青山の匠展終わって帰って速攻で作りました小鍋と鍋です
熱衝撃に強い耐火の土で作っている物で、土鍋類、グラタン皿はウチの窯物ブランド悠遊舎の製品として長い間ようじんと二人で作っておりました
オーブン、電子レンジはもちろん直火も大丈夫という機能性と華やかさで料理屋さんにも結構人気のアイテムでした
これは自分たちの作品としてではなく、窯物として主に問屋さんに卸していました
この仕事はこの仕事で好きなのだけど、自分の仕事の実績になるのか?と思った時に自分の作品を優先すべきとの思いが強くなりました
人生いつどうなるかわからない、いつまでやれるかわからない、窯ものやってるヒマはない、ので自分のやるべき仕事以外は思い切ってやめる事にし、問屋さんにもそう言いました
ですがシンガポールの新しいお店でどうしても使いたいという方がいるという事でこれが最後という事で受けました、夢のある話にはやっぱ弱いです(-。-;
個展が終わってからしか作れないと言って締め切りを延ばしてもらったんでいつになく急いで作りなんとか間に合わせました、大した量でもないのかもしれませんが、私としては不安要素も各所にあり限界超えの事多く今まで2人でやってたのを1人でやることになったこともありヘトヘトになってしまいました
その間に他にやるべき生活の普通の事がいろいろ出来なかったのも問題だな
ようじんがデザインして比較的安定的にやってきた耐熱土の仕事を大事にしたいと思う気持ちも強く、土鍋土のノウハウもあったりするし迷うところですが、今後やるとしても納期は無理しない事にしようと思います、アラ?やっぱやるんか??揺れる〜!!ブレる〜!!
ようじんが入院してから1日も休まず今に至っていて、なんか暴走し過ぎました(匠展の翌日だけ休んだんやった、林檎見た日ね)
実家の母も体調崩して待ってるようなのでこの後行ってきます、実家の82の母とこちらの92の母が私を熱烈必要としているので同時は困ったなあ、というところです
あと、陶芸村ですが、前にも申し上げた通りこれまたもうやめようかと思いながら秋のお祭りやって、よし、またやろう、と決断し、その後、開き直りどうせなら来年はもっとやろう!という方向で考えております
青山スクエア「匠展」はまた応募するつもりです、企画展がいくつかなくなっていくようなので、もしできたら「常設展」にも他の産地のお友達工芸士さんとブース出そうかなと思案中です
普通の朝食です、今は生野菜も用意できるようになりました
洋二が病気になってからナマモノが一切食べられなくなり、なんだか私も出てくれば食べるけど自分で野菜を用意して食べるというのが、面倒になってしまったんです
いつまでたっても悲しみと後ろめたいような思いから逃れることができないでいますが、私の人生は続いていきます、たくさんの人たちにささえていただきました、人はやさしいんだっていっぱい感じることができました、みなさん、これからもがんばろうねー!特にオーバー50の方はムリしないで行こ!なんか、働き方を考えるつもりがまとまりなくなってしもうたー