラス・三岸 ―

2010-08-10 18:15:00 | 美術
31歳で生涯を終え夭折のモダニストと言われている三岸好太郎美術館を訪れました。今回で4回目の訪問ですが、個人の名前を冠した公立美術館として独特の展示がなされている愛すべき美術館だと思います。三岸好太郎の生涯にわたる様々な画風の変遷がわかりやすく展示されていて、三岸好太郎の作品と人柄がかなり理解できる美術館ですね。

個人的には、1933年に制作した「オーケストラ」という題名の作品と1934年に制作された「飛ぶ蝶」は名作だと思います。
描かれたオーケストラは、近衛秀麿を常任指揮者とする新交響楽団(現在のN響)だそうで、三岸好太郎は制作するにあたって数多くのデッサンを描きながら、オーケストラを事前にかなりの時間をかけて研究し、作品の制作を行ったみたいです。一見すると即興的に描いているように見えるのですが…。
「飛ぶ蝶」という作品は最晩年の作品ですが、右上の一頭の蝶は、ピンをはね除けて舞い上がる瞬間が描かれている不思議な絵画です。まるで、死期を意識していた好太郎が死を拒絶し、生きる希望を一頭の蝶に託しているように僕には思えるのですが。天性のロマンティストであったという三岸好太郎の最晩年の絵画のモチーフが、蝶と貝殻であったというのは、とても謎めいていて、三岸好太郎という作家の魅力を一層増しているように感じます。時代も戦争に向って行くなかで、「飛ぶ蝶」という作品は様々な解釈ができると思います。知人の久保守さんは「軟派の不良じみた奇行の多い青年だったが…どこか憎めないものがあった。それどころか人間的な不思議な愛情のつながりを否定することができなかった」と述べています。また、友人の福沢一郎は「笑うものを笑うだけの余裕があった」と生前の三岸好太郎を評していますが、とても興味深く思います。

建築家になりたかったという三岸好太郎のアトリエは、山脇巌という人が設計したそうですが、完成を見ることなく生涯を終えてしまった。いまから約80年前の三岸好太郎のアトリエ外観を写真で見ると、抜群のセンスの良さを感じ、生きていたら建築家としても成功していたに違いないと思いました。溢れるような才能を持っている人は、生き急ぐのかな。
☆☆


1933年制作「オーケストラ」


1934年制作「飛ぶ蝶」

京都の旅(グルメぶりっこ12)

2010-08-09 18:00:00 | グルメ
先日、大中寺の下山さんと電話でおしゃべりしていたのですが、京都に行くならぜひ、京料理 たん熊 北店に行ってみたらと、薦められました。さっそく、ランチに立ち寄ってみました。知人の東洋さんがカウンターで応対してくださったのですが、とても品のある料理が次から次に出てきて、舌鼓を打ちました。いまの季節は鱧料理が中心でしたが、東洋さんはとても素敵な方で腕も確かな方だと僕は思います。いずれ独立し、蕎麦会席のお店を出されたら、絶対大成功する方だと確信しました。一 品一品の料理に人柄が滲み出ています。彼は、いろいろな名店で修行を重ねている方だけあって、料理への心構えがきちんとしていて、素晴らしい技と器量を持っていると感じます。北前船の昆布の話は勉強になりました。お店のメニューで特に驚いたのは、たん熊オリジナルのビールとお酒がとても美味しかったことです。もしよかったら、ぜひ出掛けてみてください。自称グルメですが味を舌と目で記憶して自宅の台所で再現できるのが本物のグルメなんだと思います。


京料理 たん熊 北店
TEL:075-221-6990・5490

京都の旅(庭廻り)

