いやもう、疲れました。
なにに疲れたって、wikiの記事を書くのに、です。
桐野の記事は、ちょこっとつけくわえさせてもらっただけだったので疲れなかったのですが、それで、甲賀源吾と回天丸を書く気になったのが、まちがいのもとでした。
なんで書く気になったかといえば、昔、けっこう奮発して、あまり人様の持っていない古書を買っていたから、なんですね。
いえ、図書館にもなかなかない本でしたし。昭和8年に発行された『回天艦長 甲賀源吾傳』です。
函館戦争のフランス人vol3(宮古湾海戦) ではちらっとしか書きませんでしたが、この宮古湾海戦の主役となった回天丸と、その船長だった甲賀源吾が、昔、どうにも気になりまして。気になったのに資料がない、というので、買ったものです。
しかし、まあ、けっこう内容を忘れているものです。
他の書籍と読みくらべて、ああでもない、こうでもないと、まるで仕事をしているようでした。
このブログだったら、うろ覚えで、けっこういいかげんに書き飛ばし、ずいぶん後になって、あれ? もしかしてまちがえたよねえ、と思い出して直したりもするのですが。めんどうになると、細かなことははぶいちゃいますし。
回天丸が奪取をめざした甲鉄艦のことも、あとから、高杉晋作「宇宙の間に生く!」と叫んで海軍に挫折で補ったりしてますよねえ。
それがwikiとなりますと、なにしろ、他人様の書いておられることを消したり直したりするわけですから、くれぐれもまちがいのないようにと、あっち見てこっち見て確かめて、きっちり客観的に、って、ほんと仕事ですよねえ。つくづく、無料でやることじゃありませんわ。
桐野の項目だって、あれほどに正確に、詳細に書いていただいた後でなければ、とても手をつける気には、ならなかったんですのにねえ。
あー、それでちょっと気になったことがあります。篠原宏著『海軍創設史 イギリス軍事顧問団の影』では、甲賀源吾と荒井郁之助の名が、長崎のオランダ海軍伝習生名簿に載っているのですが、ぐぐってみましたところ、他にはそれを書いたものがないようなんですね。篠原氏は、主に勝海舟の『海軍歴史』を資料になさって名簿を作られたようなので、これは見てみるつもりなんですけど、長崎オランダ伝習生に関する根本資料って、ほかにはないものなんでしょうか? もし、おわかりになられる方がおられましたら、ご教授のほどを。
資料を読んで、書いていて、あらためて確認したことがあります。
甲賀源吾って、理数系のテクノクラートなんですよねえ。その上に戦闘魂があるわけですから、海軍将官としては理想的な人だったように思えます。
付け加えます。
あーもう、篠原氏ったらば、甲賀本人と兄さんをまちがえるとは!!!
(のち回天艦長で戦死)とある注意書きに目を奪われて、名前をよく見ていませんでしたわ。
甲賀「郡之丞」って、それは兄さんで、回天艦長にはなっていませんし、戦死もしてませんってばさ。
ふりまわされました。
おまけにー、よーく考えたら、伝習生の名簿が載っている本を、他に持っていましたわ。文倉平次郎著『幕末軍艦咸臨丸〈上〉』です。「荒井郁之助」も、郁之助じゃなく光太郎だし、親の名前が全然ちがうし。。。 なんなんでしょう。。。
うー、篠原氏の著述、不安になってきました。イギリス海軍伝習の話は、だいじょうぶなんでしょうねえ。
あー、もう一言だけ。
近代デジタルライブラリーに『海軍歴史』がありましたので、見てみましたら、しかも荒井光太郎は、巳12月24日病死とあるし!!!!!!!
