とあるスナックで
小林
コーさん、いよいよこの本を読みだしたんですね。
コー
そうなんだ。まったく憂鬱になっちゃうよ。読む前から内容は、大体予想は付いたけどね。
しかしこれ程とはね、まったく。題名が「天皇の陰謀」だよ、天皇のことを良く書いてあるわけがないよ。図書館にあったけど、小さな本が7冊になっているんだ。ようやく一冊を読んだところだ。
俺は昔、大岡昇平の「野火」という映画を見たんだが、そこではっきりわかったね,大東亜戦争が侵略戦争だったという事が。
だって現地のフィリピン人がアメリカ兵と一緒になって、日本軍と戦っているんだよ、これなんじゃと思ったね。
フィリピン人やベトナム人や、アジア人を解放するために戦争してるんじゃなかったんだと思ったね。そう計画された侵略戦争だったんだよ。
この本はそのことを改めてわからしてくれるんだろう、しかもその最大の計画者は。
著者は戦争中、中国やフィリピンで日本軍の残虐行為を何度も目撃しているんだな。
小さいときは日本で過ごしていた時があったみたいだ。父親は日本の聖路加病院の建築で知られた建築技師と書かれているね。
なぜあんなにおとなしい日本人が、戦場であんなにも非人間的な行動ができるのか疑問に思ったんだろう。
とにかく読んで行くには、気が重くなるよ。
p-35
著者から読者へ
・・・・・。
天皇裕仁は、1937年、華北に派兵する命令に押印した。彼は不承不承押印したと後にいわれるが、2か月後には華中および華南への部隊急派のための命令に続けざまに玉璽を押したのだ。・・・・。
・・・・・。
それよりも前、1931~32年に裕仁は満州の征服を裁可していた。後日やはり、彼は不本意ながらそうしたのだといわれているが、当時の記録は、彼が代表している玉座の神聖な機構が一役買ったこの冒険的投機に対する全責任を負うことを渋っていたということを、ただ単に示しているだけなのだ。征服がうまく完成されると、またしても彼は征服者たちに栄誉を与え、事に当たった大将(本庄繁)を侍従武官長に取り立てたのである。
こうした明白な諸事実から、私は、天皇裕仁の行為と、後年彼についていわれている言葉との間には大きな懸隔がある、という結論を得た。私は、資料の記録を読んで取ったノートを読み返し、考察し直して、第二次世界大戦以降に提示された日本現代史は、戦争末期に、一部は参謀本部の逆情報活動専門家たちによって、一部は高位の侍従たちによってつくられた、巧みに仕組まれた虚構である、と確信するにいたったのである。
・・・・・。
小林
この本は、アメリカによって特にライシャワー駐日大使によって出版を妨害されたといっているみたいですね、著者は。
コー
そうだね。戦後間もないころの占領政策もそれからの日本の対日政策も、天皇を利用してきたという事なんだと思う。だからこの本はそのアメリカの政策に反するということなんだろう。国民の信頼を失った天皇は利用できないからね。
なにしろ読んでいくうちに気がだんだん落ち込んでいくよ、あと6冊か。うーん。