2010-08-08 10:00:00 | 旅行
僕は京都で学生時代を過ごしたのですが、学生時代はあまり観光はしませんでした。いつでもお寺廻りはできると思っていたのかもしれません…。卒業後よくは覚えていないけれど、約三百回は京都へ旅行をしたと思います。ここ数年はだいたい廻るコース(大体3パターン)がいくつか決まっています。先日は、京都駅に着いて一番最初に訪れたお寺さんは国宝三十三間堂でした。はす向かいの京都国立博物館で上田秋成の企画展を観ました(時間があればなるべく企画展を見るようにしています)。その後、大本山 東福寺を訪れて、重森三玲作の方丈 八相の庭をまず鑑賞しました。それから同じ重森三玲によって作庭された市松模様の庭に向ったのですが、いつも究極のミニマルアートだなと感じます。日本人の美意識は本当にすごいと思います。広大な敷地にある東福寺は四季折々、風光明媚なお寺さんでとても楽しめます。その後、東福寺のすぐ近くに赤不動明王を本尊にして祭っている同聚院 東福寺塔頭を訪れました。開山は東福寺第129世琴江令薫。日本最大の大きさを誇る本尊不動明王坐像を拝み、雪舟庭園で有名な芬陀院でお庭を眺めながらお茶をいただきました。住職さんもとても温かい人柄が滲み出ていて感じのいい方です。茶室もとても素晴らしい空間ですね。大体ここまでで所要時間2時間。軽く食事をしてタクシーで蓮華寺に向いました。洛北 蓮華寺は本当に素晴らしいお庭で、今回は2時間近くのんびり寛ぎました。帰りは祇園で軽く食事をして京都駅に向いました。大体こんな感じで一日が終わるのですが、タクシーを上手に使うと密度の濃い京都旅行が楽しめると思います。先日は寄れなかったのですが、百万遍の進々堂でコーヒーを飲むことをおすすめします。このお店の室内の家具とテーブルは、すべて人間国宝の黒田辰秋が制作したもので、重厚で落ち着いた雰囲気を醸しています。1930年に創業された喫茶店でとても素晴らしいですので、行かれたことのない方は是非どうぞ。カレーとコーヒーのセットがおすすめです。



重森三玲作 市松模様の庭

強い心

2010-08-07 10:00:00 | 読書
最近久しぶりにためになる本と出会いました。『引き寄せの法則 実効編』 徳間書店 という本で最初から最後まで鉛筆で線を引くことがとても多い内容の本です。エネルギーを使う人はエネルギーを出します。勇気を感じる人は勇気をだします。できる、やろうと思う人はできるのですが、「できないと思う人は何もしない」と著者は主張します。できるかできないかは主体的に取り込もうとする思いという意思の違いにすぎないのです。「思いは物質です。」思いというのは世界で最も偉大なものであり、真の人間になる力がある。それは「内にある『実在』(IAM)を悟らせる力であり、強い性格の人間、影響力のある人間、成功する人間に変える力のことです。」
序文のタイトルは『ゼロからの成功を可能にする秘密の教え』なのですが、とても興味深いことが沢山述べられています。例えば、
「『何も怖くない』と思えば、周囲から勇敢な念の力がことごとく集まり、あなたを助けます。」「恐れと増悪はすべての悪念の親です。」

今年いろいろなジャンルの本を読んでいますが、僕の精神状態、というか心のカンフル剤として本書はトップの方に順位をつけることが出来る本のような気がします。興味のある方はどうぞ第1章から第12章まで読んでみてください。目から鱗の連続です。
ただ、奥書の解説の中でウィリアム・W・アトキンソンについての紹介が『日本初のヨーガ哲学者中村天風など、世界の思想界に大きな影響を与える』と書いてありますが、僕の勉強不足かもしれませんが、事実とは違うように思います。中村天風はアメリカでは何も学ぶことはなかったと『成功の実現』という本の中で述べているように思えるのですが…
活字というのはいろんな意味で影響があるので冷静に判断分析するのも、本を読む人の器量というか能力如何なのかな、とちょっと考え込んでしまいました。いづれにしてもとてもためになる良書だと思います。今から110年前に出版された本が僕を救ってくれる偉大な本であるという事実と110年近く日本語に翻訳されてこなかったことに日本の知的水準を再考させられる一日でした。毎日学ぶことばかりですね。

