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奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

ホハレ峠(3-2) 0731

2020-08-01 01:12:35 | 奥揖斐の歴史など
ホハレ峠 (3-2)
2020年7月31日(金)No127

 今日は、Iさんが書かれた、門入おこし協力隊メモの「はじめに」を紹介します
 Iさんの門入への想いが、皆さんに伝わるハズです

 徳山(岐阜県揖斐郡徳山村)には八つの(※1)があり、西谷の奥の奥、門入村(昔の門入)は他のとはほとんど交流はなかった。坂内村や木之本方面との交流が多く、門入からホハレ峠越えの道が唯一生活歩道であった。

 カンジャマ(※2)から撮った門入集落(1955年~昭和30年代)

 1963年(昭和38年)八幡神社竣工式での餅まき風景、落ちてくる餅が流れて写っている

 日本一素晴らしい徳山ダムができて、きれいな水を流し続けてくれる門入の自然とホハレ歩道は先祖代々からの見事な形見で何時来ても幾回来ても変わった喜びと夢を与えてくれる。
 行き来する度びホハレお地蔵様に野花一輪をお供えしお参りする。力と勇気を与えてもらい、下り坂を一足一足昔を忍びながら進むが寂しさも苦も感じない。
 時々立ち止まり、周囲を眺めたり昔を振り返ったり、足元の山菜を摘んだりして、ポツンとした小屋に到着する。小屋の内外から周囲を一眺めして一段落し、感謝の気持ちで一杯です。道中摘み取った山菜の夕食が楽しみ。一人で食べるのがもったいない気がする。

 黒谷を下り西谷川合流点手前、引隠(0609千回沢山参照)から見た牛尾山(1001牛尾参照)

 昔はこのちっぽけな門入の伝統文化と自然を振り返ってくれる人はいなかったと思われる。日本一の徳山ダムとセットしてもらい、多くの方が年々門入に行きたいとの声が頻繁に聞こえてきます。嬉しいです。
 門入の自然は皆んなの共有です。きっと大切にしてくれると思います。協力隊に御苦労かけますが何時までも徳山ダム、門入の自然の道標であってほしいと思います。

 この文は「門入起こし協力隊メモ」を作成するにあたり、2017(平成29)年2月門入出身のIさんに書いていただいたものです



 2019年8月6日 Iさんの山荘(奥揖斐山荘のモデル)と室内(囲炉裏、電気、電話、テレビは衛星放送、桧風呂もある)

※1 徳山村には、揖斐川左岸下流から、本郷(徳山)、櫨原、塚、右岸下流から下開田、上開田、山手、揖斐川支流西谷川を上って、戸入、門入という8つの集落がありました
※2 カンジャマ、牛尾の東南の尾根。その昔、鍛冶屋が杉の木を植えてあるあたりから頻繁に山に登ったことから、「カジ屋がまたヤマに登っている」、が訛って「カンジャマ」となった

 次回は、ホハレ峠~門入旧集落まで歩き、Iさんが協力隊に説明した生解説を、写真とともに紹介します(文章等長いので、気の短い人は、初めから見ないでくださいね)



🐻 今年門入へは、6月にいったきり
  明日から8月、草も伸びたでしょうね、8月4日藤橋道の駅8:30発で、ひとり黒谷へ草刈りに行きます。今年黒谷で 🐻出没の情報あり、誰か私の周りにいてください



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1 コメント

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黒谷 (W田)
2020-08-02 10:10:53
W田、N田参加します。
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