郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

『オランダおいね』と戦後民主主義

2016年03月20日 | シーボルトの娘

 オランダおイネと楠本イネの続きです。

 「まんが日本絵巻」の「おらんだおいね」を見つけました!

おらんだおいね/他一編



「まんが日本絵巻」は、1977年(昭和52年)から1978年(昭和53年)、TBSの放送だそうでして、前回ご紹介しました1970年(昭和45年)のポーラテレビ小説、実写版「オランダおいね」に似ているといえば似た感じです。
 どこからどー思いついたものなのか、見当もつきませんが、両方とも、幼いイネは自分の父がだれなのか知らず、オランダ人であることも知らず、しかし、容姿が普通の日本人とはちがうので、他の子供たちから「あいのこ」と呼ばれ、いじめられたりします。
 もしかして、「あいのこ」が差別用語のような使われ方をしはじめたのは、敗戦後の米軍占領期からのような気がするのですが、ちがうのでしょうか。
 どうも、幕末の日本が混血児いじめ蔓延の封建社会のように描きますTBSのまんがとドラマは、占領期のコンプレックスとウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムから生まれた、現代的で通俗的な混血児像をもとに、幕末の物語を作っているような気がします。

 双方、シーボルト事件で長崎払になっていたはずの二宮敬作が、長崎に住んでイネのめんどーをみていたりのどっびくり設定が多いのですが、案外案外、ちゃんと調べている、かもしれない部分もありまして、「中山作之進」通詞を出してきているのには、びっくりです。

 えーと。
 シーボルト記念館館長・織田毅氏の論文によりますと、長崎の通詞・中山作三郎(1785年の生まれなので、シーボルトより十ほど年上です)は、シーボルトと相当に深いつきあいがあり、二宮敬作とも懇意だったみたいなんですが、シーボルト事件にはかかわっていません。
 一方、小通詞並の堀儀左衛門は、シーボルト事件にかかわって、押し込め、免職となるんですが、作三郎の五男・達之助(文政6年・1823年生まれで、イネより四つ年上)が堀儀左衛門の養子になって、堀達之助と名乗るんです。

開国と英和辞書 評伝・堀達之助
堀孝彦
港の人


 上がちゃんとした評伝ですが、ちょっと高価です。
 読みやすくて、手頃な堀達之助の伝記といえば、小説ですが、吉村昭氏の「黒船」でしょうか。


黒船 (中公文庫)
吉村 昭
中央公論社


 
  実は私、堀達之助、ちらっとですが、以前、モンブランがらみで書いたことがあります。
 明治初頭の樺太交渉 仏から米へ 後編下です。
 
 モンブランが短時間なりとも函館に滞在したとしましたら、おそらく、堀達之助に会ったでしょう。
 堀達之助は、長崎通詞の家に生まれ、ペリー来航時に活躍しました洋学者で、慶応元年(1865年)から箱館奉行所で通訳を務め、そのまま新政府に奉職。明治2年には開拓使権少主典として、函館にいました。彼の次男・堀孝之は五代友厚と親しく、薩摩藩士となって、幕末留学生を伴いました五代の渡欧に同行し、通訳を務めて、モンブランのインゲルムンステル城に滞在したんです。
 

 堀家は、薩摩とのつながりが深くて、分家が薩摩藩士になっているくらいでして、堀達之助の次男・孝之も薩摩藩士になっているというわけです。

 おイネさんが、中山作三郎および、その実子の堀達之助と知り合いだった可能性は、相当に高いのですが、証拠はありません。

 幕末の長崎におきまして、オランダ人との混血でありますことは、それほど珍しいことではなく、いじめられる幕末の混血児像は、戦後民主主義が生んだ幻のように、私には思えます。


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31 コメント

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混血児って・・・ (kii)
2016-03-22 21:55:20
おイネさんの他にも結構いたのでしょうか?
志士になったりした人とかいなかったのかな?攘夷思想にはならないでしょうけど、おイネさん以外のハーフの事も知りたくなりますね。
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一番有名なのは (郎女)
2016-03-22 23:11:38
おイネさんが生まれるより前、ナポレオン戦争でオランダ本国が滅びた大変な時期に、長期間カピタンを勤めて、世界でただ一カ所、出島にオランダ国旗をかかげ続けましたヘンドリック・ドゥーフの息子、道富丈吉です。ドゥーフが離日するとき、たまたま、長崎奉行が遠山の金さんだったんですが、くれぐれもと息子の将来を頼み込み、長崎の地役人に登用してもらっています。丈吉は17歳で病で若死にしていますが、どうも、娘を残していたらしく、後の商館長の日記などから、「ドゥーフの孫娘が恋人と心中を図った」なぞという記事もあるそうです。ドゥーフには娘もいて、とてもかわいがっていたそうなのですが、幼くして亡くなっています。当時は、幼児死亡率が高かったものですから、幼くして亡くなることも多いようです。
イネさんの母、滝さんの実の姉は、シーボルトの部下だったドイツ人(後にオランダに帰化)の子を産んでいて、これまで女の子だったのではないか、といわれていたのですが、男の子だったことが、最近判明しています。
 オランダ人あっての長崎ですから、オランダ人の子であることは、たいした問題ではないみたいです。ドゥーフの件でみますと、母親の身内がいなかったりすると、心配になるみたいですし、おそらくあと、大方のオランダ人は、自分の子に一財産残して離日するみたいでして、母親の身内がろくでもないと、これまた困ったことになりかねないようです。

