って、もちろん、中山家のことです。
明治大帝の母君は、公家・中山忠能の娘、慶子です。中山家は藤原氏ですが、家格は羽林家。通常は大納言まで、長生きすれば大臣になることもある、という中級公家です。
江戸時代、天皇の正妃になることができたのは、原則として、同じ藤原氏でも、近衛、九条、二条、一条、鷹司の五摂家の娘だけです。
その点では、平安の昔とかわらないのですが、ただしこの時代には、「女御、更衣あまたさぶらいける」というように、華やかに複数の側室がいたわけではありませんで、中級公家の娘が務める女官が、側室を兼ねたんですね。
後の中山一位の局、中山慶子も、孝明天皇の女官、典侍としてそばにあってお手がつき、結果的に一粒種となった皇子の母となったわけです。
明治大帝は、当時の慣例で、その幼児期、わずか二百石の母の実家、中山家ですごされました。
この中山家、実は、反幕府の旗頭としての伝説を持つ家、でした。
明治大帝が誕生されたのは嘉永5年(1852)。その60年ほど前のことです。
朝廷と幕府の間で、尊号事件が起こりました。
当時の天皇は光格天皇。孝明天皇の祖父、明治天皇には曾祖父にあたられる方です。
幕末の朝廷を考えるにあたって、この光格天皇は、画期となる方です。重要な朝廷行事を再興され、朝廷の権威の充実に努められたからです。
ところで、光格天皇は、後桃園天皇が皇子なく崩御されたのにともない、急遽、閑院宮家から入って、皇位を継がれました。血筋をいうならば、後桃園天皇の父君である桃園天皇の又従兄弟ですから、かなり直系をはずれていたお方なのです。
それで、光格天皇は、父君である閑院宮典仁親王に、太上天皇の尊号を贈ろうとされました。というのも、この当時、親王の宮中での席次は大臣より下で、天皇の父君でありながら、閑院宮は臣下である大臣の下座につかねばならず、それを光格天皇が、心苦しく思われたからなのです。
しかし、幕府はこれに反対しました。
詳細ははぶきますが、光格天皇は、幕府の意向を無視し、尊号宣下を強行しようとします。
幕府はこれを押さえつけ、公家の責任者を江戸へ呼びつけたのですが、その一人が、中山忠能の曾祖父である大納言中山愛親でした。愛親は、光格天皇の側近だったのです。
結局、中山愛親は幕府によって職を解かれ、閉門の処罰を受けます。全面的な朝廷の敗北でした。しかし朝廷に同情的な世間は、中山愛親を英雄のように語り、それが伝説化されるに至るのです。
『中山夢物語』『中山瑞夢記』『中山記』『中山問答記』『小夜聞書』などなど。中山愛親を主人公とする尊号事件の顛末記、それも実際とはちがって、愛親がさっそうと幕府をやりこめて活躍する話がいくつも作られ、写本となってひろまっていきました。
この伝説は、幕末の中山家を方向づける、一つの要素となったのではないでしょうか。ということで、以降の話は、明日に続きます。
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江戸時代、天皇の正妃になることができたのは、原則として、同じ藤原氏でも、近衛、九条、二条、一条、鷹司の五摂家の娘だけです。
その点では、平安の昔とかわらないのですが、ただしこの時代には、「女御、更衣あまたさぶらいける」というように、華やかに複数の側室がいたわけではありませんで、中級公家の娘が務める女官が、側室を兼ねたんですね。
後の中山一位の局、中山慶子も、孝明天皇の女官、典侍としてそばにあってお手がつき、結果的に一粒種となった皇子の母となったわけです。
明治大帝は、当時の慣例で、その幼児期、わずか二百石の母の実家、中山家ですごされました。
この中山家、実は、反幕府の旗頭としての伝説を持つ家、でした。
明治大帝が誕生されたのは嘉永5年(1852)。その60年ほど前のことです。
朝廷と幕府の間で、尊号事件が起こりました。
当時の天皇は光格天皇。孝明天皇の祖父、明治天皇には曾祖父にあたられる方です。
幕末の朝廷を考えるにあたって、この光格天皇は、画期となる方です。重要な朝廷行事を再興され、朝廷の権威の充実に努められたからです。
ところで、光格天皇は、後桃園天皇が皇子なく崩御されたのにともない、急遽、閑院宮家から入って、皇位を継がれました。血筋をいうならば、後桃園天皇の父君である桃園天皇の又従兄弟ですから、かなり直系をはずれていたお方なのです。
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しかし、幕府はこれに反対しました。
詳細ははぶきますが、光格天皇は、幕府の意向を無視し、尊号宣下を強行しようとします。
幕府はこれを押さえつけ、公家の責任者を江戸へ呼びつけたのですが、その一人が、中山忠能の曾祖父である大納言中山愛親でした。愛親は、光格天皇の側近だったのです。
結局、中山愛親は幕府によって職を解かれ、閉門の処罰を受けます。全面的な朝廷の敗北でした。しかし朝廷に同情的な世間は、中山愛親を英雄のように語り、それが伝説化されるに至るのです。
『中山夢物語』『中山瑞夢記』『中山記』『中山問答記』『小夜聞書』などなど。中山愛親を主人公とする尊号事件の顛末記、それも実際とはちがって、愛親がさっそうと幕府をやりこめて活躍する話がいくつも作られ、写本となってひろまっていきました。
この伝説は、幕末の中山家を方向づける、一つの要素となったのではないでしょうか。ということで、以降の話は、明日に続きます。
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