桐野利秋in宝塚『桜華に舞え』観劇録 前編で書いたのですが、SS席で観劇するために、私たちは宝塚ホテルに泊まりました。
で、ホテルのテレビには、宝塚チャンネルがありまして、無料で見ることができます。「桜華に舞え」に関する番組もけっこうありましたので、つけっぱなしにしていました。
と、ちょうどそのとき、東京宝塚劇場で上演していました宙組の「エリザベート」の宣伝も、流れたんですね。
CM エリザベート 宙組2016
私、うかつにも、エリザベート皇后が主人公のミュージカルがあるとは、存じませんでした。
およそ11年前に書いた二人の皇后とクリノリンにエリザベートを出していますが、「この時代、オーストリア帝国にも、美しい皇后がおられました。ババリアの狂王ルートヴィヒ二世の従姉妹で、ヴィスコンテの映画『神々の黄昏』ではロミ・ーシュナイダーが演じていた、皇妃エリザベートです」と、昔の映画をあげています。
Ludwig - Trailer
古い映画ですが、今なお私は、ルキノ・ヴィスコンティのこの映画のルートヴィヒ二世が好きですし、出番は少ないのですが、ロミー・シュナイダー演じるシシィ(エリザベート)も強く印象に残っています。
『オペラ座の怪人』と第二帝政にも、以下のように記しています。
「ルキノ・ヴィスコンティの映画「神々の黄昏」で知られるババリアの狂王ルートヴィヒ2世は、フランスの太陽王ルイ14世に憧れ、ワーグナーの描く中世に酔いしれ、その過去への夢を書き割りのような築城に託したことで、身を滅ぼします」
基本的に、昔から私は、シシィよりもルートヴィヒ2世の方に関心をよせておりましたが、それでもシシィの伝記は一応読んでおりましたし、それなりの関心は抱いていました。にもかかわらず、ミュージカルの存在は知らなかったのです。
ホテルの宝塚チャンネルでなにげに見た時点では、それほど気にかかったわけではありません。なにしろ頭の中は「桜華に舞え」でいっぱいでしたし、おしゃべりをしたり、荷物を片付けたりしながら、テレビの音を流していただけなんです。
「宝塚だから恋愛ものよねえ。不倫? シシィの恋の相手は、ハンガリー貴族かなんかなのかなあ。それにしても変わった恰好だけど、世紀末風の扮装?」なんぞと、宙組男役トップ、朝夏まなとさん演じる闇の帝王・トート閣下をちらりと流し見ながら、見当外れな推測をして終わりました。
ところが帰宅して後、宝塚の動画をYouTubeでいろいろさがしていまして、これを見つけました。
宝塚xSMAPコラボ「闇が広がる」
いや、もう、夢中になってしまいました。
もちろん、SMAPに、ではありません。花組男役トップ、明日海りおさんが歌うエリザベートの劇中歌「闇が広がる」に、です。
宝塚歌劇 花組 ミュージカル『エリザベート-愛と死の輪舞(ロンド)-』 明日海 りおさんからメッセージ
2014年の花組「エリザベート」は、皇帝フランツを北翔海莉さんがなさっていた、ということも手伝い、迷わずDVDを購入。
『エリザベート ―愛と死の輪舞―』 [Blu-ray] | |
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宝塚クリエイティブアーツ |
この「エリザベート 愛と死の輪舞」は、1996年の宝塚初演以来、再演を重ね、2014年の花組公演で観客動員200万人を突破。現在では、「ベルサイユのばら」をしのぐほどの人気演目となっているようです。
さて、「闇が広がる」です。
宝塚xSMAPコラボを見たときから、「これはもしかして、マイヤーリンクで自殺した皇太子ルドルフ(シシィの息子)の心の葛藤を表現した歌?」とは、推測していました。
その通りでした。「エリザベート」は、およそ、私が持っていました宝塚のイメージを覆すミュージカルで、シシィが恋をするのは、ハンガリー貴族などではなく、闇の帝王・トート閣下、タナトス、つまりは擬人化された死なのです。
