本日は、野口武彦氏が描く、妖怪のような岩倉具視のリアルさに感激しまして、ひさしぶりにちょっと読書感想を。
この本の内容は、野口武彦先生ご自身の後書きでご紹介するのが、一番早そうです。
「この一冊に収めた七篇の作品は、いずれも幕末史の中で特に強く個性の輝きを放った人物を主人公にしている」
その七人とは、清川八郎、伴林光平、孝明天皇、山内容堂、相楽総三、小栗上野介、勝海舟、です。
ほんとうは私、小栗上野介の話が読みたくて、これを買ったのですが……、というのも、野口先生は、きっちり資料を見られ、最近の歴史学的成果にも目を通された上で、ひじょうに的確に、息づかいが聞こえてくるようなリアルな感覚で、時代と人物を描いてくださいますから、どういうとらえ方をなさっているのか、知りたかったんです。
期待通り、小栗を描いた「空っ風赤城山」はもちろん、七篇全部、すばらしかったのですが、圧巻は山内容堂を主人公とする「御所の一番長い夜」です。
「御所の一番長い夜」とは、もちろん、王政復興のクーデターの夜です。
不機嫌がとぐろをまいたような山内容堂の描き方も秀逸ですが、それぞれの人物の思惑、動きが、生々しく浮き彫りにされ、わけてもぞくっとするような存在感を持つのが、岩倉具視です。以下、クライマックスの引用です。
御所の一番長い夜が始まった。
上背と体格では満座を圧する山内容堂は、全身から怒気を放っていた。まだ体内から抜けきらない酒気が攻撃性を発散させている。
真正面にいる岩倉具視とは初顔合わせである。春嶽も「御公家様の顔は初めて対面せり」(『逸事史補』)といっている。岩倉は短?だった。品川弥二郎などは最初一見し、あまりにも「身体矮小にして風采揚がらざる」(『大久保利通伝』中)容姿なので、こんな男と組んで大丈夫かと思ったほどだ。それが今は毛の生え揃わぬ頭に冠を載せて、不退転の決意を眉目にみなぎらせ、まるで別人のように大きく輝いて見えた。
徳川慶喜の処遇についての岩倉と容堂の対立は、やがて大久保利通と後藤象二郎の激論へとうつり、紛糾するあまりに休憩。そこで岩倉は、どっちつかずになりかけている安芸藩主・浅野茂勲をつかまえ、容堂を説得するようにと、迫ります。
膝詰め談判であった。本当に膝と膝を突き合わせ、鉄漿(おはぐろ)で染めた歯の間から口臭が匂うほど顔を差し付けるのである。尋常な形相ではなかった。真っ青になって眼が据わり、唇をわなわな震わせている。
もう、脱帽するしかない描写です。
御所を征圧した、薩摩藩兵の無言の圧力も、その場にいるように、ひしひしと伝わってくるんです。
久しぶりに、野口先生の筆力を、堪能させていただきました。
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この本の内容は、野口武彦先生ご自身の後書きでご紹介するのが、一番早そうです。
「この一冊に収めた七篇の作品は、いずれも幕末史の中で特に強く個性の輝きを放った人物を主人公にしている」
その七人とは、清川八郎、伴林光平、孝明天皇、山内容堂、相楽総三、小栗上野介、勝海舟、です。
ほんとうは私、小栗上野介の話が読みたくて、これを買ったのですが……、というのも、野口先生は、きっちり資料を見られ、最近の歴史学的成果にも目を通された上で、ひじょうに的確に、息づかいが聞こえてくるようなリアルな感覚で、時代と人物を描いてくださいますから、どういうとらえ方をなさっているのか、知りたかったんです。
期待通り、小栗を描いた「空っ風赤城山」はもちろん、七篇全部、すばらしかったのですが、圧巻は山内容堂を主人公とする「御所の一番長い夜」です。
「御所の一番長い夜」とは、もちろん、王政復興のクーデターの夜です。
不機嫌がとぐろをまいたような山内容堂の描き方も秀逸ですが、それぞれの人物の思惑、動きが、生々しく浮き彫りにされ、わけてもぞくっとするような存在感を持つのが、岩倉具視です。以下、クライマックスの引用です。
御所の一番長い夜が始まった。
上背と体格では満座を圧する山内容堂は、全身から怒気を放っていた。まだ体内から抜けきらない酒気が攻撃性を発散させている。