 そういえば、松陰って、出島見物しているんですよね。シーボルトのピアノは萩にありますし、赤間本陣の伊藤家とか、けっこう長州は関係してきますよね。
シーボルトのピアノ、見損ねてまして、もう一度萩へ行かねば、と(笑)
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金さんのお父さん (中村太郎)
2016-03-24 22:03:23
こんばんは。
長崎奉行の遠山さんは、桜の彫り物の金さんではなく、金さんのお父さんの景晋です。
丸山の料亭「花月」の、歴史関係の展示品の中に、景晋の書簡がありました。
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おやまあ (郎女)
2016-03-24 23:30:24
そうでしたか。
長崎歴史文化博物館の3Dシアターで、遠山の金さんと言っていたよーな気がしたのですが、そういえば金さんのお父さんと言っていたよーな気も。いくらコメント欄でも、うろ覚えで書くといけませんねえ。ドゥーフの伝記の方には、遠山左衛門尉としか書いてなかったので、左衛門尉って金さんよねえー、と思ってしまいましたわ。
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ややこしい (中村太郎)
2016-03-25 01:16:02
お父さんの景晋も金さんの景元も金四郎で、左衛門尉なんですよ。
ただ、金さんこと景元は、長崎奉行にはなっていないはず。
テレビの「遠山の金さん」でも、父親と勘違いされて、「俺じゃない、親父だ」みたいなセリフが、ありました。(笑)
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ブログは面白いが、 (名無し)
2016-03-27 13:05:49
 貴方の好奇心から生まれた取材力と洞察力は素晴らしく、記憶力も良いので、ブログでは面白いのですが、
 人物伝は、書けないですよ。貴方には。
まず、惚れた桐野について本で出しておらず、近藤長次郎本挫折、文さん本挫折がそれを証明している。

 第一、イネで何を言いたいのかも自分の考えがないのですからね。山本氏から得た新しい資料で、何か言えると思うのは幻想ですよ。
 
 止めた方が良いと思います。桐野にしても、近藤長次郎や文さんにしても、他人が書いたものに批評は加えられても、貴方には、それぞれの人物にたいして確固たる人物像が、実は無い。
 また、それを論理的に裏付けできない。
 要するに、何を言いたいのかと言う焦点が定まらないのですよ。いわゆる、感情論が出やすい。

 また、イネについては挫折すると思いますがね

 
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名無しさま (郎女)
2016-03-27 14:44:21
ご期待、ありがとうございます。世の中に、確固たる人物像になってはいない評伝なんぞ、山ほどありますのに、私が、ちゃんとした評伝を書きたいと思っていると、わかっていただいているんですね。

 いまのところ、私が四苦八苦しておりますのは、確固たる人物像云々ではなく、いかにわかりやすく、臨場感を持って、その人物の生きた世界を提示できるか、です。これはもう、私は、司馬遼太郎氏のような天才であるわけもないですし、力のなさを痛感しております。
 山本氏からも「あっちこっち調べを広げすぎるから、今回も無理!」とお墨付きをもらっておりますわ(笑)
 まあ、出せなければ出せないときのことです。今回、心強いのは、構成を説明してお願いしました出版社の方が、「ものすごく楽しみにしている」とおっしゃってくださったことです。私のブログの読者ではなく、仕事で見てくださっていた出版社ですので、いい仕事をしたいと思っています。
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たのしみです。 (green)
2016-03-27 18:40:15
とても楽しみにしてます。私は少し並べ替えてそのままこのブログを出版してほしいくらいです。編集の方、ご検討願えませんか。
あ、宝塚歌劇団の桐野も楽しみ。祖父が創設期に関係しています。花の都パリのエスプリを入れるためでしょうか。創設者からパリでの視察命じられたのです。関係者に今までにないエピソードを伝え聞いている方がいたらなどと期待してます。遠いようで近い明治です。
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greenさま (郎女)
2016-03-28 01:43:00
ありがとうございます! がんばります!
ただ、このブログは、自分が忘れないための覚え書きであり、そして、書くことによって、いろいろ考えてみた、という試行錯誤の後ですので、読んでいただけるだけでありがたいのですが、活字で残せる代物ではないように思います。
おじいさまが宝塚歌劇団に関係していらしたなんて、素敵ですね。これまで私は、テレビでしか舞台を見たことがありませんで、ぜひ見たい! と楽しみにしております。
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もったいない (green)
2016-03-28 09:21:44
おもしろい、そして目から鱗。
そんなこのブログが本にしないのはもったいないと思っています。
男性と女性は脳の構造が違うといいます。
柔軟な発想で書かれているからおもしろいのでしょうか。
新事実が分かればすぐ取り入れる。殿方はとかくご自分の説にこだわりすぎるように思います。(笑)
新日本史ともいえるブログのように思います。
ですから、このままではもったいない。
とりあえず、今ご予定の執筆の完成をお待ちしてます。
日本史が嫌いだったファンよりの言葉です。
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