郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

宝塚キキ沼に落ちて vol17

2021年01月27日 | 宝塚

宝塚キキ沼に落ちて vol16 - 郎女迷々日録 幕末東西

上の続きです。

宝塚カフェブレイク ★宙組男役の芹香斗亜は戦国BASARAをやったり、冗談やったりも 20210124

 久しぶりのキキちゃん、カフェブレイク登場です。
 「月組と読めるのですが、間違ったのですよね?」というコメントがあるんですが、ほんと0:44ころの字幕が月組になっています。間違いですかね?

 実在の人物で演じてみたいのは、織田信長。その理由が、昔、ゲーム「戦国BASARA」で、織田信長のキャラを使って、はまっていたから、なのだそうです。
 宝塚でやった「戦国BASARA」って、蘭寿とむさんが真田幸村で主演、明日海さんが二番手で上杉謙信、なんですよね。
 あれ、キキちゃん、そのころ花組にいたはずなのに? と思って調べてみましたら、同時期に『フォーエバー・ガーシュイン-五線譜に描く夢-』で、バウ初主演してたんですね。

 この『フォーエバー・ガーシュイン』、相手役がゆきちゃん(仙名彩世)ですし、一度見てみたいのですが、ネット上でさがした作品の評判は、最悪です。キキちゃんが悪いわけではなく、作品そのものの出来が悪かったようなのですが、同じくらいの時期に、月組のバウ公演はウエクミ先生が「月雲の皇子」で大評判をとっていて、キキちゃんにとっては、ついてない成り行きだったように感じます。
 花組本体の「戦国BASARA」も、あんまり評判がいいわけではない、ようなのですけれども。

 織田信長、キキちゃんに似合うと思いますが、「戦国BASARA」は離れた方がいいような気もします。
 ショーでは立ち回りをやったこともある、とキキちゃんが言っているのは、「白鷺の城」ですよね。

宙組公演『白鷺(しらさぎ)の城(しろ)』『異人たちのルネサンス』初日舞台映像(ロング)

 初日映像にもちょこっとだけ映っているのですが、キキちゃんの武将、素敵でした。

宝塚『カフェブレイク 芹香斗亜』

 こちらの方が、たくさん映っていますね。
 このショーの武将・岡見宗治と、「異人たちのルネサンス」フィナーレ男役群舞のキキちゃんがすばらしかったので、円盤を買いました。
 これを見て、「キキちゃん、トート似合うよね」と思ったり。

 作品そのもののの出来は、といいますと、どちらもちょっと首をかしげてしまうのですが、特に「異人たちのルネサンス」。

 キキちゃんのロレンツォ・デ・メディチは素敵でした。キキちゃんご自身が語っておられますように、史実のロレンツォとはちがいます。これは、この作品の主人公、レオナルド・ダ・ヴィンチの目に写ったロレンツォですから、それはいいんです。

 しかし、一番なにが変って、かんじんのそのレオナルド・ダ・ヴィンチです。
 ダ・ヴィンチは、この後、チェーザレ・ボルジアの軍事技術顧問ともなった技術者でもあります。
 この作品は、ルネサンスの画家を、19世紀の近代画家と同じように描いていませんか? ということなんですが、これでは、万能の天才、というよりは、苦悩する心優しい画家、であって、まるでダ・ヴィンチではないですし、真風さんに似合いません。

 もっとも、私が最初に驚いたのは、ずんちゃん(桜木みなと)演じる、ロレンツォの弟、ジュリアーノ・デ・メディチです。

 塩野七生さんの「わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡」で読んだのだったと思うのですが、若くして、パッツィの陰謀で殺されたジュリアーノ・デ・メディチは、美青年だったといわれ、サンドロ・ボッティチェッリの手になる肖像画が残されています。

 

 

 

 

 そして、ジュリアーノの恋人(人妻ですが)のシモネッタ・ヴェスプッチは、絶世の美女と謳われ、ジュリアーノより一足先に病で世を去りましたが、フィレンツェ中の人々が、その死を惜しんだといわれます。
 有名なボッティチェッリの「ビーナスの誕生」のモデルであり、多くの肖像画を残しました。

 

 

 

 

 ロレンツォとジュリアーノの仲はよく、ロレンツォは、青春の盛りの弟の死を嘆き悲しみ、ボッティチェッリに依頼し、「プリマヴェーラ(春)」の中に、二人の姿を描き残させた、という伝説もあります。

 

 

 

 

 左端のマーキュリーがジュリアーノで、プリマヴェーラ(春の女神)がシモネッタ、という話なんですね。

 また、ロレンツォは文人でもあって、詩を残しています。

 Quante bella giovinezza, che si fugge tuttavia!
 Chi vul esser lieto,sia: di doman non ce certezza.

 青春は麗し されど疾く去り行く
 楽しむ者は楽しめ 明日の日は定めなければ

 Trionfo di Bacco e Arianna(バッカスの勝利)と題されたこの詩は、もともと謝肉祭の歌として書かれたのだそうです。
 フィレンツェだけではなく、広くイタリアで愛唱され、謝肉祭が観光名物ともなったヴェネツィアでは、ずいぶん後世までも歌い継がれていたといわれます。
 ジュリアーノとシモネッタ。私には、ロレンツォが、フィレンツェの全盛期に若くして散った美しい恋人たちをしのんで、作詩したように感じられます。

 ロレンツォの死後、フランス軍の侵攻があり、メディチ家はフィレンツェを追われます。その後、フィレンツェを支配したのは、禁欲的な宗教改革僧・サヴォナローラで、フィレンツェは、ロレンツォ時代のルネサンスの輝きを失います。

 時を経て、メディチ家はフィレンツェに返り咲き、フランス王妃(カトリーヌ・ド・メディシス、マリー・ド・メディシス)を出したりと、政治的には安定するのですが、ロレンツォ豪華王と呼ばれるくらいで、芸術・学芸のパトロンとして、先端の美を生み出していたロレンツォの時代に、私は若い頃から、ボッティチェッリの名画そのもののような、きらびやかな青春の印象を持っていました。

 ところが、ですね。ずんちゃん演じる「異人たちのルネサンス」のジュリアーノは、こじらせた弟、という設定なんですね。
 ずんちゃんが悪いわけではなく、そういった設定なのですが、兄ロレンツォに敵意を抱き、すねてばかり。
 イメージが狂いすぎでした。

 ロレンツォとジュリアーノのお話は、ちゃんと舞台で見てみたいのですが、もしまともにすれば、ヒロインはシモネッタ・ヴェスプッチで、主人公はジュリアーノ、だと思います。
 できれば、キキちゃんにやってもらいたいものです。

 ふう。宝塚のスターシステムって、けっこう面倒くさいですねえ。劇作の難しさも、なんとなく想像できはするのですけれども、やはり、ご贔屓さんの出る作品は、いいものであってもらいたいなあ、と思います。

 織田信長で、なにかいい原作はないものでしょうか。

コメント (5)
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