ウィリアム・W・アトキンソン


京都国立博物館

2010-08-06 16:30:00 | 美術


 先日、京都国立博物館で開催されている『没後200年記念上田秋成 展』を拝見する機会を得ました。
浅学非才な僕は上田秋成というと怪異小説『雨月物語』を溝口健二監督の映画で二度ほど見たことしかなくて、ほとんど無知ですので、京都国立博物館の歴史的な文人にスポットライトを当てて大規模な展覧会を催すという意気込みにとても興味を持ち、展覧会場を割と丁寧に見て回りました。不遇な幼少期の逆境を跳ね返して小説や俳諧、和歌、国学の分野で多くの書物を残して、18世紀後半の関西のインテリゲンチャとして見事に面目躍如し、国学者の本居宣長と激論を交わしたり、円山応挙や呉春をはじめ池大雅、与謝蕪村や、交友のあった田能村竹田、伊藤若冲らの文人や画家たちとの幅広い交友関係を物語る展示品が数多く出品されていて、18世紀後半の文学と芸術の世界を垣間みる事ができ、とても学ぶことが沢山あります。美術館の解説目録をみていて、特に驚いたのは円山応挙の『四季富士図』という安永8年に描かれた四幅対についての解説です。「とてもいい絵だな、うまいな」と即座に自分は思ったのですが、解説では、応挙は「旅嫌いで知られ、恐らく実際の富士は見ていない」と書かれていました。また、応挙の『龍門図』という作品は名品である、と思うのですが「中腹の鯉のみ、鱗に金泥の縁取りが入っており、今まさに龍になろうとする瞬間が表されている」という解説にとても感動しました。偏見かもしれませんが歴史上の人物として上田秋成という名前を知っている人はかなり少なくなっているように思うのですが『没後200年記念』と題して歴史的な偉人を再評価する主催者の誠実な姿勢に敬意を表したいと思います。簡単な展覧会図録(500円)が作られていてとても楽しめます。展覧会は☆☆☆でした。


「働く」ことの意味

2010-08-05 10:00:00 | 読書
 最近言葉の語源とか成り立ちについて興味を持ち様々な本を読んでいるのですが、特に働くという言葉の意味について引っかかることがあり、広辞苑で調べてみたら、〈①うごく。②精神が活動する。③精出して仕事をする。④他人のために奔走する。⑤効果をあらわす。作用する。〉のようになっていました。僕の尊敬する斎藤一人さんは自分が働けば「はたの人が楽ができる」ということが働くという言葉の語源です、とある本で述べています。ずーっと本気で自分は斎藤一人さんのかなりの信者としていろいろな著書を読ませてもらっているのですが、最近読んだ韓国の金容雲さんという方が『日本語の正体」三五館発行 という本の中で「働き」は『畑』が動詞化したもので、初め『働く』は畑仕事を意味していたけれども後世になって広い意味で一般の仕事について使われるようになった、と述べられています。
ということは、冷静に考えてみて、斎藤さんと金さんとの間では働くことの意味がかなり違っていてどちらが正しいか、という判断だったら金さんのほうに軍配が上がるのではないでしょうか。斎藤さん一流の半分冗談が活字になっているというのはちょっと問題があるかもしれませんね。斎藤さんの本は、人に安心してもらったり、人の心を明るく勇気づけてくれる、そういう本だと割り切って読むのもいいかもしれないですね。
真夏で頭も十分回転しないし、いまいち働く意欲が増さない自分がちょっと情けないですが、アート業界もそろそろ夏休みになるみたいです。僕は夏休みもなるべく休まないで、銀座で「働く」ことの意味についてぼんやり考える日々ですかね。

 
僕の「働く」というイメージはこんな感じです。(ミレーの落ち穂拾い)



102853 働くことってどういうことなのか?
 
