日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(1325)AIは何も考えてはいない!!

2024-03-23 09:57:41 | 論理

(01)
「マイクロソフトのAI」に「質問(兎は象ですか?)」をしたところ、「AI」は「パニック」を起こしたのか??

という「回答」の「1回目」は、右のやうな「日本語申し訳ありません)」ではなく、「英語I apologize)」であった。
然るに、
(02)
さて、統計的な手法が登場する以前、自然言語処理の技術を使う自動翻訳や質疑応答の分野では、研究者たちはAI文法などの言葉のルールを憶えさせ論理的、演繹的な手法で精度を上げようとしました(AI vs. 教科書が読めない子供たち、新井紀子、2018年、124頁)。
然るに、
(03)
Prologの文は「述語論理」にならって節(Clause)と呼ぶことが多いのでここでも節と呼ぶことににします。一つの節は、一つの述語が、どういう場合に真になるかを記述しています。もっとも単純な例として、
 father(mary,henry).
という節は、fatherという述語がmary,henryという引数に対して成立するということを表しています(淵一博 監修、第五世代コンピューター入門、1987年、11頁)。
然るに、
(04)
第五世代コンピュータ(だいごせだいコンピュータ)計画とは、1982年から1992年にかけて日本の通商産業省(現経済産業省)所管の新世代コンピュータ技術開発機構(ICOT)が進めた国家プロジェクトで、いわゆる人工知能コンピュータの開発を目的に総額540億円の国家予算が投入された(ウィキペディア)。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
「(統計的な手法が登場する以前の、)第五世代コンピュータ計画」の「時代」には、
1      (1) ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
 2     (2) ∀x{兎x→∃z(耳zx&~鼻zx&長z)}         A
  3    (3) ∃x(象x&兎x)                      A
1      (4)    象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  1UE
 2     (5)    兎a→∃z(耳za&~鼻za&長z)          2UE
   6   (6)    象a&兎a                       A
   6   (7)    象a                          6&E
   6   (8)       兎a                       6&E
1  6   (9)       ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)  47MPP
1  6   (ア)                  ∀z(~鼻za→~長z)  9&E
1  6   (イ)                     ~鼻ba→~長b   アUE
 2 6   (ウ)       ∃z(耳za&~鼻za&長z)          58MPP
    エ  (エ)          耳ba&~鼻ba&長b           A
    エ  (オ)              ~鼻ba              エ&E
    エ  (カ)                   長b           エ&E
1  6エ  (キ)                          ~長b   イオMPP
1  6エ  (ク)                   長b&~長b       カキ&I
12 6   (ケ)                   長b&~長b       ウエクEE
123    (コ)                   長b&~長b       36ケEE
12     (サ)~∃x(象x& 兎x)                     3コRAA
     シ (シ)  ~(象a→~兎a)                     A
     シ (ス) ~(~象a∨~兎a)                     シ含意の定義
     シ (セ)    象a& 兎a                      ス、ド・モルガンの法則
      シ (ソ) ∃x(象x& 兎x)                     セEI
12   シ (タ)~∃x(象x& 兎x)&∃x(象x& 兎x)          サソ&I
12     (チ) ~~(象a→~兎a)                     シタRAA
12     (ツ)   (象a→~兎a)                     チDN
      テ(テ)        兎a                      A
      テ(ト)      ~~兎a                      テDN
12    テ(ナ)   ~象a                          ツトMTT
12     (ニ)    兎a→~象a                      テナCP
12     (ヌ) ∀x(兎x→~象x)                     ニUI
