おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

あの「悪の一味」に会えるんだ。

2005-06-07 14:36:48 | 我思う、故に書くなりよ。
「タイムボカン」30周年で復活 (日刊スポーツ) - goo ニュース

遊んで帰ると何となく観ていたTVアニメであって、詳しく覚えているワケでも、改めて考え直してコアなファンにもなっているわけでは無い。

とは言え、何となくであるにも関わらず、しっかりと観てしまう習慣性の強いアニメであったことは間違いない。視聴する私の成長に伴う生活のリズムが違っていなかったならば、きっと全てのシリーズを観ていたと思う。

それも、観て行くに従って、主人公や、それらの操るなり、サポートする「メカ」なんぞはどうでも良くなり、敵対勢力であるところの「ドロンボー一味」が自信の心に欠かせない事になっていく恐ろしい習慣性をもったシリーズだったと言えよう。

ドクロベェーの手下である一味はシリーズの度に名前やキャラが少しづつ変わりはするが、本質は変わらない不変さを貫いている。そしてまた、一味のリーダーである「ドロンジョ様」は時に「マージョ様」だったりはするものの、やはり変わらない普遍の、小学生にはかなり目の毒な「SEXシンボル」でさえあるのだ。

自爆、他爆を問わず、彼ら一味の敗北は必ず大規模な「爆発」を伴うものであるにも関わらず、非常に露出度の高いコスチュームでナイスなバディを包んでいるだけであり、下僕のコスチュームも満足とは言えないが、こちらは露出度が限られている。いずれにせよ、世界征服を企む一味の首領直属の配下とはいえ、戦闘時の負傷やら負傷時における作戦行動の遅滞やら、未遂などを微塵も顧みることなく、次回も同じファッションで必ず現れる「究極の1発屋」的な「特攻精神に満ちあふれた…」一味である事に異論は無い。

昨今のアニメでは露出度がどうたらこうたら議論するまでもなく「丸出し」に近いのが当たり前ではあるが、彼らは「丸出し」になる事を恥じている。恥じているのだが、普段の露出度には恥が見あたらず、観ているこっちはもう、おまたが変になってしまう絶妙の「エロス」という基準がしっかりとそこに守られていた。

単に、ナイスバディな女性にボンデージ・ファッションで決めて貰った所で「ドロンジョ様」でも「マージョ様」にもなれない。コスプレという趣味の世界が完成し、自治ルールで規制されているにも関わらず、モロ出しに近いコスプレを披露する人間が現れていても、同じ格好しているだけで、崇め奉られ、少年の心と股間をズキズキさせる様にはならないのである。では、何が足らないのか?

猛爆の後のボロボロの姿で、ゆがんだ車輪をグラ付かせながら、手下と共に3人乗り自転車でいそいそとどこかへ向かいながら「反省会」をやらなければイケナイのである。そこでたまに観る事の出来る「オッパイぽろり…」。そこまでの全てが「ドロンジョ様」なのである。

また、かれらの戦略も時代を見据えた物に根付いていた事も忘れてはならない。おそらく、その放映時間、何もする事もなく、んぼぉ…っとTVを観てどんよりしている女子高生に向けて彼らはTVの中から呼びかけた。「全国の女子高生のしょくーん!」で始まる、戦闘中には無くてもイイ部分を敢えて対象者を絞って行った事はかつて無かった事に違いない。

これが後に広がりを見せた「夕方の女子高生参加番組」の布石だとするならば、彼らは偉大な足跡を残しているにも関わらず、その功績はアニメの終了と共に砂塵と化してしまったかの様で寂しい。

TVから消えて久しい「ドロンジョ様」ではあるが、もしかしたら戻って来るかも知れないと言う。外見のエロさはともかく、機知のあふれた毒舌と、エロさとは途方も無く関係のない「おバカさんぶり」に再会出来るのは大変嬉しい。また、手下の2人もそれなりの年月を経ているにも関わらず、常識に捕らわれずに己の信ずる道を突き進む「ナイス・ガイ」であり、この3人が揃う事は、私だけの夢でも無いようである。


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