郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

モンブラン伯とグラバー

2006年01月11日 | モンブラン伯爵
桐野の資料をひっくり返していて、どびっくりの発見がありました。防長史談会雑誌のコピーを持っていたのですね。高杉と桐野の接点がないものかと、薩長連合のあたりを調べていて、山口の図書館から取り寄せていたもののようです。
その一つが、明治45年2月に、中原邦平がグラバーから話を聞きだしているものだったんですが、なんとグラバーは、モンブラン伯のことをしゃべっているではありませんか。
なにしろ、五十年前のことですから、高杉を木戸とまちがえていたり、話が思い込みになってしまっているのですが、「徳川幕府の謀反人の中では、自分が最も大きな謀反人でありました」としめくくっている、有名な述懐です。
モンブラン伯については、「非常に嫌な奴でありました。自分は大分彼の邪魔をしてやりました。西洋の言葉で申すと棺に釘を打ってやったのです」って言ってます。
すごいな、グラバー。さすがスコットランド人。
幕府とフランスの提携については、グラバーのようなイギリス人がたきつけたためもありますが、木戸、高杉、伊藤、井上と、みんな気に病んでいるんですね。
慶応2年の2月に高杉が長崎へ行ったのは、ひとつには、グラバーの手を借りて欧州に渡り、対フランス工作をしようとしたのですね。しかし、横浜に出かけていたグラバーを待つ間にお金を使い果たしてしまい、結局、オテントー丸を買って帰った、というわけです。
薩長連合提携直後で、長州人はだれも知らなかったでしょうけれども、すでに欧州では、五代友厚がモンブラン伯に近づいています。
薩摩のフランス工作は、始まっていたんですね。つくづく用意周到といいますか、ぬかりのないことです。

ところで、以下のページでご教授をお願いしていたことに、個人サイトの掲示板の方で、答えてくださる方がおられました。
掲示板は流れますので、以下にメモっておきます。

モンブラン伯爵は大山師か
19世紀の舞踏会とお城
アラゴルンは明治大帝か

◆チボリ街はどこらあたりなのか◆

チヴォリ庭園は現在のパリのサン・ラザール駅のあたり(パリの中心北寄り)になります。

下記サイトによると、元チヴォリ庭園(入り口は現在のサン・ラザール通りにあった)を横切る形で現在チヴォリ通りがあり、その一部がpassage tivoliと呼ばれていたようです。
多分tivoli通りの端にあたると思います。それが現在はpassage de Budapestと呼ばれているのではないかと。。
http://www.paris-pittoresque.com/cafes/32b.htm

http://www.faget-benard.com/petit%20bout%20du%20monde/textes/chap2/tivoli.htm
上掲載の地図、赤字でemplacement de la future..が現在のサン・ラザール駅の位置です。

詳細地図が出てきたので場所が判明しました。
アムステルダム、サン・ラザール、クリシー、アテネ各通りに囲まれた地区、つまり現在サン・ラザール駅とサン・トリニテ教会に挟まれるかたちになる台形の一帯がチヴォリ庭園だったようです。
・・Cet ensemble comprendrait, aujourd'hui, un rectangle d四imit par la rue d'Amsterdam, Saint-Lazare, Clichy et d'Ath熟es・・ (11/20のサイト2パラグラフ参照)
今はSNCF(国鉄)の施設が建っています。
そしてその台形の端を突っ切る形でブダペスト通りあります。passage Tivoliの写真、キャプションを勘案するとほぼここにあたると思います。(Rue de Budapest)
ただここは所謂貴族街ではないので、ここに家があったとすればモンブラン伯は生粋の貴族でなく新興ブルジョワっぽい気がしますなー

◆モンブラン伯家について◆
郎女の質問
「モンブラン伯家については、これも鹿島茂氏が小説で、南仏の貴族だった、としているんです。小説なのがちょっと不安なんですが、おそらく田舎貴族で、王政期にパリに邸宅をかまえたような金持ちではなかったのではないか、それが革命でベルギーに亡命したんじゃないか、という風に考えていたのですが、いかがなものでしょう?
第1帝政期の新興貴族、という線も考えたのですが、それだったらもっと羽振りがよさそうな気がしまして。ナポレオン三世の宮廷に、入り込めてない感じなんです。
チボリ街って、どうなんでしょう? 駅の側なら、弟2帝政期における場末、ってことはないですよね?」

モンブラン伯について。
まず、ググってる最中にヨーロッパの家名事典の宣伝ページにあたりまして、Descantons家について"Monarchie de Juillet, en 1841(1841年 7月王政)"と書かれていました。家名事典ということで、"7月王政、1841年叙位"を意味すると思うのですが(宣伝ページなのでこれしか情報がない)。。
もともとチヴォリ庭園が銀行家のBoutinの企画であったこともあり、個人的に7月王政で財力に物を言わせて叙位されたブルジョワを想像してましたが、羽振りが良くないのか。。うーむ。
ただインゲル城の相続がPlotho(だっけ?)家絡みの話なので、ドイツ貴族と姻戚関係があるとすると結構古い家系orその分家なのかもしれません。
チヴォリ庭園はカジノや劇場も入ったアミューズメントパークの走りで1825年閉園、翌年Boutinの子孫によってHagermannとMignonへ売却されています(by11/20のサイト、売却対象は庭園を含む更に広い地域)。ということはパリは貸家?
少し後近くで鉄道の建設は始まるし、更に後でデパートは出来るで商業地域といった感じでしょうか、いずれにせよ高級住宅街ではないです。