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桐野の記事は、ちょこっとつけくわえさせてもらっただけだったので疲れなかったのですが、それで、甲賀源吾と回天丸を書く気になったのが、まちがいのもとでした。
なんで書く気になったかといえば、昔、けっこう奮発して、あまり人様の持っていない古書を買っていたから、なんですね。
いえ、図書館にもなかなかない本でしたし。昭和8年に発行された『回天艦長 甲賀源吾傳』です。
函館戦争のフランス人vol3(宮古湾海戦) ではちらっとしか書きませんでしたが、この宮古湾海戦の主役となった回天丸と、その船長だった甲賀源吾が、昔、どうにも気になりまして。気になったのに資料がない、というので、買ったものです。
しかし、まあ、けっこう内容を忘れているものです。
他の書籍と読みくらべて、ああでもない、こうでもないと、まるで仕事をしているようでした。
このブログだったら、うろ覚えで、けっこういいかげんに書き飛ばし、ずいぶん後になって、あれ? もしかしてまちがえたよねえ、と思い出して直したりもするのですが。めんどうになると、細かなことははぶいちゃいますし。
回天丸が奪取をめざした甲鉄艦のことも、あとから、高杉晋作「宇宙の間に生く!」と叫んで海軍に挫折で補ったりしてますよねえ。
それがwikiとなりますと、なにしろ、他人様の書いておられることを消したり直したりするわけですから、くれぐれもまちがいのないようにと、あっち見てこっち見て確かめて、きっちり客観的に、って、ほんと仕事ですよねえ。つくづく、無料でやることじゃありませんわ。
桐野の項目だって、あれほどに正確に、詳細に書いていただいた後でなければ、とても手をつける気には、ならなかったんですのにねえ。
あー、それでちょっと気になったことがあります。篠原宏著『海軍創設史 イギリス軍事顧問団の影』では、甲賀源吾と荒井郁之助の名が、長崎のオランダ海軍伝習生名簿に載っているのですが、ぐぐってみましたところ、他にはそれを書いたものがないようなんですね。篠原氏は、主に勝海舟の『海軍歴史』を資料になさって名簿を作られたようなので、これは見てみるつもりなんですけど、長崎オランダ伝習生に関する根本資料って、ほかにはないものなんでしょうか? もし、おわかりになられる方がおられましたら、ご教授のほどを。
資料を読んで、書いていて、あらためて確認したことがあります。
甲賀源吾って、理数系のテクノクラートなんですよねえ。その上に戦闘魂があるわけですから、海軍将官としては理想的な人だったように思えます。
付け加えます。
あーもう、篠原氏ったらば、甲賀本人と兄さんをまちがえるとは!!!
(のち回天艦長で戦死)とある注意書きに目を奪われて、名前をよく見ていませんでしたわ。
甲賀「郡之丞」って、それは兄さんで、回天艦長にはなっていませんし、戦死もしてませんってばさ。
ふりまわされました。
おまけにー、よーく考えたら、伝習生の名簿が載っている本を、他に持っていましたわ。文倉平次郎著『幕末軍艦咸臨丸〈上〉』です。「荒井郁之助」も、郁之助じゃなく光太郎だし、親の名前が全然ちがうし。。。 なんなんでしょう。。。
うー、篠原氏の著述、不安になってきました。イギリス海軍伝習の話は、だいじょうぶなんでしょうねえ。
あー、もう一言だけ。
近代デジタルライブラリーに『海軍歴史』がありましたので、見てみましたら、しかも荒井光太郎は、巳12月24日病死とあるし!!!!!!!
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宮古湾海戦については、いずれ手を入れさせてもらうつもりではいるんですが、まあ、あたりまえなんですが、資料によって書いていることがちがうんですのよ。『薩摩海軍史』は、デジタルで公開してくれていませんから、大山柏氏の著作で間に合わせるにしても、どの資料の記述をとるかになってきて、戦史ってむつかしいですねえ。小説だったら、自分にとっておもしろい説でいいんですけど。
画像の問題は、ほんとにいかがなものか、と思います。公共施設が所蔵している昔の人の肖像写真なんか、なんでパブリックドメインにしてくれないのか、不思議ですよねえ。まあ、これまでの習慣が、所有者の権利を過剰に扱っていたからではあるんですけど、そろそろ、意識変革してくれませんとねえ。
歴史の回天期に1回だけ顔を出す人、というのがありますが、甲賀さんもそうかなあ??
自分で努力しないくせに日本語のWikiは、ちょっとなあと思っていました。加えて画像の著作権主張や過剰な保護がガンではないでしょうか。
それはともかく内容は、ひとえに書き手の蓄積と情熱によるのですねえ。すごいですね。
さて、宮古海戦での若き東郷さんは、ほんとうに機関砲ウチマクリの大奮戦だったのでしょうか!?