宙伊魯豆腐
1998年の宙組公演です。トートが姿月あさとさん、ルドルフが朝海ひかるさん、フランツは和央ようかさん。エリザベートは花總まりさんです。歌のうまさでは、有数のメンバーではないかと思い、これもDVDを買いました。
ルドルフ皇太子の自殺は、昔の映画「うたかたの恋」(見てはいませんが、クロード・アネ著の原作小説は読みました)では、男爵令嬢マリー・ヴェッツェラとの身分ちがいの悲恋の末の心中として、ロマンティックに描かれています。
私の従来のイメージからすると、「うたかたの恋」の方が宝塚らしい感じがしていまして、調べましたところ、1983年に宝塚は「うたかたの恋」を独自のミュージカルに仕立てていました。こちらも、幾度となく再演されているようなのですが、YouTubeで断片を見ますかぎり、歌が演歌調で、どうにもしっくりきませんでした。
くらべて、「闇が広がる」は、ロック調です。ミュージカル「オペラ座の怪人」の「The Phantom Of The Opera」がロック調で、ナイトウィッシュはじめ多くのロックグループがカバーしていますように、この歌も歌詞が英語であれば、カバーされていてもおかしくないでしょう。個人的には、日本語で、BABYMETALに歌ってもらいたいかんじ、なんです!
ともかく、ミュージカル「エリザベート」は、シシィ&ルドルフ母子を、滅びゆく帝国の重みにひしがれ、あらがい、タナトスに魅せられる時代の子、として描いていまして、おおよそ、私が抱いていた宝塚のイメージからは遠いんです。
それもそのはず、でした。
「エリザベート」は、1992年初演のウィーンミュージカルだったんです。元は、ドイツ語です。
その初演からまもなく、宝塚の演出家・小池修一郎氏がその楽曲に惚れ、ご自身のオリジナルミュージカル「ロストエンジェル」で、使われたんだそうです(もちろん許可を得て、です)。
さがしたらあったんですが、やっぱり曲がいいですわ、これ。
ロストエンジェル07
1995年、雪組のプロデューサーが、「ロストエンジェル」で使われた曲から「エリザベート」に関心を持ち、一路真輝さんの退団公演にどうだろうかと、小池氏に話をもちかけ、宝塚向けに大幅に変更を加えた上で、小池氏がウィーンへ交渉に行かれたのだとか。
一番大きな変更点は、なにしろ宝塚は男役が主役ですから、エリザベートではなく、黄泉の帝王・トート閣下を主役に据え、出番を大幅に増やしたことです。
そもそも、元のウィーン初演版では、トートは、エリザベートとルドルフにしかからまず、わずか30分しか出番がなかったそうですが、黄昏のハプスブルグ家の二人の心の中の死の誘惑を擬人化したものなのですから、そんなものだったのでしょう。
その他、オーストリア=ハンガリー二重帝国の事情を、日本人にわかりやすくするするためにハンガリーの革命家を出し、トートとルドルフを革命家にからませたり、さらには、作曲担当のリーヴアイ氏に「愛と死の輪舞」という新曲を作ってもらうなど、驚くほどの変更依頼をしましたところが、オーストリア以外でまだ上演されたことがなく、初めての他国からのオファーが日本の女性だけの謎の劇団だった、というので、すべてOKになったと言います。
宝塚の半年後に、ハンガリーでも上演され、そのとき、宝塚版改変のハンガリーの革命家のシーンや「愛と死の輪舞」が取り入れられ、そしてついには2012年のウィーン再々演では、宝塚から里帰りの形で「愛と死の輪舞」が取り入れられたんだそうなんです。
ウィーン版 エリザベート 愛と死の輪舞 日本語字幕
なお、日本では、宝塚版と同じく小池氏の演出で、東宝版「エリザベート」も上演され、2000年の初演以来再演を重ねて、チケットが手に入らないといわれる人気です。