◆モンブラン伯の家族など◆
郎女の質問 
「19世紀の半ば、Charles Alb駻ic Descantons - モンブラン伯爵にしてインゲルムンステル男爵が、インゲルムンステル城を相続した。Plotho家のドイツの分家が抗議したが、しかし、城の所有者であったPlotho家9世代目、Charles-Josephと彼の兄弟Ferdinandには、男系の相続人がなかったので、彼らはフランス人に城を任せることにした。
最初に出てくる人名、「Charles Alb駻ic Descantons」、シャルルの後のAlb駻icが文字化けしています。読めないんですけど、人名なのは確かでしょう。わからないのはDescantonsなんですが、Descantonsでぐぐってみると、「Descantons de Montblanc」という名が上位をしめるので、これはモンブラン家に固有の名ででもあるんでしょうか」

まずDescantonsは家名です。(~伯/公は通常土地の名前 ex.バイエルン公ヴィッテルスバッハ家)
子孫はいますが本人のかわかりません。1896年生まれのAlb屍ic Jules氏が子供か甥・・?
http://www.ping.be/~jos81/link/philippides/phzyj.htm
因みに父上?はCharles Alberic Clementという名らしいです(第2パラグラフ参照)。  http://www.nieuwsbank.nl/inp/2002/02/14/y146.htm?fmt=INPPRINT
ここはインゲルムンステルの歴史遺産保護の呼びかけページで、(Yahooの仏訳機能だと所々文法が変+オランダ語混合で確信はないのですが)そのお城の場所は今のブリュージュ近郊、1859年に彼がチャペルの周りにお墓を建設、1885年に拡大されたことが書かれてます。

郎女の質問
「Descantonsは家名でしたか。なんとカタカナ表記すればいいものなんでしょう。
Charles Alberic Clementは、シャルル・アルベリック・クレマンでいいんですよね?
鹿島茂氏の小説では、日本にいたモンブラン伯が1861年に父親の遺産相続のためベルギーへ帰国、としていましたので、1859年に自分の墓所を作って死去したとすれば、話はあうように思います」

Descantonsはcantonの複数形から派生してるっぽいのでデカントンでしょうか。シャルルの方はその通りです。
あと、ぐぐり途中でインゲル城の火事の際、肖像画等も全て焼けてしまった、という記述を読みました。残念ですね。

荷葉さま、ありがとうございました。また、どうぞよろしくお願い申し上げます。


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6 コメント

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オフィス★ビッグバンブーさま (郎女)
2006-01-14 04:30:49
コメントありがとうございます。

気楽にするつもりが、なんとか情報を、というあたりから、次第に方向がそれてしまいまして。



大阪の街のお話など、とても楽しく拝見させていただきました。また行かせていただきます。



私の物語は、えーと、その、できあがるかどうか、さっぱりわかりませんです(笑) 計画しては中途でいやになりをくり返しておりまして、死ぬ前に一つくらいは、ちゃんと仕上げたいかな、と。



どうぞ、また、おこしくださいませ。
返信する
shobun7さま (郎女)
2006-01-14 04:16:03
ようこそ、いらっしゃいませ。

よろしかったら、お名前にリンクを入れていただきますと助かります。

こちらこそ、どうぞ、よろしくお願いします。
返信する
TBどうもです (オフィス★ビッグバンブー)
2006-01-13 23:39:43
郎女さん、こんにちは。TBかけていただいたオフィス★ビッグバンブーです。

マジブログさんのおっしゃる通り、

マニアックで読み応えのある記事の数々、興味深く拝見いたしました。

今後の更新、楽しみにしています。



私の方は、ご覧になっていただければわかるように、

全くのノンジャンルで深さもない、お気楽ブログです。

今後もフィクション、ノンフィクション織り交ぜて、

思いつくまま気の向くままアップしていきますので、

よろしければ、また遊びにきてくださいね。



最後になりましたが、執筆をご計画中の作品、

上梓されましたらご一報ください。

よろしくお願いします。







返信する
TBありがとうございました。 (shobun7)
2006-01-13 23:26:21
今晩は♪



五代友厚のくだり、当然のことのように僕も知らなかったです。

さすがですよねぇ・・・。



またお願いします☆
返信する
すみません。 (郎女)
2006-01-12 17:01:21
高杉さんの長崎行きで検索かけていて、まことに申し訳なくもメモつきのTBをかけさせていただいてしまいました。



ご訪問、ありがとうございます。

ぜひ、幕末のお話をまたお願いいたします。

東京にはけっこう長くいたのですが、実は日野へは行ってないのです。町田には友人がいましたので、けっこう行ったのですけど。ぜひ、訪れたいものです。
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トラバありがとうございます (マジブログ)
2006-01-12 09:53:57
すごいマニアックですね~。郎女さんはいったいどんな経歴の方なんでしょう。感心しました。これからも見させていただきます。小生は、土方歳三のふるさと日野の出でございます。剣道もやってました。道場には土方や井上の末裔もいました。そんなわけですからブログにも幕末ネタもこれから出てくるかもしれません。ま、流れ次第で。古代史ネタもでてきます。ぜひ、ご覧になってください。では、失礼します。
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