おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

エリカ様の誓約書。

2010-03-06 14:58:34 | 我思う、故に書くなりよ。
…金払ってまでそんな面倒なタレント使うかよ…って事にはなるんでしょうな…。

報じられている限りで、誓約書を見ましたが…コレ、実は奥が深い。実に鋭いトコロを深く突いている…。

前代未聞…ってこともあるが、中味は至極真っ当な事が書いてあり、駄目出しするにはもっともな論拠も必要ではなかろうかと思う。

間違っても「報道の自由」なんてのを掲げて反論しちゃダメだ…。そんな曖昧なモノで論破出来るモノではない…。そうした声を上げるだけ、お里が知れる…。

ちょっと考えると、失敗だとも思うかも知れない。自分の首を自ら締めて…って事になるし、現実に言えば限りなくそうだ。

だけれど、報じられる側の自衛策としてはこれ以上に強烈なモノが無い。

単なる業界への反旗だとか、宣戦布告にとどまらず、強烈な最後通牒にも成り得るものかもしれない。いい加減な反論は報道としての立場の質さえも問われるし、そこに与えられてきた「自由」すら奪われかねないものになる。曖昧さにデタラメを詰め込んで「報道」としてきたモノにとっては、まさにチェックメイトだと思うんである。

そこまでやらなくても、諸外国に事務所を移し、そこから訴える…って方法だけでも効果絶大かもしれないねぇ…。日本の裁判じゃこうした問題で判決を出しても、実質それほど意味を持っていない。だから頻繁に同じ様な裁判が行われ、頻繁に同じ様な判決が出て、問題そのものの解消になんら関係ないモノになってしまっている。こうした問題にキビシイ国で裁判を起こして、主張が認められれば、小さい出版社など1発で潰せるだけの賠償金を取れるのだから、報じる方もぞんざいな記事は書けなくなる…。少なくとも抑止効果だけはありそうだけれどね…。

となると…ヤツの言いなりかよ…って事にはなるが、やはり扱わずに触らなければ痛い事も無いだけの話なので、ほとんどがそうなるんじゃなかろうかと言う話だけれど、それはそれで「報道」として情けない。意に沿わなくても、批判なり評価の対象になるならば、きちんとそうすべきであって、ビビってそうしないのも情けないのである…。

んじゃあ、やるか…ってトコロがあればいいのだけれど、あまり無いみたいな感じも情けない…。ホントにチェックメイトである…。

ポンと出て来た誓約書だけれど、深く考えれば実にいろいろと痛いところを鋭くえぐる様に突いていて、現状でキチンと抗するには相当策を練らねばならないと言う感じ。

んな大袈裟な…って事でも良いかも知れない。その方が楽だが、想像以上に痛い目に遭いかねない、いろいろな問題をさらりと含んでいる事を見ておくと、今後の展開が楽しくなると思う。諸刃の剣か最終兵器か…。

…いっぺん、報道の自由がどこいら辺まで自由なのか? ちゃんと考える必要はあるんだと思うよ。ブログ書くにしても、似た様な場合も出て来るだろうから、国民の常識的な範疇をどこか示してくれればありがたいと思うんだけれどねぇ…。

ちゃんと調べたら、自由なんかとっくに無かったりして…。

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