おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

遠路はるばる…。

2010-03-01 06:34:22 | 我思う、故に書くなりよ。
…やって来ましたなぁ…津波…。

50年前とほぼ同一のモノという事で、気になっていたのだけれど、ハワイの様子を朝からウェブカメラで見てたら、ハワイアンな音楽とともに、のどかな様子が…。

50年前は10m近い高さの津波が襲ったと記録にはあるが…それほど強固な防波堤とかあまり見掛けないので、どうなんだろうかと…。それでも1mの津波は来ていたらしい…。お昼だっていうのに、街から人もクルマも消えていたので、ちゃんと避難してたみたいだ。

あまり大きな津波は来ないだろうと言われていたが、朝になり、様子が変わる…。

これから「大津波警報」が出される模様…って事で、緊迫した雰囲気はTVの中にあったんだが…3m級を想定しているって事で、地味な感じじゃないかと。

ま、結果的に割と地味な感じの津波ではあったけれど、時間差攻撃がハッキリとしていたし、無駄骨…って感じで肩すかしな感じのトコロも多かったが、備えないとやはりダメ…って事は判ったんじゃないだろうか。

普段、どう考えても津波の被害は受けないだろうトコロに住んでいると、そうした備えをしっかりやっているトコロを見ると、ちょっとショックを受けてしまう。

物心の付いた頃、父の故郷が近かったついでに、三陸方面を見て回った事があるが、あそこは50年前にヒドイ事になっている。やはりチリから来た津波にやられたのだけれど、これだけでなく、昔から近海で大きな地震が起きると津波にやられてきた歴史もあって、備えだけでなく、街の人々の気構えもしっかりしていたんである…。

どこだか忘れちゃったが、そうした話をする通りすがりのおじさんの話に父が食いついちゃったら、漁協の事務所の2階に案内されて、津波の資料館みたいなモノを見たワケである…。

津波というと…大きな波が…ってイメージだけれど、それも間違いではないのだが、それと違った話を聞いたのが驚きだった。

「…海あふれるんだもの。みるみるうちに、あふれるから。」

場所によっては、迫ってくる大波に…って感じもあったらしいが、説明してくれたおじさんが見たのは、目の前の海が「あふれた…」って事である。近年、大きな地震に見舞われたトコロの映像で、それらしい現象を見る事もあるが、当時はネットなんか無いしねぇ…。

普通に考えられないほどの水位になってしまい、自分は船に乗っていて、沖に出ようとしたが、気が付いたら家とかタンスと一緒に沖まで流されていたと。

波って感じではなく、理解に苦しむ現象だったと言っていた。海が荒れたのなんかは日常で経験しているワケだけれど、あふれる…って経験は無かったらしい。

あふれた海は湾を越えて山に向かうのだけれど、山の方にいた人の感じはまた違う。

「津波だよ。勢いが凄くて、流されるものは流されるし、壊れるモノは壊れながら流れてくる。」

ま、そうした経験から防波堤だの防潮水門だのの近代化が図られたとかなんとかな記録を見ちゃうとね、なんにも考えてない自分とのギャップがショックだったりしたんだよねぇ…。

あの頃、そうした事を見た場所は「大津波警報」。

モノだけでなく、人もしっかり備えているトコロだから、この程度じゃ大丈夫だろうと思うけれどねぇ…。

そうした…備えってモノが受け継がれていかなきゃならないワケですけど、それもムズカシイ時代にもなっている様子が気になりますな…。忘れた頃にやって来るモンだし、想像や想定をあっさりと越えちゃう自然現象なワケですから、巻き込まれたら人命は簡単に失われるワケですが、避難しない人も多々いるし、結果的に微々たる…って事象に備えた事に対して文句言う人も多々いるし…。

…痛い目に遭わないと判らない生き物なんでしょうかね、人間は…。

痛い目に遭った人々の経験を受け継いで、それを大事にする…ってのも、備えのひとつじゃないかと思うんですけれどね…。

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