働くと仕事という漢字の語源を調べてみました。そこから働くってなんだろう?にアプローチしてみました。

■「働く」とは、「人が動く、人を動かす、人のために動く」と書きます。

「働」は「人」+「動=(重(=人+東+土)+力)」と分解されるようですね。

・「働」くの「動」の「重」は「人」と「東」と「土」で出来ているらしいです。「東」は、突き抜けるという意味があるそうです。「人」が「地面=土」をつきぬくような様を示し、「重」いという漢字になりました。そこに「力」を加えて、「人」の「足=地面=土」がうごいていく様を「動」として、「動」くという漢字が出来たそうです。
・何が「動く」か?というと「人」が「動く」のです。それが、「働く」という意味だそうです。「働」くという字は、国字で、国字とは、日本で作られた漢字です。「畑」や「辻」「峠」などが日本産の漢字です。二文字以上の漢字の字形・意味を合せて作られた会意文字なので上記の言葉の意味も日本人の感覚を示しているようです。

■仕事は「事に仕える」と書きます。

・「仕」は「人」+「士」に区分できるようです。
「士」とは男子。学問と道徳を修めた男子と言われるが、「士」はもともと、地面からまっすぐ十字に立つその人の様を表している。大切な「人」の横に、まっすぐ十字にたってささえている「士」の様を「仕」えると表現しています。
・「事」は、占い棒の入った筒を手で持っている様で、信仰催事を行う様を示します。
*この意味からして、「仕事」の語源をたどると、大切な催事に携わる人々を支えること=携わることのようですね。

近藤文人 ( 41 東京 建築士 ) 05/12/19 PM09 の記事、引用しました。


ヘンリー・ムア ブリジストン美術館

2010-08-04 17:50:47 | 美術
数年ぶりにブリジストン美術館に立ち寄ってみました。『ヘンリー・ムア 生命のかたち』というタイトル(テーマ展示)の展覧会を覗いてみたのですが、彫刻作品は六点という大変少ない展示数でした。彫刻家としてのヘンリー・ムアを浮かび上がらせる、という意図はないみたいです。ポスターをよく見るとタイトルの後に(テーマ展示)とあります。
かなり以前ヘンリー・ムアの彫刻を扱ったことがあり、少々関心があるのですが、今回の展覧会は学ぶことは多少ありましたが、あまり感動しませんでした。
今回学んだことは「田舎の小さな村に住み、石や骨のような拾った自然物から霊感を得ながら制作を続けた」という事実をはじめて知ったことです。また、僕も一度だけイギリスの「ストーンヘンジ」をロンドンからバスで訪れたことがあるのですが、ヘンリー・ムアが「ストーンヘンジ」を題材にしてリトグラフを制作していたことにちょっと驚きました。ヘンリー・ムアが、生涯を通して探求し続けたテーマは、人体だったそうで、「立つ」「座る」「横たわる」という3つのポーズについて比較し、横たわる人体は「最も自由で、かつ安定している」と語ったことはよく知られた事実です。

《ふたつのかたちによる横たわる人体:2重円 》
という作品は特に印象に残る素晴らしい作品ですね。
1976年に制作した《柱を背にすわる二つの人体》というタイトルの5色刷りリトグラフ作品はクオリティの高さを感じ思わず部屋に飾ってみたい、という気持ちになりました。彫刻家の版画は一種独特の造形美が伝わってきて、時々所有欲が沸き起こります。(日本の彫刻家だと柳原義達さんのデッサンは特に好きです。)
ヘンリー・ムアの創作姿勢の根底には人間への深いヒューマニズムがあり戦争の悲惨さを記憶し生命の尊厳を重視する美学を感じます。日本の国内の美術館には沢山ヘンリー・ムア作品が所蔵されているように記憶していますが大規模な展覧会というのはなかなか様々な諸事情で実現はできないのかな、と今回の(テーマ展示)というサブタイトルを見て改めて考えさせられました。
今回の展覧会は☆☆でした。