初演の時は、宝塚でトートを演じた一路真輝さんがエリザベート、トートを山口裕一郎さんと内野聖陽さんが役代わりで演じ、余談ですが、これが縁で一路真輝さんと内野聖陽さんがご結婚なさったのだとか。
東宝版は、宝塚版よりはウィーン版に忠実であるそうなんですが、宝塚版のトートの役割の拡大は、結局、タナトスにとりつかれていたのは、シシィとルドルフだけではなく、ハプスブルグ帝国そのものだったのだ、ということを端的に現すこととなり、「エリザベート」というミュージカルの発展につながったように思うんですね。ただ、宝塚版で私が違和感を感じますのは、ラストのエリザベートと死神トートのハッピーエンドシーンでして、ルドルフとちがって、戦い抜いた末のエリザベートの死は安らぎだった、という解釈はわかるのですが、二人がニコニコあんまりにも嬉しそうなのが、何回見ても変です。エリザベートの死とともに、ハプスブルグ帝国の崩壊を暗示して、闇の帝王トートが、長くつきあったエリザベートを通じて、人の世の栄枯盛衰に哀惜の念を持ってしまった、といった壮大さが欲しいところです。
宝塚の「エリザベート」は、ラストの後にフィナーレが続きます。
いくつかの版のフィナーレを見たのですが、これは、明日海りおさん&蘭乃はなさんの花組のものが、まるでクリムトの絵のようで、最高だと思うんですね。
もっと知りたい世紀末ウィーンの美術―クリムト、シーレらが活躍した黄金と退廃の帝都 (アート・ビギナーズ・コレクション) | |
クリエーター情報なし | |
東京美術 |
まずは北翔海莉さんのフランツが「愛と死の輪舞」を独唱。ロケットと呼ばれるラインダンスの後に、クリムトの「エミーリエ・フレーゲの肖像」(上の本の表紙の絵)のような青く耀く衣装をまとった明日海トートと娘役の群舞、続いて、クリムトがよく使った黄金色の衣装で、「闇が広がる」をバックに、明日海さん、北翔さん、望海風斗さん(ルッキーニ役)、芹香斗亜さん(皇太子ルドルフ役)がリードしての男役群舞、そして明日海さん&蘭乃さんのデュエットダンスは、名画「接吻」そのもののようで、見飽きません。
さて、主人公のシシィ、エリザベートです。
実は、1937年生まれで、天璋院篤姫より一つ下。二人はほぼ同じ世代です。
そして、楠本イネは1927年生まれで、シシィより10ほど年上なのですが、実はシーボルトは、シシィの実家がありましたバイエルンにも、嫁ぎましたハプスブルグ帝国にも、深い縁がありました。
普仏戦争と前田正名 Vol9に、私、以下のように書いております。
フランツ・フォン・シーボルトは、1796年、ヴュルツブルク司教領で、ヴュルツブルク大学医学部教授を父に、生まれました。
そうなんです。フランス革命戦争のただ中に、神聖ローマ帝国領邦に生まれたわけなんです。
ヴュルツブルクは、1803年に一度、バイエルン選帝侯領となりましたが、1805年の仕分けではヴュルツブルク大公国となり、1815年のウィーン会議で、再びバイエルン王国領となりました。
ペーター・パンツァー氏の「国際人としてのシーボルト」によりますと、シーボルトはヴュルツブルク生まれということで、最初はバイエルン王国のパスポートをもって国を出ましたが、結婚してプロイセン国籍をとりましたし、おまけにシーボルトの「フォン」という貴族の称号は、祖父がフランス革命戦争で神聖ローマ帝国軍の負傷兵を治療し、ハプスブルク家の皇帝よりもらったものでしたので、オーストリア貴族ということも、できるんだそうです。
おイネさんの異母弟のハインリッヒ・フォン・シーボルトは、オーストリア=ハンガリー帝国の在日公使館に長年勤務し、1891年(明治24年)、オーストリアで男爵の地位を得ています。シシィの死の7年前のことです。
幕末維新は、すっぽりとエリザベートの時代に重なっていまして、もう少し、シシィのことなどを書いてみたいと思います。