といふ「述語計算」を用ひて、「コンピューター」に対して、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎の耳は長いが、耳は鼻ではない。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論演繹)」をさせようとしてゐた。
然るに、
(05)により、
(06)
 2(2) ∀x{兎x→∃z(耳zx&~鼻zx&長z)} A
から、               「~鼻zx(耳は鼻でない)」を「除いた」場合は、
12(ヌ) ∀x(兎x→~象x) ニUI
12(〃) 兎は象ではない。   ニUI
といふ「結論」を得ることは、出来ない
従って、
(05)(06)により、
(07)
(ⅱ)兎の耳は鼻ではない
といふ「条件」が示されてはゐない
といふ「理由」により、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長い。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論演繹)」は、「述語論理」としては、「間違ひ」である。
然るに、
(08)
(ⅱ)兎の耳は鼻ではない
(〃)王様の耳はロバの耳である
(〃)パンの耳は食べられる
といふことは、「(一々、断らなくとも)、常識」である。
従って、
(08)~(08)により、
(09)
人間」にではなく
第五世代コンピュータ」に対して、次に、
(ⅰ)ロバは耳が長い。然るに、
(ⅱ)王様は耳が短い。従って、
(ⅲ)王様はロバではない。
といふ「推論演繹)」を行わせようとするならば、
(ⅱ)(童話の中では)王様の耳は長いこともあるが、
(〃)(童話の中でも)パンの耳は、王様の耳ではない。
といふこと、「その他」を、予め、「記述」をしておく「必要」が有る。
従って、
(02)(07)(08)(09)により、
(10)
述語論理」を用ひて、
第五世代コンピュータ」に対して、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長い。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論演繹)」を行はせようとすると、
文法などの言葉のルール」の他に、「大量の常識」を、
第五世代コンピュータ」に対して、「教へなければならない」。
然るに、
(11)
国語はどう考えても正攻法でなんとかできるとは思えません。そこで国語チームが試みたのは、センター国語試験で最も配点の大きい傍線部分の問題に対し、文字の重複などごく表面的なことから選択肢を選ぶという「荒業」でした。単純に言うと、傍線のついている部分とその前の段落の文を取って来て、「『あ』という文字が何回、『山』という文字が何回」と同じ文字の数を数えて、選択肢のほうも同様に数えて、いちばん重複の多い選択肢を選ぶという方法を採用したのです。文の意味どころか、単語の意味調べません(AI vs. 教科書が読めない子供たち、 新井紀子、2018年、124頁)。
然るに、
(12)
「グーグルのAI」に「質問(兎は象ですか?)」をしたところ、
然るに、
(13)
論理にはこれまで述べたように、厳密な(形式的な)意味が与えられるから、自然言語文も、翻訳を介して意味に法っとった解釈が与えられ、したがって、間接的であるが、自然言語に意味論が与えられることになる(長尾真・淵一博、論理意味、1983年、167頁)。
然るに、
(14)
他方、アメリカの企業は日本の失敗を学びました。論理的な手法で自動翻訳などのAIを開発することに見切りをつけ、統計的手法に梶を切り、グーグル翻訳やワトソンなどで成果を上げたのです(AI vs. 教科書が読めない子供たち、新井紀子、2018年、90頁)。
然るに、
(15)
さて、統計的な手法が登場する以前、自然言語処理の技術を使う自動翻訳や質疑応答の分野では、研究者たちはAIに文法などの言葉のルールを覚えさせ、論理的、演繹的な手法で精度を上げようとしました。けれど、その手法は何度試みても失敗を繰り返しました(AI vs. 教科書が読めない子供たち、新井紀子、2018年、124頁)。
従って、
(02)(12)~(15)により、
(16)
①「論理」と「意味」による「AI技術」と、
②「統計的な手法」による、「AI技術」とが有って、
では、「難しかった」、または、「成功しなかった所の、
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長い。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論」は、
では、「容易」である。
といふ、ことになる。
然るに、
(17)
言ふ迄も無く、「我々(人間)」は、「論理意味」だけを用ひて、「推論演繹)」をする。
従って、
(18)
(ⅰ)象は鼻が長い。然るに、
(ⅱ)兎は耳が長い。従って、
(ⅲ)兎は象ではない。
といふ「推論演繹」する際に、「我々(人間)」は、「統計的な手法」など、「用ひない」。
従って、
(19)
AI」は、「我々(人間)のやうに、考へはしない」し、と言ふよりも、固より、 「AI」は、「何も考えてはいない!!
然るに、
(20)
最近は、その努力を怠っているものの、私は、以前から、曾祖父のやうに、「漢文か書ける」ようになりたかったものの、その一方で、「AIが発達すれば、人間が書かなくとも、AIが漢文を書くようになる」のではと、思ってゐた。
然るに、
(21)
「漢文」には、「ネイティブ・ライター」はゐない上に、「(「東大合格を目指すAI」にとって)さらに過酷な状況にあるのは古文や漢文です(AI vs. 教科書が読めない子供たち、新井紀子、2018年、84頁)」といふこともあって、「もう一度、漢文の勉強を、趣味にしよう」と、思ってゐるが、このところ、「私も、いくらか、忙しい」。