真正面にいる岩倉具視とは初顔合わせである。春嶽も「御公家様の顔は初めて対面せり」(『逸事史補』)といっている。岩倉は短?だった。品川弥二郎などは最初一見し、あまりにも「身体矮小にして風采揚がらざる」(『大久保利通伝』中)容姿なので、こんな男と組んで大丈夫かと思ったほどだ。それが今は毛の生え揃わぬ頭に冠を載せて、不退転の決意を眉目にみなぎらせ、まるで別人のように大きく輝いて見えた。
徳川慶喜の処遇についての岩倉と容堂の対立は、やがて大久保利通と後藤象二郎の激論へとうつり、紛糾するあまりに休憩。そこで岩倉は、どっちつかずになりかけている安芸藩主・浅野茂勲をつかまえ、容堂を説得するようにと、迫ります。
膝詰め談判であった。本当に膝と膝を突き合わせ、鉄漿(おはぐろ)で染めた歯の間から口臭が匂うほど顔を差し付けるのである。尋常な形相ではなかった。真っ青になって眼が据わり、唇をわなわな震わせている。
もう、脱帽するしかない描写です。
御所を征圧した、薩摩藩兵の無言の圧力も、その場にいるように、ひしひしと伝わってくるんです。
久しぶりに、野口先生の筆力を、堪能させていただきました。
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野口先生のご本、おもしろそうですね、ぜひ読みたいですね。先生のは「幕府歩兵隊」みていたところでした。
長州の奇兵隊が構えるミニエー銃(ライフル)の照準のなかに、(旧式のゲベール銃を持った)幕府の歩兵隊が入ってくる...
歴史の真理は臨場感にある...できるだけ<活写>することで<真実>に近づけるのではないかと、野口先生は、おっしゃっていますね。
アーネスト・サトウの同僚の英国外交官A.ミットフォードの「リーズデイル卿回想録」に,山内容堂に直に何度か会って、容堂の広い識見と英知、堺でのフランス水兵への銃撃事件での誠実な対応に感心している場面、さっき電車の中で読んでました。
さて、最近気づいたのですが、Googleに英語表示から入って、自分のブログを「自動変換ベータ版」でみると、珍訳もあってなかなか面白く、しかし、かなりまともな出来で楽しめます。
で、自動翻訳くんにわかり易いように少し素直な表現に直してみたりしてました。しかし、特に日本でカタカナ表現した外国の地名人名は、自動翻訳くんに限らず世界に殆ど通じないような気がしてきました。
この夜の、西郷の「事ここに至っては匕首あるのみ」などというのは、どう訳されたかなあ?
以上、余談のことながら...
でも、コメントいただく前から、西郷の「事ここに至っては匕首あるのみ」がひっかかっておりましたので、手持ちの資料の範囲で、調べておりました。といいますのも、野口先生は、それを書いておられないんです。いったい、なんの史料に載っていることなのか、たしかな裏付けがあるエピソードなのか気になりまして。
直後に、『幻の宰相 小松帯刀伝』を読んでおりましたら、西郷が岩倉にそう伝えてくれ、と言った相手は、薩摩藩家老の岩下方平なんですね。あれ、そうだったっけ? と思って、海音寺潮五郎氏の『西郷隆盛』を見返してみましたら、やっぱりそうでした。ということは、薩摩関係の資料に載っていることなのかと、『鹿児島県史料 忠義公史料』でさがしてみたのですが、これが、ないんです。
岩下方平の回顧談かなにかなんですかしらん。。。
ただいま調べ中です。
慶応4年12月9日、この夜の、岩倉と岩下、浅野やら西郷の「事ここに至っては...」のことは、同席した参与・越前藩士の中根雪江の「丁卯日記」や、「岩倉公実記」によると書いてありました。おどされたほうの浅野長勲の部分は、(手島益雄編「浅野長勲直話」)から、と。
わたしは、そこまで追いかけて読む気力なく、本当かどうかは...
ご参考になれば幸いです。
どれもこれも実に面白く、いっきに読ませて頂きました。ただ読みに気が引けます。
小生は荒唐無稽意味不明なアニメをやっております。穴があったら入りたい心境です。
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