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奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

地獄うどん 20190706

2019-07-08 06:17:13 | 奥揖斐の料理など
地獄うどん 2019年7月6日(土)
 
 奥揖斐の囲炉裏があるカヤ葺きの民家を貸し切って、大阪を代表する沢登り軍団(Wの会、KY会)を招いて地獄うどん(※)パーティーをやった。迎え撃つは西濃を代表?するヤブ山好きの会(OS、0R、etc)。大阪組は門入の山の帰りのチームと雷倉(1168.6m)を高地谷~中又谷から攻めた帰りのチーム、当方は上谷山(1083.0m)~鏡山(1086m)の帰りのチームと明日金草岳(1227.1m)に登るチーム、私だけ今日明日とも仕事だ。
 大阪の人に“なぜ奥揖斐へ”と聞くと“揖斐の山は深い”との答え。大阪には高い山がないので和歌山の沢か当地の沢になるそうだ。

 1814 湯を沸かし、うどんの準備

※ 徳山で学校の先生が始めたというこの食べ方は、鍋にうどん(乾麺)を入れて茹で、お椀に鯖缶(水煮、or みそ煮、近年シーチキンも)1/4ほどの身をほぐし醤油、ネギを入れ、鍋の湯で好みの濃さとし、茹で上がった熱熱の麺をお椀に入れて食べる(鍋に唐辛子を入れる人もある)。にんにくを薬味にする人もいるが私はショウガを少し入れる。
 地獄うどんの名の謂れは定かではないがジャンケンなどで負けた者が食後に鍋に入れた唐辛子の汁を飲むのが地獄とか。子供向けには溶き卵にマグロのフレークを入れ、同じくネギ、醤油をいれて食べる、卵の甘みで美味しい、こちらもお試しあれ。

 10日も同じ場所で、 “じご”(徳山では地獄うどんを“じご”と呼んだ)するよ~

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揖斐アルプス 20190704

2019-07-05 07:01:53 | 山登り
揖斐アルプス 2019年7月4日(木)

コース 仁坂峠に車デポ →三輪神社10:23 →城台山10:45 →城ヶ峰11:38(昼食)12:28 →東の山13:02 →407m最高点 →西の山1353 →仁坂峠14:20 →春日モリモリ温泉

 当初、虎子山(1183.2m 岐阜12-1[美束])に行く予定で春日モリモリ温泉に集合、出発すると国見峠へ行く県道が9:00~12:00、13:00~16:00通行止(9月まで)とのこと、急きょ行先を変更した。
 私たちは三輪神社~仁坂峠(時間があれば間戸山まで)のコースを揖斐アルプスと呼び、大野町・谷汲村にある大谷山~雁又までのコースを大野アルプスと勝手に呼んでいる。

 10:45 揖斐城址(城台山)

 三輪神社出発から揖斐城址を過ぎて昼食は城ヶ峰とした。リクエストがあったので昨日伊吹堂の「アゲパン」を用意した。店主に聞くと明日食うなら賞味期限が短いので冷蔵庫で保存し食べるときオーブンで2分温めろという。火の位置が低いセパレートのガスコンロを用意し、五徳の上に網とパンを乗せ遠火で温めた。温めたことでパリっと焼けて最高の美味しさとなった。パン(写真)をお見せできないのが残念。

 コースを北に取り東の山へ、昨年の大雨での倒木が少しあるが、このコースは短パンで歩けるほど整備されている。やがて林道が現れ、そこから東の山への取り付きがわかり辛い。少しのアップダウンを繰り返し最高点へ、この最高点を左右に東の山、西の山という山があるが最高点407mには名前がない(不思議)。407手前では南西に桂の茶畑、圃場、池田山方面が見えて一番の写真ポイントだ。

 1326 桂(揖斐茶の産地)方面

 少し歩くと407m最高点、僕は少し手前の急峻な山が407mと思っていたが地図をよく見ると平地みたいなところが一番高い、北北東からきた尾根とぶつかるところ、地図読み練習にはいい山だろう。

1336 短パンでも歩ける
 
 西の山で三角点の写真を撮る

 1353 西の山三角点

 仁坂峠へ、三輪神社に車を取りに行き、解散した。
 
 14:20 仁坂峠

 地図[谷汲・池野]


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ホハレ歩道草刈り 20190702

2019-07-03 04:39:55 | 奥揖斐の歴史など
ホハレ歩道草刈り 2019年7月2日(火)

行程 峠10:00 →門入で昼食 → 14:20小飛倉谷を越え、黒谷左岸から草刈り開始 →16:00草刈り終了 →17:45藤橋温泉

 徳山には八つの集落(※1)があり、西谷の奥の奥、門入村(昔の門入)は他の七つのとはほとんど交流がなかった。坂内村や木之本方面との交流が多く、門入からホハレ峠越えの道が唯一生活歩道であった。
 日本一素晴らしい徳山ダムができて、きれいな水を流し続けてくれる門入の自然とホハレ歩道は先祖代々からのみごとな形見で何時来ても幾回来ても変わった喜びと夢を与えてくれる。(中略)

 昔はこのちっぽけな門入の伝統文化と自然を振り返ってくれる人はいなかったと思われる。日本一の徳山ダムとセットしてもらい、多くの方が年々門入に行きたいとの声が頻繁に聞こえてきます。嬉しいです。
 門入の自然は皆んなの共有です。きっと大切にしてくれると思います。
 協力隊(※2)に御苦労かけますが何時までも徳山ダム、門入の自然の道標であってほしいと思います。
[門入で生まれ、育たれたIさんが書いた“はじめに”(門入おこし協力隊メモ)から引用]

 私は奥揖斐で門入が一番好きです。それは山(門入)に行く度Iさんの人柄に惚れたのかもしれません。徳山の方たちがダム建設で家屋移転されて30年が経ちました。それでも門入の方たちはホハレ歩道を整備され続けてこられました。近年、整備される方も年々へり、多分昨年は草刈りはなかったと思います。

 1145 歩道のヤマアジサイ

 草は雨が降るたびに伸びます。この歩道では8月には背丈以上になるところも。そこで少しの距離ですが、昨年から草刈りのお手伝いの真似事をすることにしました。
 草刈り機は1台、手鎌でお手伝いしてくれた人が1名、あとは写真を見てください。

 1229 まずは昼ごはん Iさんの若嫁さん手製“ふかしジャガとシソの葉を挟んだキュウリの浅漬け(ショウガのせん切り付き)が美味しい、+カップ麺、おにぎり1個など


 1447 素人の草刈り


 1536 草刈り後

※1 徳山村には徳山(本郷)、下開田、上開田、山手、櫨原、塚、戸入、門入の8集落があった。
※2 門入の歴史、文化など現地を見ながら残したいとIさんがH27年に発案、その門入訪問者たちを「門入おこし協力隊」と名付け、H29年11月、60ページのメモ(小冊子)を残した(非売品)。

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